29 / 35
29
しおりを挟むペリューシアは急いで蒸留室へ向かった。せっかくネロが身を賭して元の姿に戻る機会を作ってくれたのだから、決して無駄にはできない。
ここはメイドたちが、主人に出す紅茶やお菓子の準備をするための部屋だ。
ペリューシアはお菓子作りをするときによく使用していて、ほとんどペリューシア専用の部屋になっていた。
作業台を手でそっと撫でると、汚れやほこりでざらざらしていた。
ロレッタの身体に入って追い出されてからというもの、この蒸留室はあまり使われていないらしい。ペリューシアは背の高い棚をそっと開けて、一番上の奥に入れ替え天秤をしまい込み、食器を手前に置いた。
(よし。一旦ここに隠しておきましょう)
入れ替え天秤を棚の奥に隠したあと、一度応接間に戻ってルーシャとロゼを呼びに行った。入れ替わりを解いたとき、本物のロレッタの手元に入れ替え天秤が渡るのを防ぐためだ。
広間に行くと、やたらと露出が多いドレスを着たロレッタが、ペリューシアのふりをして人々と話をしていた。ペリューシアが引っかかったのは、彼女がコルセットで腰をきつく絞っていること。
(お姉様ったら……あんなに腰を絞ったりして、お腹の子の負担を考えられないの……!?)
すぐに彼女のコルセットを剥ぎ取りに行きたいところだったが、どうにか思いとどまり、ルーシャとロゼにこっそり声をかける。
「…… ふたりとも、協力してほしいの」
「どうしたの? 例のものは、回収できなかったの? それにネロは……」
心配そうにロゼが尋ねてくる。
「無事に回収はできたわ。ただ状況が変わったの。付いてきてちょうだい」
◇◇◇
蒸留室に移動したあと、ペリューシアはふたりに事情を説明する。ネロが自分を庇ってセドリックに捕まってしまい、魔道具を託されているということを話せば、彼女たちはすぐに理解してくれた。
「古代魔道具を無効化したあと、わたくしはすぐにネロがいる懲罰房へ向かう。だからふたりには、解除が終わったあと、古代魔道具を預かっていてほしいの」
万が一ロレッタの手に渡れば、再び振り出しに戻ってしまう。
「なら、それを預かったまま屋敷を出ればいいってことですね。そのような古びた天秤、持ち出したところで窃盗を疑われることもないでしょうし」
「ありがとう、話が早くて助かるわ。迷惑ばかりかけてごめんね」
「何水臭いことおっしゃるのです。このくらいの協力、あなたがこれまで耐えてきたことに比べたら、ささやかなことに過ぎませんよ」
「ルーシャ……」
「早く元の姿に戻って、ネロさんを助けて差し上げてください」
無事に無効化したあとの算段を確認したところで、ポットの中の水がこぽこぽと音を立てて沸騰し始めた。これを天秤の皿にかけていけば、固まっていた接着剤が溶けていくだろう。ロゼがポットを片手に言う。
「さ、あとのことはあたしらに任せて。行きな」
「ありがとう、ロゼ」
ペリューシアは入れ替わったときに備え、魔道具は友人たちに任せて、蒸留室からできるだけ遠くへと走った。廊下を走るなんて淑女らしからぬ振る舞いだが、今は気にしていられない。
大勢の使用人たちがいる場所で、堂々とかつらを脱ぎ捨てる。当然、家を追い出されていたはずのロレッタの姿に、使用人たちは困惑する。
「ロレッタお嬢様!?」
「どうしてこちらに……」
ここで注目を集めておけば、元の姿に戻ったときに、ロレッタが入れ替え天秤を探しに行くまでの時間稼ぎができるはずだ。あとは、ルーシャとロゼがこの屋敷から出ることを祈るのみ。
「自分の家に戻ってくるのに、理由が必要かしら?」
「困ります……! あなた様はラウリーン家から勘当された身なのですよ。それに今日は、ペリューシア様のお誕生日なんです! 水を差すような真似はお控えください!」
ロレッタが突然屋敷に入り込んだことで、騒ぎは波紋が広がるように大きくなっていく。メイドのひとりが、煩わしげに言った。
「ひとまず、応接間にご案内いたします。付いてきていただけますか?」
「ええ。もちろんよ」
愛想よく微笑み、メイドの指示に従う。ふとそのとき、ネロに先ほど言われた言葉を思い出す。
『あんたには、入れ替え天秤の他にももうひとつ、別の魔術がかかっている』
しかし、ペリューシアが自覚しているのは、姉との入れ替わりだけ。他に一体、なんの魔術がかかっているというのだろう。
それにネロは寝室で、魔道具を持った人間の気配を察知したと言っていた。もし魔道具の所有者がセドリックなのだとしたら、ペリューシアに何らかの魔術をかけたのは彼なのだろうか。
そんな疑念が次々と浮かび上がっていたとき、頭の中に聞き覚えがある音が響いた。
――カチッ……。
それは結婚式の誓いの口づけの直前に聞いたのと同じ音だった。今のペリューシアには、その音が入れ替え天秤の発動した音なのだろうと推測できる。両方の皿に張り付いていたペリューシアとロレッタの髪が、熱湯とともに一本残らず流れ落ちたのだろう。
そして、次の瞬間――ペリューシアは元の姿に戻っていた。視線を落として、身体のあちこちを確認する。
「お誕生日、誠におめでとうございます」
「良い一年を過ごしください」
ペリューシアは今日のパーティーの主役として、広間の大勢の参集者に囲われていた。
しかし、彼らの祝いの言葉は片耳から片耳へとすり抜けていく。ペリューシアの頭にあるのは、懲罰房にいるネロのことばかり。
(ネロが心配だわ。早く、懲罰房に行かなくては)
828
お気に入りに追加
1,261
あなたにおすすめの小説
傲慢令嬢にはなにも出来ませんわ!
豆狸
恋愛
「ガルシア侯爵令嬢サンドラ! 私、王太子フラカソは君との婚約を破棄する! たとえ王太子妃になったとしても君のような傲慢令嬢にはなにも出来ないだろうからなっ!」
私は殿下にお辞儀をして、卒業パーティの会場から立ち去りました。
人生に一度の機会なのにもったいない?
いえいえ。実は私、三度目の人生なんですの。死ぬたびに時間を撒き戻しているのですわ。
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
【完結】都合のいい女ではありませんので
風見ゆうみ
恋愛
アルミラ・レイドック侯爵令嬢には伯爵家の次男のオズック・エルモードという婚約者がいた。
わたしと彼は、現在、遠距離恋愛中だった。
サプライズでオズック様に会いに出かけたわたしは彼がわたしの親友と寄り添っているところを見てしまう。
「アルミラはオレにとっては都合のいい女でしかない」
レイドック侯爵家にはわたししか子供がいない。
オズック様は侯爵という爵位が目的で婿養子になり、彼がレイドック侯爵になれば、わたしを捨てるつもりなのだという。
親友と恋人の会話を聞いたわたしは彼らに制裁を加えることにした。
※独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
貴方の運命になれなくて
豆狸
恋愛
運命の相手を見つめ続ける王太子ヨアニスの姿に、彼の婚約者であるスクリヴァ公爵令嬢リディアは身を引くことを決めた。
ところが婚約を解消した後で、ヨアニスの運命の相手プセマが毒に倒れ──
「……君がそんなに私を愛していたとは知らなかったよ」
「え?」
「プセマは毒で死んだよ。ああ、驚いたような顔をしなくてもいい。君は知っていたんだろう? プセマに毒を飲ませたのは君なんだから!」
今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~
コトミ
恋愛
結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。
そしてその飛び出した先で出会った人とは?
(できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)
hotランキング1位入りしました。ありがとうございます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる