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 姿が見えなくても、声を聞けばすぐに分かる。薄いクローゼットの扉の向こうで、ネロと対峙しているのは、ペリューシアの夫になるはずだった――セドリックなのだと。

 そして彼は後ろに、何人かの騎士を付き従えていた。話を聞くに、たまたま忘れ物を取りに来たらしいが、なんと間の悪いことか。

「いやぁ、すみません。ペリューシア様の誕生日パーティーに参加していたのですが、少々道に迷ってしまって」
「ここは広間とは真反対だ。道に迷って来れるような場所ではないよ。それになぜ、勝手に部屋に入った? この部屋は僕と妻のペリューシアの共同部屋だ」
「ああ、あなたがセドリック様でしたか。御無礼をいたしましたがどうぞご容赦ください。なにぶん、昔から方向音痴でして」

 ネロは自分が人畜無害であることをアピールするように、軽い口調で言い訳を並べる。しかしセドリックは、こんなごまかしで言いくるめられるほど、愚鈍ではなかった。

「残念だけど、このまま見逃すわけにはいかないよ。君はどこの貴族だ?」
「僕はただの孤児です」
「ただの孤児がどうやってここに侵入したんだい?」

 さすがに、不法侵入をしておいて、ルーシャやロゼの付き人という肩書きを使うわけにはいかないと考えたのだろう。ネロがわずかに口ごもると、セドリックは小さくため息を零した。

「まぁいい、詳しい話はあとでじっくり聞こう。君たち、この者を懲罰房に拘束しておけ」
「「御意」」

 セドリックの指示によって、騎士たちがネロのことを拘束していく。

(どうしよう……ネロが連れていかれてしまうわ)

 けれど、せっかく手に入れた入れ替え天秤を守るために、クローゼットの外に出るのは得策ではない。それに、家を追い出されているロレッタがクローゼットから飛び出せば、火に油を注ぐだけ。より大きな騒ぎになるだろう。

 ペリューシアは、クローゼットのわずかな隙間に目を近づけて、様子をうかがった。すると次の瞬間、セドリックと視線がかち合った気がした。実際に目が合っていることはなかったが、彼がクローゼットの隙間に挟まったペリューシアのスカートに気づいたのである。

 彼がこちらに近づいてきたので、ペリューシアはひゅっと喉の奥を鳴らす。

 少しずつ大きくなっていく靴音。身動きを取れば、それこそクローゼットの中に人がいることが分かってしまう。彼を止めるすべが何ひとつ思い浮かばず、息を潜めたまま硬直する。

(見つかる……!)

 けれど、セドリックの指がクローゼットに触れる寸前で、ネロが助け舟を出した。

「――古代魔道具って凄いよな」
「…………」

 セドリックはぴたりと手を止め、ネロの方を振り向く。

「自然を思いのままに操り、あらゆる病を癒し、他人の心を掌握することも簡単にできちまう。そりゃあ、教団にとって魔術師は脅威になるわけだ」
「急にそんな話をしてなんのつもりだ」
「魔術師たちは異端審問にかけられて、数百年前に根絶やしにされた。ただ時々、突然変異的に魔術師の素質を持った者が生まれるんだ」

 ネロはおもむろに、眼鏡を外す。特殊な加工が施されたレンズによって隠されていた赤い瞳があらわになる。
 晒された魔の象徴に、周囲の騎士たちははっと息を飲み、軽蔑と畏怖の念をネロに向けた。

 ネロは赤い目でセドリックのことを射抜き、不敵に口の端を持ち上げる。

「俺の目には見えるぜ。古代魔道具の力に魅入ったあんたの汚い心がな」
「何が……言いたい」
「ここで口にして、あんたの騎士たちに知られちまってもいいのか? 俺が見抜いた――あんたの秘密を」

 いつも穏やかに微笑んでいるセドリックの表情がたちまち暗くなっていく。
 彼は逡巡を重ねた末に、騎士たちに命じる。

「この青年は今から僕が直接尋問する。――用意をしろ」
「ですがペリューシア様の誕生日パーティーの最中では――」
「構わないよ。君たちは僕の命令にただ従っていればいい」

 セドリックの声に、明らかな憎悪が滲み、ペリューシアの背中に冷たいものが流れる。

 そうしてネロは、騎士たちに引きずられるようにして寝室を出ていった。彼はセドリックをわざと挑発して、ペリューシアを守ってくれたのだ。
 人の気配がなくなったあと、ペリューシアはクローゼットの中から出る。

(ネロ……!)
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