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「何かあんた、今日はやけに機嫌がいいな」
「ふふふ、分かる? 気になっちゃう?」

 ペリューシアが、聞いてほしくて仕方ないという感情丸出しで尋ねれば、ネロはその気持ちを理解した上で突っぱねる。

「全然気にならないし教えてほしくもないな」
「んもう。少しくらい興味を持ってくれたっていいじゃない」

 旧校舎の開放廊下に賑やかな男女の声が響き渡る。ペリューシアとネロはベンチに並んで座り、今日も仲良く小競り合いをしていた。

 先ほどセドリックにクッキーを頼まれたからというもの、嬉しさのあまり必死に堪えていなければ頬がだらしなく緩んでしまいそうになる。しまいそうになる……というより、正しくはすでに緩んでいる、だ。
 頬に手を添えながら、恋をする乙女らしくうっとりと目を細める。

「セドリック様にね、クッキーを作ってほしいと頼まれたの。もう二度とお話しすることも叶わないだろうと思って諦めていたから、こうしてお役に立てることが嬉しくって」
「ふうん。そいつはよかったな。でもなんでクッキーなんだ?」
「それは……分からないわ。以前はよく作って差し上げていたけれど」
「入れ替わる前、ねぇ……」

 ネロは顎に手を当てながら思案する素振りを見せた。そのとき、彼の唇の端にソースがついているのが目に留まった。

(ふふ、ネロったら子どもみたい)

 今日のお昼のメニューは、時間をかけて煮込んだ牛肉にパン、サラダだ。ペリューシアの膝には、すっかり空になったお弁当箱が載っている。彼の唇についているのは、肉料理のソースだろう。

「ネロ、付いてるわよ」
「!」
「世話が焼けるわね」

 おもむろに手を伸ばして、親指の腹で汚れを拭い取ってやる。すると彼は赤い目を大きくさせ、ばっと勢いよく身を離す。

「や、やめろ! ガキ扱いすんな」

 瞳だけではなく、頬や耳まで赤く染まっているのを見て、ペリューシアはくふくふと気の抜けた笑い方をする。生意気な彼の年相応ないとけない一面が、微笑ましく思えたのだ。

「ふふ。顔、赤いわよ。かわいい」
「……うるせー」

 ネロはフードを引いてより深く被り、ふいと顔を背けた。
 ペリューシアは、お弁当以外に持ってきていた歴史の授業の教科書を開いた。

 しばらくそっぽを向いて顔の熱を覚ましたネロが、こちらの手元を覗く。

「歴史の本か?」
「次の授業の予習よ。王室の歴史について学ぶの」
「王室、ね……。そこの文章、間違ってるぜ」
「え……?」

 ネロは教科書の一行をつんと指差す。

「『偉大なリングレスト王家の王族たちによって、国家は平和的に運営され、ウィルム王国には繁栄と安定がもたらされた』……これのどこが間違っているというの?」

 ネロは足を組み、頬杖を突きながら、冷笑混じりに言う。

「何が平和的に、だ。王家は自分たちの王権を維持するために、敵になりうる存在を次々に排除し、ほとばしる血を浴びてきた。今だってそうだ。隠蔽工作、収賄、殺人……王家の繁栄の裏にはおびただしい犯罪の闇が隠れて……」

 赤い瞳に、憎しみのような鋭い何かが宿ったとき、ネロは我に返り、小さく息を吐く。

「まぁ、貴族のお嬢ちゃんたちが読む教科書にそんなことは、書けないだろうけどな」
「…………」

 彼が古代魔道具の回収をしているのは、国王の命令だと言っていた。王室の暗い部分も間近で見てきたような口ぶりだが、普通の人は王族に近づくことすらできないはず。

「あなたは王室と一体……どんな関係なの? 何か王家にひどいことをされたの?」

 ペリューシアは心配げに眉を寄せる。
 すると彼は、どこか憂いを帯びた表情で呟いた。

「俺は王室の犬だ。危険な古代魔道具の回収なんてのをやらせるのも、俺がただの使い捨ての消耗品に過ぎないからだ。言ってみれば、トカゲの尻尾みたいなもんさ。替えならいくらでもいる」
「ネロ……」
「王室の人間だけじゃない。今まで出会ってきた奴らは全員、俺のことを気味悪がって、虫けらみたいに扱ってきた」

 ネロは赤い瞳を人に見せないように、いつもフードを深く被っている。けれど、敷地内で他の生徒に目を見られれば、ひそひそと悪口を言われた。

『おいあれ、赤い目だ』
『魔の象徴よ。気味が悪いわ』

 ネロは奇異の目を向けられることに慣れているのか、何を言われても平然としていた。むしろ、ペリューシアの方が、その度に胸を痛めていた。

(どうして目の色が違うだけで、心無いことを言われなくてはならないのかしら。ネロは普通のどこにでもいる男の子なのに)

 しかし、この旧校舎に人が来ることは滅多になく人目がないので、ここでは素顔を晒しても大丈夫だ。ネロと過ごすときは、差別されていることへの胸の痛みはそっとしまい込み、気丈に振る舞うようにしている。

「この目を見たら言うんだ。『お前は生まれてくるべきじゃなかった』ってね」

 自嘲気味に呟き、長いまつ毛が伸びた瞼をそっと触れる彼。それまで大人しく彼の話に耳を傾けていたペリューシアは、勢いよく立ち上がって声を上げた。

「そんなことない!」

 旧校舎の開放廊下に彼女の声が響き渡る。膝に載っていたバスケットが、ころんと地面に転がった。

「ネロが生まれてくるべきじゃなかったなんて……そんなこと絶対に思わないわ……!」

 普段は穏やかなペリューシアが、必死の剣幕で訴えるので、ネロは呆気に取られる。

「あんた、何もムキになって――」
「わたくしはあなたのことが好きよ。こうしてお友達になれて、一緒にご飯が食べられて、すごく毎日楽しいの。それに……」

 それに、彼が現れてくれなければ、ペリューシアはひとりぼっちのままだっただろう。彼がいなければ、入れ替わりの理由に気づくこともできず、途方に暮れていたはず。
 誰にも辛さを打ち明けられずに孤独に過ごしていたころの記憶が蘇り、鼻の奥が痛くなってくる。

「ネロだけが……お姉様の身体の中にいるわたくしに気づいてくれた。あなたはわたくしにとってすごく大切な存在なの。だから、ご自分を卑下しないであげて……」
「……」
「これだけは言えるわ。わたくしは――あなたの味方よ」

 悲痛の表情を浮かべるペリューシアを見て、彼は困ったように眉尻を下げる。

「……俺はあんたの友達になった覚えはないけど」
「あら……違う? 一緒にご飯を食べたら、もうお友達よ」
「あんたの頭の中は、いつもお花畑だな」
「まぁ。お花だなんて、綺麗で素敵じゃない」

 どこまでも脳天気なペリューシアでは張り合いがないと思ったのか、彼は観念して肩を竦めた。

「さっきのは訂正する。俺のことを気味悪がったり差別したりしない変わった奴も時々いるらしい」
「ええ」

 ペリューシアは柔らかく微笑み、力強く頷いた。彼は地面に転がったバスケットを拾い上げ、付いたほこりを手で払いながら、寂しそうに目を細めて言う。

「…………俺は、セドリックとかいう男が羨ましいよ」
「え……?」
「なんでもない。そうだ、入れ替え天秤の回収は、あんたの姉さんの誕生日パーティーの日に決行する」

 ラウリーン公爵邸にネロが行ってみたところ、魔力の気配を確かに感知したのだという。恐らくは入れ替え天秤のものだろう。

 ロレッタも浅はかではないため、常に警戒しながら魔道具を保管しているはず。……ということで、大勢の客人が招かれる誕生日パーティーに紛れて回収をするという計画だった。そのパーティーの主役はペリューシアのふりをしたロレッタであり、少なからず隙が生まれるだろうから。
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