上 下
11 / 35

11

しおりを挟む
 
 友人ふたりは互いに顔を見合わせる。そして、ルーシャが言った。

「ペリューシア様のお姉さん……ですよね。私たちに何のご用ですか?」
「わたくしは――」

 自分はロレッタではなくペリューシアなのだと言いかけ、慌てて口を噤む。

(本当に厄介だわ。名乗ることができないだなんて)

 もどかしげに顔をしかめていると、そんな様子を見て彼女たちは不信がり、眉間にしわを寄せ、また顔を見合わせる。今度はロゼが口を開いた。

「なんの用か分かりませんが、あたしたちは次の授業に行きますね。急いでるんで」
「待って、わたくしの話を……」
「こっちに話すことはないですよ。ああ、そうだ。ひとつあたしから忠告させてください」

 こちらの話を遮ったロゼは、冷たい表情のままつかつかとこちらに歩み寄る。

「ペリューシアは好きな人と結婚して幸せになったんです。もしそこに水を差すような真似をなさったり、彼女のことを泣かせたら、親友の――あたしたちが決して許しません」
「………!」

 ルーシャは代々優秀な文官を輩出する侯爵家の娘であり、ロゼは屈強な騎士たちが多く軍事に優れた辺境伯家の娘だ。公爵家から勘当されなんの地位もないロレッタからすると、明らかに格上の存在。ペリューシアは喉の奥をぐっと鳴らした。

(そうよね。ふたりはペリューシアの友だちであって、ロレッタの友だちではないんだわ)

 寂しさと失意にしゅんと項垂れるペリューシア。子犬の耳が垂れ下がったような幻を見たロゼが、うっと気まずそうに言う。

「そんな悲しそうな顔して、まるであたしがお姉さんのことを虐めてるみたいじゃないですか」
「いいえ。ただ、良い友だちを持ったなって思っただけよ。……ありがとう」

 ペリューシアが眉尻を下げてふわりと微笑むと、警戒心を解かれたふたりは顔を見合わせる。

(ふたりがわたくしのことを想ってくれていたことが分かって、それだけで幸せだわ)

「……お姉さんにお礼を言われる覚えはありませんけど」
「ふふ、そうね。これからもペリューシアと仲良くしてあげてね」

 またね、とひらひら手を振りながら呑気に別れの言葉を述べると、「お姉さんも急がないと遅刻しますよ」と至極真っ当な突っ込みを受ける。
 結局、ルーシャとロゼはペリューシアをロレッタだと思い込んだま、くるりと背を向け去っていった。

「ねぇ、今のお姉さん、なんか様子おかしくなかった?」
「は、はい。私も思いました。あの気の抜けた笑い方といい、ちょっと天然なところといい、なんだかペリューシアと話しているような気分でした」

 こそこそと内緒話をする声は、ペリューシアの耳には届かない。ペリューシアはふたりの後ろ姿を見送りながら願った。

(少し前までは、楽しくお喋りできていたのに。またいつか、友達になれたらいいな)

 名残惜しげに彼女たちを見つめたあと、ゆっくり視線を地面に落とす。

 ルーシャとロゼは王立学園に入る前から一番親しくしていた友人だった。けれど今は、ペリューシアをロレッタだと思い込んで、すっかり敵視されてしまっている。彼女たちも姉の評判を知っており、良い印象を持っていないのだろう。

(誰ひとり……わたくしに気づいてくれない。わたくしは……ひとりぼっち)

 茫然自失となり立ち尽くしていたら、そのうちに始業を告げるチャイムが鳴り響いた。ロゼが言った通り遅刻だ。

 どうせ全身ずぶ濡れで、教科書もどこかに行ってしまったので、授業に出ても意味はないだろう。

 まるで世界にひとりだけ取り残されたような気分だ。

 両親も、叔父も、親友も、夫になるはずだった人も、誰もロレッタの中にペリューシアがいると気づかない。
 ロレッタとしてどうやって生きていけばいいのかと、途方もない絶望感に、じわりと目に涙を浮かべたそのときだった――。

「――情けないザマだな」

 上からそんな声が降ってきて、はっと顔を上げると、木の幹の高いところに青年が座って、こちらを見下ろしていた。

 全身をローブに身を包み、フードを深く被っていて顔がよく見えないが、唯一覗いた口元は、不敵な扇の弧を描いている。

 彼は木の上からひょいと軽々と飛び降りてきて、ペリューシアの目の前に着地した。
 風が青年のフードを脱がせ、素顔が晒される。彼と視線が合った瞬間――どきっと心臓が跳ねた。

(赤い……瞳。生まれて初めて見た)

 世界で権勢を誇っているネルン教団がかつて、神秘的な力を恐れ、魔術師たちを異端とみなして根絶やしにしたことがあった。
 罪のない魔術師たちは次々に火炙りにされ、悲劇的な死を遂げている。

 今も時々、魔術師の証である赤い瞳を持つ者が生まれることがあるのだが、彼らは魔の象徴として蔑視される。

「綺麗な瞳……。――宝石みたい」
「……!」

 ペリューシアの口をついて出た言葉に、青年は大きく目を見開き、瞳の奥を揺らした。

 もちろんお世辞などではなく、本当に綺麗な瞳だと思った。今までの人生で見た中で、最も美しい。顔立ちは彫刻のようで、長いまつげに縁どられた赤い瞳は、太陽を吸い込んだガーネットのように煌めいている。

 鮮やかで深い瞳の赤に、ガーネットを重ねながらうっとりと見蕩れるペリューシア。

 一方の青年は言葉を失い、唇を震わせ、一瞬泣きそうな顔をした。
 唇をきゅっと引き結んで顔を逸らし、まるで自身の心を落ち着かせるように小さく息を吐く。

 そして、先ほどまでの不敵な笑みを浮かべてこちらに言った。

「――おばさん。あんた、名前は?」
「お、おばっ……!?」

 突然のおばさん呼ばわりに、ペリューシアぎょっとする。

(今おばさんって言ったの!? 聞き間違い……かしら)

 ロレッタはまだ十九歳だし、見てくれだけは群を抜いてみずみずしく美しいはずなのに。
 もしや、彼は自分以外の誰かに話しかけているのではないかと、きょろきょろと辺りを見渡す。すると彼は、呆れ混じりに続けた。

「あんただよあんた。道の真ん中でみっともなく泣きべそかいてた――あんたに聞いてんだ」

 泣いているところを見られていたのだと知って、かあっと顔が赤くなる。涙を拭おうとポケットからハンカチを取り出すものの、ハンカチも汚水でびっしょりで、使い物にならない。

「あらら……」
「はぁ、世話が焼ける奴だな」

 そう言って彼は懐からハンカチを取り出して、こちらに差し出した。

(生意気だけど……意外と優しい……?)

 遠慮がちにハンカチを受け取って涙を拭っていると、今度は自分が着ていたローブを脱いでペリューシアの肩にふぁさりとかけた。

「ったく、身体冷やすと風邪引くぞ。どうしてこんなずぶ濡れなんだ?」
「ふっ、ふふ……」
「何がおかしい?」
「あなたって優しいのね」

 無礼で粗野な態度だけれど、根は悪人ではなさそうだ。

「はぁ? ちょっと親切にされたくらいで単純すぎるだろ。そのうち変な壺でも買わされるんじゃねーの」
「まぁ、それは困ったわ。せっかくならかわいくて素敵な壺が良いもの」
「そういうとこだぞ」

 反論しつつも耳をほのかに染めていて、彼が照れているのが伝わってくる。そんな彼がいじらしくて、くふくふと笑う。
 ペリューシアのどうにも気の抜けた笑い方に、毒気を抜かれた彼は、肩を竦めた。

「わたくしは十九歳よ。まだおばさんなんて言われるような年齢ではないわ。あなたはいくつなの?」

 わたくしは、などと言ったが、あくまでこの身体の年齢のことである。ちなみにペリューシアは十七歳だ。

「十六。それで、あんた名前は?」

 それなら、ペリューシアとひとつしか変わらないではないか。

「わたくしはペリュ――むぐ」

 名前を言いかけたところで、今自分が置かれている状況を思い出し、慌てて唇を塞ぐ。

(そうだ。わたくし、名乗ると爆発するんだったわ……)

 両手で口元を抑えながら、ぐぬぬと唸ったり、困ったように眉をひそめる。

「ペテュ? 珍しい響きの名前だな。よくそんな名前の飼い犬を見かけるぜ」

 ――ワン!
 犬扱いされたペリューシアは、むっと頬を膨らませる。
 けれど、思案に思案を重ねた末、本当の名前を名乗るのは諦めた。

「のっぴきならない事情が色々とあるのだけれど、ひとまず、ロレッタと名乗っておくわ」
「へぇ。のっぴきならない事情って例えばさ……身体が入れ替わってる、とか?」
「!」

 思わぬ指摘に、瞠目する。
 こちらの反応を見た彼は、ゆっくりと口角を持ち上げた。こちらにずいと迫り、顔を覗き込むようにして告げる。

「その反応は、図星みたいだな。ようやく見つけた。あんた、古代魔道具の魔術がかかってるぜ」
「古代……魔道具……」

 ペリューシアは、ごくんと喉を上下させた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました

ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。 このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。 そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。 ーーーー 若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。 作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。 完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。 第一章 無計画な婚約破棄 第二章 無計画な白い結婚 第三章 無計画な告白 第四章 無計画なプロポーズ 第五章 無計画な真実の愛 エピローグ

恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜

百門一新
恋愛
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。 ※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

後悔だけでしたらどうぞご自由に

風見ゆうみ
恋愛
女好きで有名な国王、アバホカ陛下を婚約者に持つ私、リーシャは陛下から隣国の若き公爵の婚約者の女性と関係をもってしまったと聞かされます。 それだけでなく陛下は私に向かって、その公爵の元に嫁にいけと言いはなったのです。 本来ならば、私がやらなくても良い仕事を寝る間も惜しんで頑張ってきたというのにこの仕打ち。 悔しくてしょうがありませんでしたが、陛下から婚約破棄してもらえるというメリットもあり、隣国の公爵に嫁ぐ事になった私でしたが、公爵家の使用人からは温かく迎えられ、公爵閣下も冷酷というのは噂だけ? 帰ってこいという陛下だけでも面倒ですのに、私や兄を捨てた家族までもが絡んできて…。 ※R15は保険です。 ※小説家になろうさんでも公開しています。 ※名前にちょっと遊び心をくわえています。気になる方はお控え下さい。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風、もしくはオリジナルです。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字、見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

初夜に前世を思い出した悪役令嬢は復讐方法を探します。

豆狸
恋愛
「すまない、間違えたんだ」 「はあ?」 初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた? 脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ? なろう様でも公開中です。

【完結】都合のいい女ではありませんので

風見ゆうみ
恋愛
アルミラ・レイドック侯爵令嬢には伯爵家の次男のオズック・エルモードという婚約者がいた。 わたしと彼は、現在、遠距離恋愛中だった。 サプライズでオズック様に会いに出かけたわたしは彼がわたしの親友と寄り添っているところを見てしまう。 「アルミラはオレにとっては都合のいい女でしかない」 レイドック侯爵家にはわたししか子供がいない。 オズック様は侯爵という爵位が目的で婿養子になり、彼がレイドック侯爵になれば、わたしを捨てるつもりなのだという。 親友と恋人の会話を聞いたわたしは彼らに制裁を加えることにした。 ※独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

婚約を破棄したら

豆狸
恋愛
「ロセッティ伯爵令嬢アリーチェ、僕は君との婚約を破棄する」 婚約者のエルネスト様、モレッティ公爵令息に言われた途端、前世の記憶が蘇りました。 両目から涙が溢れて止まりません。 なろう様でも公開中です。

たとえ番でないとしても

豆狸
恋愛
「ディアナ王女、私が君を愛することはない。私の番は彼女、サギニなのだから」 「違います!」 私は叫ばずにはいられませんでした。 「その方ではありません! 竜王ニコラオス陛下の番は私です!」 ──番だと叫ぶ言葉を聞いてもらえなかった花嫁の話です。 ※1/4、短編→長編に変更しました。

処理中です...