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 セドリックは人当たりが良く、基本的に誰に対しても優しい。けれど、ロレッタのことだけは苦手のようだった。

 これは、ペリューシアがセドリックと婚約してしばらくしたころのこと。

「へえ、このクッキー、ペリューシアが作ったのかい?」
「ええ。お口に合うかは分からないけれど」
「いただきます」

 公爵庭の庭園のガゼボである日、ペリューシアとセドリックは楽しく話をしていた。テーブルを挟んだ向かいに座る彼に、作ってきたクッキーを差し出す。

「わ……凝ってるね」

 庶民はなかなか手に入れることができない砂糖を贅沢に使用し、バラの模様のアイシングを施している。

 彼は「芸術品みたいだ」と賛辞を述べたあと、箱の中から一枚をつまみ、口に含んだ。

 セドリックがどんな反応するか、どきどにしながら待っていると、彼はふわりと微笑む。

「……美味しいよ。すごく」
「本当……!?」
「ふふ、本当だよ。お店のものよりも美味しいかも。一体何が中に入っているんだい?」

 好きな人に褒められてご満悦なペリューシアは、両肘で頬杖をつき、くふくふと気の抜けた笑みを零す。

「もちろん――セドリック様への愛情ですわ。わたくしのセドリック様への想いをたっぷり込めましたの」

 ペリューシアに唯一取り柄があるとしたら、お菓子作りだ。お菓子作りの腕前と情熱だけは、あらゆる面で優秀なロレッタにも負けない。

「そう……ありがとう。嬉しいよ」

 彼は愛想よく微笑み、いつものようにペリューシアの愛の言葉をさらりと受け流す。

(もしここで『僕も好きだよ』と言ってもらえたら、どんなに幸せかしら――なんて)

 貴族同士の政略結婚。そこに愛がないのは全く珍しいことではない。そして、片方だけが愛情を抱いてしまうというのも、よくある話だ。婚約者同士だけれど、ペリューシアの一方的な片思い。それでも、傍にいられるのなら構わなかった。

 ペリューシアが報われない恋に胸を痛めたそのとに、上から声が降ってきた。

「あらあら、随分と楽しそうね。あたしのことも混ぜてちょうだい」

 艶のある声とともに、きつい香水の匂いが鼻を掠め、姿を見るまでもなくそこにいるのが姉だと理解する。

 ロレッタは屋敷の中にいるにもかかわらず、どこかの夜会にでも出かけるような華美な格好をしていた。
 高いヒールに、身体の線がくっきりと浮かび上がる細身のワインレッドのドレス。胸元には彼女のたわわな胸の谷間が覗いていて。

 ロレッタはふたりの間を割って座り、セドリックに甘く囁きかける。

「妹とお茶をするのに、どうしてあたしのことを誘ってくれなかったの? 仲間外れにするなんて寂しいじゃない」
「…………」
「こんなに良いお天気なんですもの。みんなで楽しみましょうよ」

 真っ赤な口紅を差したロレッタの唇が、美しい三日月を描く。誰もが虜になるような、完璧な美貌。しかしセドリックは、ロレッタが現れた途端に顔色を曇らせた。

 どこかさめざめとした表情で椅子から立ち上がり、他人行儀に言う。

「お義姉さんがそれほどペリューシアとお話しされたいとは思いませんでした。僕がいてはお邪魔でしょうから、もう行きますね」
「そ、そんな、セドリック様もご一緒に――」
「お二人でどうぞ、ごゆっくり」

 引き止めようとするロレッタを、セドリックは社交的な笑顔で跳ね除け、そそくさとガゼボを出ていった。
 明らかに煙たがるような態度に、プライドを傷つけられた彼女。悔しそうに拳を握り締めながらぶるぶると肩を振るわせ、顔を赤くさせている。

 そこで、ペリューシアはなんとなく察した。

(セドリック様はお姉様のことが――苦手なんだわ。誰に対しても思いやりがあって優しいのに……お姉様のことだけは)

 基本的に誰にでも気さくで寛容なセドリックが唯一嫌悪感を見せるのが、姉だった。確かにロレッタは高慢で横柄で、人に嫌われやすい性格をしているのは事実だ。

「何よ……っ、さっきまでペリューシアと楽しそうに話していたくせに!」

 爪を噛み、目尻を吊り上げながら声を上げるロレッタ。

(あらら……わたくしはどうしたらいいのかしら)

 あからさまに不機嫌を滲ませる姉を前に、どうしたものかとあちらこちらに視線をさまよわせる。冷や汗を浮かべながらどうにか笑顔を繕って、彼女を宥めようと試みる。

「あの……もしよかったらクッキー……食べる?」
「いらないわよ、こんなもの!」

  機嫌を損ねないようにきわめて慎重に話しかけたつもりだったが、どうやら神経を逆撫でしてしまったらしい。

 彼女はクッキーが入った箱をテーブルから滑り落とした。割れたクッキーが地面に散らばるのを唖然と見つめていると、彼女は立ち上がる。

「……彼に愛されているからっていい気にならないで。正妻の子がそんなに偉い? あたしのこと馬鹿にして――ほんとむかつく」

 そう吐き捨ててから彼女はくるりと背を向け、クッキーを踏みつけながらガゼボを去っていった。
 
 ペリューシアは一度だって、出生のことで姉を馬鹿にしたことはない。
 無惨にも粉々になってしまったクッキーを見下ろしながら、ペリューシアはきゅっと唇を引き結ぶ。

(わたくしも――愛されている訳ではありませんわ。お姉様)
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