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「お姉様はもう……行ったみたいですわ」
「そのようだね」

 ガゼボのテーブルの向かいに座るセドリックが、ひと口飲んだ紅茶のカップをそっと置く。彼はふわりと微笑んで言った。

「協力してくれてありがとう、ペリューシア。これでこの屋敷の空気も少しは良くなった気がするよ」
「とんでもありませんわ。わたくしはセドリック様のお役に立てたら、それで……」
「君は本当に……僕のことが好きなんだね」

 くすといたずらに笑い、口角をわずかに持ち上げる彼に、ロレッタの胸はきゅうと甘やかに締め付けた。
 セドリックの笑顔は、ロレッタが知る中で最も魅力的だ。それはまるで、雲間から差した陽光のように眩しくて、ロレッタの心をどこまでも高揚させる。

 セドリックは王立学園の入学式で一目惚れした相手だ。ロレッタがどんなに言い寄っても少しもなびいてくれず、それどころか翌年に入学した妹に求婚した。

(ああ。セドリック様が……あたしの太陽が、微笑みかけてくれた)

 ロレッタはペリューシアの顔のまま頬を緩めた。

「――ええ、とても」

 セドリックが自分ではなく、妹の方を選んだときは本当に屈辱的だった。
 ロレッタは容姿も能力も、これまで何もかも妹より優れていたのに、どうして恋心を寄せていた人を妹に取られなくてはならないのか。いつだって自分は、妹以上でなくては気が済まない。それなのにペリューシアは、公爵家の跡継ぎの座も、セドリックの妻の座も何もかも簡単に手にしようとしたのだ。
 その上、セドリックは妹を選んだだけではなく、ロレッタのことを毛嫌いしていた。

 しかしそれなら、ペリューシアの身体ごと奪い取ってやれば良いのだと、ロレッタは強硬手段に出た。


 ――古代道具を使用して、妹と自分の身体を入れ替える、という。


 ウィルム王国には遥か昔、魔術師なる者たちが存在していた。彼らは魔術によって、大地に雨を降らし、作物を育て、人々の病を癒してきた。けれど、時代の流れとともにネルンという教団が権力を拡大させていくと、脅威となりうる魔術師を異端審問にかけて次々に虐殺していった。そして魔術は廃れていき、魔術師の絶滅に至ったのである。

 しかし現在も、魔術師たちが不思議な力を込めて作った道具は残り続けている。

 それを人々は古代道具と呼び、世界各国の為政者たちはその危険性から、古代道具の使用の一切を禁じ、厳重に管理してきた。この国も例に漏れず、王家が中心となって古代魔道具を管理している。

 ロレッタは古代道具のひとつ、人間同士の魂を入れ替える『入れ替え天秤』を管理していた貴族から奪い、不正使用したのである。魔道具は魔術師ではなくとも誰でも扱うことができる。

(これでようやく……この人があたしのものに……)

 この魔道具には、入れ替わりの事実を口にすると爆発するなどという効果はない。単純なペリューシアがすぐに騙されて鵜呑みにしてくれたので、口封じは問題ないだろう。

 たとえ自分の身体ではなかったとしても、この人に愛され、国随一の権勢を誇る公爵家の後継になれるのならそれでいい。欲しかったものは――全て手に入った。それだけではなく、目障りな妹も消えてくれた。

 あらゆる念願が叶ったのだ。必死に我慢していなければ、すぐに頬がだらしなく緩んでしまいそうになる。

「それにしても、驚いたよ。まさか君から妊娠したという嘘を吐くことを提案されるなんて。君は人を欺けるような性格ではなかっただろう?」
「でもそのおかげで……お姉様を追い出すことができましたわ。わたくしはあなたの心を煩わせる存在を排除したかったのです。あなたとふたり、平和に暮らしていきたいから」
「それなりに長い付き合いになってきたけれど、君に演技の才能があることは知らなかったな」

 もちろん、本物のペリューシアには演技の才能どころか得意なことはほとんどなく、嘘を吐くのも下手だ。

 妊娠をしたというのは、ロレッタの身体に入ったペリューシアをこの屋敷から遠ざけるための――嘘。
 入れ替わりの事実をセドリックや両親に気づかせたくないロレッタの思惑と、そもそもロレッタという女を昔から敬遠しているセドリックの思惑は一致していた。

 ロレッタを屋敷から追い出す、という思惑だ。

(こんな作戦に乗るなんて、セドリック様は思ったより冷酷で腹黒な人ね)

 彼女を追い出したあとは、流産したことにでもしておけばいい。その診断書はセドリックが偽造してくれることになっている。

 狙い通りに事は運び、両親を欺き、ペリューシアの冤罪を完璧に仕立てることができた。そして、ペリューシアのいない屋敷でセドリックとふたり、優雅なティータイムを過ごしているという訳だ。

(初夜のとき……セドリック様はあたしを抱かなかった。その後も……ずっと。ペリューシアのことを愛しているはずなのに、どうして?)

 同じ寝室ではあるものの、ふたりの寝台は敷居で区切られており、同じ寝台で眠ることは一度としてなかった。
 すると、セドリックが人好きのする笑顔を浮かべながら言った。

「本当に……君が白い結婚を受け入れてくれてよかったと心から思っているよ」
「……!? 白い結婚、ですって……?」

 告げられた言葉に、衝撃が走る。ロレッタの驚きをよそに、彼はきわめて平然とした態度で続けた。

「対外的には仲の良い夫婦として振る舞うこと、君は納得した上で求婚を受けてくれただろう? 君のおかげで僕は公爵になれる。本当に感謝しているよ」

 そういった細めた目には、野心が馴染んでいるように見えた。ロレッタは目を泳がせ、唖然とする。

(ああ、なんてことなの。あたしはとてつもない誤算をしていたんだわ……!)

 ペリューシアとセドリックは、愛し合って結婚したのだとばかり思っていたが違っていた。ロレッタが羨ましくて羨ましくて仕方がなかったものは――幻想に過ぎなかったのだ。

(愛していたのはペリューシアだけで、セドリック様にはその好意を――立身出世のために都合よく利用されていた。妹はこの人に、愛されてなどいなかった……!)

 なんの取り柄もないペリューシアがセドリックに愛されるなど、はなからおかしいと思っていたのだ。
 ペリューアはただ、セドリックにとって――扱いやすい駒だっただけ。

 お人好しで、押しに弱く、物分かりも良い。だからこそ、セドリックは権力のために純粋な恋心に付け入り、踏みにじり、利用していたのだ。

 目の前で愛おしいセドリックが、ロレッタが焼いてきたクッキーをひとつ食べる。ペリューシアはお菓子作りが大好きで、しょっちゅうお菓子を作ってはセドリックに食べさせていた。彼女のふりをするために、ロレッタもお菓子作りの勉強をしたのだ。

「あれ……前と味が変わったね? 少し……砂糖がいつもより多いような……」
「はっ、はは……ふふふ……っ」
「ペリューシア? 急に笑ったりして、何かおかしなことでも?」

 つい、乾いた笑みが漏れる。
 国で禁じられた古代魔道具を使ってまで、妹の身体を乗っ取ったのにもかかわらず、結局セドリックの心を手に入れることはできないとは。

(まぁ、いいわ。仮面であろうと夫婦は夫婦。形式だけでもセドリック様の妻になれたのだから。及第点ということにしておきましょう。それにしてもふふっ、つくづく馬鹿な妹ね)

 くつくつと肩を揺らし、勘違いをしていた自分と、恋心を利用されていた愚かな妹を嘲笑するのだった。
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