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しおりを挟む「本当にありがとう樹蘭! 私の命の恩人だわ……!」
宴の数日後、賢妃月鈴が内之宮を訪れた。手土産に大量の果物を携えて。
あの宴で、彼女は餅を喉に詰まらせた。らんかは皇后として振る舞う役目をすっかり忘れ、咄嗟に彼女の救護に当たったのである。
孫雁にも、上級妃を救ったことを感謝され褒賞が与えられた。恐れていたような、悪女のふりを一瞬忘れたことに関して咎められることもなかった。
彼女は赤くなった両頬に手を当てて、恥ずかしそうに俯く。
「本当に……お餅を詰まらせるなんて恥ずかしいわよね。皆の前であんな姿みせるなんて……みっともない。けれどありがとう。樹蘭がいなかったら私……死んでいたかもしれないもの」
「当然のことをしたまでだ。気にすることはない」
「…………」
月鈴はらんかの当惑を感じ取り、気まずそうな表情を浮かべた。
「私のこと真っ先に助けに来てくれたから、許してくれたんだと思ったんだけど……私の思い上がりだったのかしら」
「妾がそなたを、許す……?」
「ほら……樹蘭がおかしくなったのは後宮の悪霊に取り憑かれているせいだから、後宮を出るべきだと言ったら、すごく怒ったじゃない」
そういえば、かつて親友だった月鈴と樹蘭が仲違いした原因は、月鈴が強引に祓い師を紹介したことだと、淑妃麗明が言っていた。
もうすでに樹蘭は多くの祓い師に浄化を依頼しており、効果がなかった。散々苦心しているところに、不用意に祓い師を勧められて腹が立ったのだろう。
彼女が随分慣れた話し方をするところから、以前は仲が良かったことが窺える。
「樹蘭が実家に離婚を申し出ていたと聞いて、反省しているわ。周家の意向で一度結んだ契約が簡単に解消できるはずないものね。一番悩んで苦しんでたのは樹蘭なのに……軽々しく意見を言ったりして……」
周家は代々皇后を排出することで外戚権力を握り、権力を築いてきた一族。
権力欲はあっても、娘への愛情はなかったと孫雁から聞いている。逃げたいと樹蘭が訴えても、易々とその願いを受け入れるはずがなかったのだろう。
「樹蘭が変わったのは後宮に入ってからだった。ずっとおかしくなっいって、悪女などと呼ばれるのを見てるのは辛かったわ。でもごめんなさい、やはり親友として言わせてちょうだい。一度でいいから、お祓いをしてみしょう? 変なものが見えたり聞こえたりするのでしょう?」
らんかは俯き、裳を握り締めた。
(それは恐らく、幻覚と幻聴症状によるもの。樹蘭様は悪霊に取り憑かれていた訳じゃない。そうではなくて、きっと……)
頭の中に、樹蘭が薬を飲んでいた事実が過ぎる。
(心を――患っていた)
奇声を上げたり、異常なほどに猜疑心が強かったり、朝まで暴れたり、何かに怯えたり。それらは悪女という言葉で片づける範疇を超えている。常軌を逸しているのだ。病的なほどに。
そしてらんかは、実の父親が心を患っていたため、すぐ傍でその様子を見ていた。
父は仕事のことで悩んでいたのが病気のきっかけだったが、樹蘭の場合は後宮に入ってから変貌したのだと多数の意見が一致している。それが彼女の精神的な負担になったのだろう。
「いや、その必要はない。このごろは少し調子が良いのだ」
「本当……?」
「ああ。誠だ」
ずっと、月鈴は樹蘭のことを思い、案じていた。
樹蘭は死んでいて、ここにいるのは偽物であるのに嘘をつくのは心苦しかった。真実を知ればきっと、彼女は深く傷つくのだろう。
らんかは自分の罪悪感も声に乗せて、彼女に言った。
「長らく迷惑をかけて……すまなかった」
「……!」
すると、月鈴のつり目がちでくりっとした瞳がわずかに潤み、泣くのを堪えるように眉間に皺が寄る。
床に着いていた自身の手を伸ばし、らんかの手に重ねた。
「迷惑だなんて思っていないわ……! 私がどれだけあなたのことを思い、心配していたか……っ。だって私、樹蘭のことが大好きだもの」
孤立していたと思われていた後宮の中でも、樹蘭にはこんな味方もいたらしい。
けれど、自分は本物の樹蘭ではない。あくまで偽物。まがい物。その負い目から、月鈴を慰めていいのかという迷いがあった。
だが、本物の樹蘭ならどうしたか、女優として想像することはできる。心を患う前の、本来の彼女ならばどんな言葉をかけたのか思案を巡らせる。
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