【完結】毎日記憶がリセットされる忘却妻は、自称夫の若侯爵に愛されすぎている。

曽根原ツタ

文字の大きさ
上 下
10 / 21

10

しおりを挟む

 うっきうきな契約夫の姿に、胸の奥が甘く締め付けられ、切なくなった。……明日になったら、思い出すことができないから。

 仕立て屋に入ると、ユハルは服飾師に手際よくオーダーをした。彼が提案するデザインは私の好みを捉えており、尚且つ私の体型を一番魅力的に惹き立ててくれるものだった。私は音楽ばかりで服にあまり頓着しないが、ユハルは結構ファッションにこだわりがあるタイプらしい。

(もしかして、私より女子力が高いのでは)

 私が特殊な記憶体質になって忘却妻をしている間に、服の流行も変わっていたが、ユハルは時流にも精通していた。彼が今着ている服も洒落ている。私がユハルの横でただ相槌を打つだけの機械と化している間に、大まかなデザインが決まり、採寸に移った。

 女性スタッフが、長いメジャーでウエストを測りながら、私に言った。

「ご主人、見目も爽やかで優しくって、おまけにセンスも良くて、素敵な方ですね。羨ましいですわ」
「……はい。私にはもったいない旦那様です」

 本当に、私にはもったいない相手だ。ピアノばかり弾いていて、義姉や父のように勉強ができる訳でもないし、政治のことはさっぱり分からない。性格も淑やかとはいえないし、お転婆ばかりして育った。ユハルがどうして私を深く想ってくれているのか不思議だ。

「そう?   あたしには、ぴったりお似合いのご夫婦に見えますよ。店の外で仲良く手を繋いで歩かれているご様子なんて、とっても仲睦まじげで……」
「まぁ。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
「夫婦仲がよろしくて、結構なことじゃありませんか」

 気恥ずかしくて、顔が熱くなる。お似合いの夫婦だと言ってもらえたことは、世辞だと分かっていても嬉しかった。けれど、嬉しい褒め言葉も、明日には忘却の彼方だ。

 注文を終えて店を出た。私たちは帰りも恋人のように手を繋ぎ、少し遠回りをして馬車に戻った。少しでも長く手に触れていたいという下心がお互いにあるからだ。まるで、付き合いたての少年少女の恋のような、甘くてこそばゆい気持ちになった。

 途中で見つけた屋台で、目新しい甘味を買って食べた。パリッとした外の生地に、カスタードクリームがぎっしり詰まっており、表面がこんがり焼かれたブリュレになっている。

「甘くて美味しい……!」
「そうだね。ソフィア、僕の苺あげるよ」
「え、いいんですか?」
「うん。君、好きだろう?」

 差し出された甘味に、ぱくっとかぶりつく。食べた後に、関節キスに気づき、お互い頬を赤らめた。……記憶喪失の私はともかく、ユハルは慣れているだろうに、なぜこんなに反応が初心なのだろうか。

 帰りの馬車の中で、私は礼を伝えた。

「今日一日……楽しくてあっという間でした。連れてきてくださって、ありがとうございました、ユハル様」
「こちらこそ。一緒に来てくれてありがとう。君と共に過ごせて、大切な思い出がまた一つ増えたよ」

 完全に愛する相手に言うセリフだ。もう突っ込む気はない。それより、こんなに甘やかして溺愛してくれる夫との幸せな一日を忘れてしまうことが、寂しかった。

 それはまるで、水面にできた泡が一瞬で弾けて消えるように。きっと今までも、淡い泡がいくつも沸いては消えてきたのだろう。

「……明日になったら全部、忘れてしまうのが残念です」
「大丈夫」

 俯きがちな顔を上げると、ユハルは穏やかに微笑んでいた。そこに悲しさや落胆の感情はない。

「僕が代わりに覚えているから。それにね、一度経験したことは、忘れたとしても心の中には残っているものだよ」

 この人はなんて強い人なのだろうと思ったのと同時に、彼の言うことが少し理解できた。

 ユハルが私に惜しみなく注いでくれた愛情が、コップから溢れるほど溜まっているような……そんな感覚がする。私はこの人に愛されているという確信がある。きっと、ユハルと過ごしてきた長い時間が、記憶とは別の形で、私の中に刻まれているのだろう。

(この人の妻になれて、良かった)

 私はそっと微笑みを返した。窓の外は夕焼けに染っており、オレンジ色の陽光がユハルを照らしていた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】私を忘れてしまった貴方に、憎まれています

高瀬船
恋愛
夜会会場で突然意識を失うように倒れてしまった自分の旦那であるアーヴィング様を急いで邸へ連れて戻った。 そうして、医者の診察が終わり、体に異常は無い、と言われて安心したのも束の間。 最愛の旦那様は、目が覚めると綺麗さっぱりと私の事を忘れてしまっており、私と結婚した事も、お互い愛を育んだ事を忘れ。 何故か、私を憎しみの籠った瞳で見つめるのです。 優しかったアーヴィング様が、突然見知らぬ男性になってしまったかのようで、冷たくあしらわれ、憎まれ、私の心は日が経つにつれて疲弊して行く一方となってしまったのです。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

【完結】記憶喪失になってから、あなたの本当の気持ちを知りました

Rohdea
恋愛
誰かが、自分を呼ぶ声で目が覚めた。 必死に“私”を呼んでいたのは見知らぬ男性だった。 ──目を覚まして気付く。 私は誰なの? ここはどこ。 あなたは誰? “私”は馬車に轢かれそうになり頭を打って気絶し、起きたら記憶喪失になっていた。 こうして私……リリアはこれまでの記憶を失くしてしまった。 だけど、なぜか目覚めた時に傍らで私を必死に呼んでいた男性──ロベルトが私の元に毎日のようにやって来る。 彼はただの幼馴染らしいのに、なんで!? そんな彼に私はどんどん惹かれていくのだけど……

居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。 父親は怒り、修道院に入れようとする。 そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。 学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。 ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。

美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯? 

罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】 私には婚約中の王子がいた。 ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。 そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。 次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。 目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。 名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。 ※他サイトでも投稿中

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

処理中です...