【完結】小公爵様、死亡フラグが立っています。

曽根原ツタ

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二章

〈51〉小公爵様、死亡フラグが立っています(2)

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 これは、ロベリアとのピクニックの日からしばらく過ぎたころ。冬というにはまだ早く、木々の黄色や赤が美しい秋晴れの日。まだ学園に編入してまもないアリーシャは、校舎内で迷っていた。

(図書館の場所が分かりません。……そもそも、こちらはどこなのでしょうか)

 きょろきょろしながら校舎の中を歩いていると、後ろから声をかけられた。

「何かお困りかな?」

 低く艶のある声に振り返ると、ユーリが立っていた。漆黒の髪に、深碧色の瞳。端正な顔立ちはさぞ人好きするだろう。
 そしてこの人は、ナターシャの幼馴染であり――ロベリアの恋人だ。彼に失礼があれば、ロベリアに失望されてしまうかもしれない。そう考えただけで血の気が引いてしまう。

「は、はい……。図書館の場所が分からなくて」
「ああ、図書館は西講堂の隣の建物……って、西講堂も分からないよね」
「……ご、ごめんなさい」

 アリーシャが申し訳なさそうに言うと、彼が微笑んだ。

「どうして謝る?   まだ不慣れなのは当然さ。案内するから、一緒においで」
「!   ありがとうございます……!」

 アリーシャはぎこちなく礼をして、ユーリに並んだ。彼は、すれ違う女性たちの注目を集めていた。

(きっとこの方は、多くの方に愛されて、良い思いばかりされてきたのでしょう)

 思考が卑屈な方にばかり傾くのは、アリーシャの悪い癖だ。しかし、不自由な過去の暮らしで培ってきた長年の癖というのは、変えられるものではない。病は治るが癖は治らず、とはよく言ったものだ。

「ユーリ様……は、ロベリア様とお付き合いされているのですよね」
「うん」
「……あんなに素敵な方は、なかなかいません。……思いやりに満ちていて、沢山の人に好かれていて、私に持っていないものを沢山持っておられます。……私なんかとは全然違います」
「……」

 つい弱音を吐露すると、ユーリが立ち止まってこちらを見下ろした。まるで、憐れむように眉を寄せながら。

「アリーシャ嬢は、自分のことが嫌いかい?」
「……!」

 アリーシャは予想外の問いに驚いた後、なんのてらいもなく――頷いた。

「……嫌いです。なんの取り柄もなくて、卑屈で、後ろ向きで、悪いところばっかりの自分なんて、好きではありません」

 いつもは物静かなアリーシャだが、自分への悪口ならすらすらと言えてしまう。ユーリは苦笑する。

「はは、僕と同じだ。僕も少し前まで、自分のことが大嫌いだったよ。……憎いくらいに」
「え……」

 そのときだった――。秋の爽やかな風に吹かれ、ユーリの前髪が揺れる。

「……っ。ひどい傷跡……」

 アリーシャは自分の口から零れた言葉にはっとし、口元を塞いだが遅かった。デリカシーのない自分を責める。

「見えちゃった?」

 ユーリは自分の前髪を撫で上げて、額の右にある痛ましい傷跡を見せた。恐らくは、何年も前の古い傷だ。前髪に隠れて分からなかったが、彼の彫刻のような顔に不釣り合いな傷が大きく残っている。

「幼いころ、義理の母に付けられた傷さ。母は少々、手荒な人でね」
「……そんな……っ」
「このことは他言無用で頼むよ」
「はい。弁えております」

 公爵夫人が義理の母、ということは、実母は一体誰なのか。それに、義母に暴力を受けたのは、そのとき限りの話しなのか、日常的になのか……。しかし、やたら滅多に聞いてはならないだろう。

「僕は自分が嫌いだった。不貞でできた子どもだから、酷い目に合うのは至極当然だと思っていた。いつも孤独で、何をしても満たされなかった。だけど最近、気付いたんだ。自分に本当に欠けているものが」
「欠けている……もの?」
「そう。ロベリアやナターシャにはあって、僕らには足りないこと」

 アリーシャは息を飲んで、彼の言葉を待った。

「"自己受容"だよ。他人から愛されるよりも前に、自分を受容し愛するんだ」
「……自己受容」
「そう。僕は、他人に肯定されてこそ意義があると思っていた。他人軸な生き方は窮屈だ。自分の外に目を向けるんじゃなくて、自分の内側を見つめる。ロベリアやナターシャは、周りに非難されたって、自分の道を貫いたでしょ?   まぁ、彼女たちほどになれとは言わないけど」

 ナターシャは、学園中の生徒たちを敵にしても、マティアスとユーリを手放さなかった。自分が本当に大切にしたい人を選んでいた。きっとアリーシャなら、悪口を言われたら自分の意志をねじ曲げて、二人から離れていたかもしれない。ロベリアも、いつだって自分の信念に基づいて行動している。

 ユーリの深碧の瞳の奥が微かに揺れた。

「自分を許してあげて。君はよく頑張ってる。だから、ありのままの自分を愛してあげて。嫉妬も劣等感も、愛おしい君の心だ。誰がなんと言おうと、君はそのままでいい」

 ユーリの言葉は、心の奥にぐっと刺さるものだった。ロベリアとはまた違う場所が刺激される。

 彼の言葉を頭の中で反芻していると、彼が遠くへ指を差した。

「あの赤レンガの建物が図書館だから」

 アリーシャは彼にお辞儀した。

「親切に……ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして。それじゃ――

 労りに満ちた柔らかい微笑を見て、理解した。

(ロベリア様がこの方を好きになった理由が、分かる気がします。……この方は、まとっている空気がロベリア様によく似ている。とても、強い方)

 道案内を終えて踵を返したユーリを、引き止める。

「ま、待って……!」
「……?   どうかしたかな?」
「あっあの……!   ロベリア様のこと、独り占めはしないでください……!   私の、私のお友だちでも、あるので……っ」

 ユーリは少し目を見開いた後、意地悪に口の端を上げた。

「――それは難しいお願いだ」
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