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二章
〈41〉わ、私のために争わないでくださいっ!(1)
しおりを挟むアリーシャとのピクニックから数日。ロベリアは、タイスとポリーナと共に学園の食堂で昼食を取っていた。
「それで? 愛らしい天使様と水入らずのピクニックデートは楽しかったのかしら」
「ええ。とても楽しかったわ」
「それはそれは羨ましいこと。今度はあたしたちのことも誘ってくださいな。もう、自由に遊べる時間も長くはないんだから」
タイスはそう言って、悩ましげな表情を浮かべた。タイスに釣られるように、ポリーナもため息をつく。
「卒業したら、皆それぞれの道に進んで忙しくなっちゃうもんね。ナターシャちゃんなんて特に、王妃になったら気軽に会えなくなるよ」
「そうね……妃教育って物凄く大変だと聞くけど、ナターシャは大丈夫かしら」
「大丈夫だよ。彼女はおっとりしているように見えて、かなりしっかりしてらっしゃるから」
シュベットは卒業後騎士団に所属が決まっており、タイスとポリーナは幼い頃からの婚約者と正式に婚姻を結ぶ。リリアナは、実家の商業会社を継ぐため、現社長の父親の元で学ぶという。
「ロベリア様はどうなさるのよ。ユーリ様からプロポーズはもうされたんです?」
「まだよ」
「ええ!? ユーリ様ったら何をもたもたされてんのよ。なっさけない男ね! ロベリア様なら、家格にも問題はないでしょうに」
ユーリも、ロベリアとの将来についてなんの考えなし……ということはないだろうが、結婚というのは当人の気持ちだけでできる訳ではない。結婚は家同士の契約。特に、ユーリの生家ローズブレイド公爵家は事情が複雑であった。
父親との関係は希薄。いずれ爵位を継ぐため、父の仕事の補佐をしているらしいが、親子間の愛情は無し。また、義母にあたる夫人はユーリを毛嫌いしている。正妻である夫人と公爵の間に子どもは授からず、妾の子が後継となるのだ。夫人の気持ちも分からなくはない。
(ま、待って……。ユーリ様と結婚するということは、ローズブレイド夫妻が私の義家族になるってこと……!?)
ロベリアは目眩がして額を手で押えた。
ユーリの口から、結婚の話はおろか、家の話も聞かされたことはない。結婚はまだ遠い話だろう。
「結婚を焦るつもりはないの。別に、結婚という形にこだわるつもりもない。――私、あの人と一緒に過ごせるだけでとっても幸せだから。気長に待つわ」
幸いなことに、ロベリアの実家は、ローズブレイド公爵家に遜色ない公爵家なのが救いだ。ロベリアがタイスにそう打ち明けると、後ろのテーブルからくすくすと笑い声が聞こえた。
「やはり、かの小公爵様に本気にされていなかったのですよ」
「気長に待つなんて……健気で哀れですわ。ふふ」
それは、明らかにロベリアに向けた嘲笑だった。どうやら、後ろの令嬢たちはロベリアたちの話を盗み聞きしていたようだ。品位に欠けた行為だが、ロベリアは聞く耳を持たず黙々とフォークを動かした。
「行くわよ、ポリーナ」
「うん」
タイスとポリーナは目配せし合い、立ち上がった。
「ちょ、ちょっと二人とも……? 何するつもり……?」
二人はロベリアの制止を無視して、つかつかと後方のテーブル席に歩み――
――バンッ!!
タイスが思い切りテーブルを叩き、テーブルの上に置かれたカップが倒れ、白いクロスが紅茶で染まっていく。食堂内がシン……と一瞬にして静まり返る。タイスは眉間に皺を寄せて、威圧的に令嬢立ちを見下ろした。若い令嬢とは思えない貫禄がある。
「今の発言、取り消しなさいよ。今すぐロベリア様に謝罪しなさい!」
「私たちは、ロベリア様への不敬だけは絶対に許さないから」
タイスは腕を組み、ポリーナは拳を固く握りしめながら令嬢たちを睨みつけている。かつて、この二人がこれ程怒りを顕にしたことは一度もない。
「ちょっと二人とも……落ち着いて? 私は大丈夫だから――」
「「ロベリア様は黙ってて!」」
ロベリアの言葉は怒り心頭の二人にぴしゃりと跳ね除けられる。
(あら、この令嬢。この前転んだところをユーリ様が助けた……)
ロベリアの悪口を言っていた令嬢は三人。その内の一人は、以前ユーリが医務室まで運んだ茶髪の娘だった。そのときも、ロベリアに嫌味を言ってのけた図太さの持ち主だ。
その令嬢がいぶかしげに言う。
「まぁ。あなたたちこそなんですか? 私たちが無礼を口にした証拠でもあるのですか?」
「そうよそうよ。この方はニア・チェンス侯爵令嬢。家格の序列は、タイス様やポリーナ様のお家より上。無礼なのは、おかしな言いがかりを付けてきたあなたたちの方ね」
「……」
茶髪の令嬢は、ニア・チェンスというらしい。タイスやポリーナも侯爵家ではあるが、同じ爵位ではあっても細かな序列が存在する。例えば、公爵家の中でもローズブレイド家が別格であるように。
「お騒がせしてすみません。ニア・チェンス嬢。タイスにポリーナも、もう十分だから。食堂をもう出ましょう」
「で、でも……」
ポリーナは悔しそうに顔をしかめた。しかしロベリアは、大事な二人の名誉をこんなことで傷つけたくなかった。ロベリアは責任者として、悪口を言ってきた令嬢たちに対して頭を下げた。
しかし、大人の対応を取ったロベリアに反して、ニアは大人ではなかった。
「待ってくださいロベリア様。まだ、彼女たちに謝罪していただいてません」
(……なんですって?)
ニアの口ぶりに、さすがのロベリアも腹に据えかねた。
「そうよそうよ! 謝りなさい!」
愉快そうに底意地の悪い笑みを浮かべる令嬢たち。ロベリアが声を上げようとした――そのとき。
「――この騒ぎは一体何事ですか」
食堂の外からやって来て、ロベリアたちを庇うように立ちはだかったのは――ナターシャだった。
絹糸のように艷めく銀色の髪をなびかせた彼女は、堂々たる佇まいで令嬢たちを見据えている。そこには、かつて誰からも敬遠され、肩を竦めていた嫌われ者としての面影はない。王妃候補としての、威厳があった。そして彼女は、両脇に筆頭公爵家の麗しの令息ユーリと、王太子マティアスを連れている。
(な、なんというか、画が強すぎるわ……)
ロベリアは目を眇めた。
ナターシャは、令嬢たちを冷たく見つめている。その眼差しは、美しさも相まって鋭さを帯びている。今の彼女の姿は、かつて美貌の貴公子二人を篭絡し、蠱惑の"悪女"と囁かれた通り、掴みどころのない威圧感と恐怖を感じさせる。
後ろに立つ青年二人も、あくまでナターシャに付き従っているという態度。――まるで、本物の悪女が彼らを侍らせているようだった。
毅然とした様子で令嬢たちと対峙してはいるものの、小刻みに震えるナターシャの指を見て、ロベリアは眉尻を下げた。
(ナターシャ……。私のためにこんなに堂々として……。私を守ってくれようとしているんだわ)
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