29 / 51
二章
〈29〉アリーシャのままならない日々(1)
しおりを挟むナターシャの双子の妹、アリーシャは生まれつき体が弱く、病気がちだった。都市の喧騒の中での暮らしより、静かな田舎でのんびり暮らした方がいいだろうという両親の計らいで、子どもの頃から十八になる現在まで田舎の屋敷での生活を強いられている。自分たちは都市で快適な暮らしをしているくせに。こちらはありがた迷惑だった。
アリーシャは、本心を誰かに言うのが得意ではなかった。しかし、内心では田舎での暮らしを窮屈に感じていた。
天蓋付きの寝台から身を起こし、読みかけの本に栞を挟んで、サイドテーブルに置く。寝台から立ち上がり、窓を少し開けて、窓の傍の椅子に腰を下ろした。
窓から吹き込む爽やかな風が、アリーシャの艶やかな長い銀髪を揺らしている。アリーシャは、今朝方届いた手紙を手に取り、乱雑に封を切った。
「…………」
送り主は、姉のナターシャ。彼女から毎週のように届く手紙には、家族や友人のこと、近況報告などが流麗な筆跡で綴られている。
(……よく飽きもせず、毎週毎週送ってくるものですね)
ナターシャは愛情深く思いやりがある。一日中家の中に引きこもっている妹が退屈しないようにと、手紙や流行りの本、可愛らしい雑貨や服などをせっせと送ってくるのだが――。アリーシャは、彼女の気遣いを鬱陶しく思っていた。
健康な肉体を持ち、人並みの社会生活を送り、両親や友人の近くでめいいっぱい愛情を注がれ、何不自由暮らしてきたであろう姉。そんな姉のことが、妬ましくて、憎らしくて仕方がなかった。
「全部全部、嫌味のつもりですか、お姉様。……くだらない」
アリーシャは地を這うように低く冷たい声でそう呟き、手紙を破り捨てた。
――コンコン。
ちょうどそのとき。部屋の扉をノックする音が聞こえた。アリーシャは玲瓏な声でどうぞ、と中へ入るよう促した。
「お嬢様。旦那様がお見えです。こちらにお呼びしますか」
中に入ってきたのは、愛想のない茶髪のメイドだった。
「お父様が? 一体なんの用事ですか?」
「そんなの知りませんよ。あなたが自分で確かめたらいいでしょう。いちいち私に聞かないでください」
「……ごめんなさい。着替えたら直接客間に行くとお伝えください」
「かしこまりました。もちろんお支度は自分でやってください。私は手伝いませんから」
「……」
屋敷に仕える使用人の中には、こうしてアリーシャに無礼な者もいる。気が弱く若いという理由で、舐められているのだ。もしナターシャのように愛想がよければ可愛がられたかもしれない。しかしアリーシャは、無口で無表情。大人たちの目にはそれが可愛げのない娘に見えた。
アリーシャも、何を言われても大人しく全く反発しない。彼女は、そういう問題を誰かに相談するなどして解決するという術を知らず、耐え忍ぶことを覚えて育ってきたのだ。そういう精神のあり方は、健全な状態ではないだろう。
メイドの物言いに、すっかり憂鬱な気分になりつつ、父に会うために身支度を整えた。客間では、いつもアリーシャを見下していた使用人たちが、父に対してへりくだるような態度で接待していた。
「お久しぶりです、お父様。本日はどうなさったのですか」
「体調はどうだね? お前にある提案があってな。さぁ、そんなところに突っ立っていないでこちらに座りなさい」
「体調なら、お医者様の報告がそちらにいっているはずですのでもうご存知でしょう。提案? ……またどうせ、新しい民間療法か何かですか」
アリーシャの冷淡な態度に、父のエヴァンズ男爵は悩ましげな表情を浮かべた。そして、彼に言われた通り向かいに座る。
両親は、アリーシャが少しでも強く健康になるようにと、異国の訳の分からない治療や民間療法を次から次へと探してきて、散々試してきた。弱い体を変えるのではなく、弱い体に折り合いを付けて、日々楽しく幸せに過ごすための努力に切り替えてくれたならどんなにか有意義だろう。……とは、控えめなアリーシャには言えないのだが。
(どうせまた、面倒な治療の話……。お父様の提案なんて、ろくでもない話ばかりです)
体の方は、昔より安定している。季節の変わり目や、気圧の変化で普通の人より体調を崩しやすいものの、生活に特別不自由があるという訳ではないのだ。しかし、過保護な両親の配慮により、生産性のない、ただ肉体を生かすためだけの日々を生きている。
(これではまるで――鳥籠の中の鳥。でも……自分の思いをはっきりと言えない私が悪いんです。こうなったのは全部……私のせい。お父様を責めるのは間違っていると……本当は分かっています)
父の言葉を当てにはしていなかった。しかし、彼から告げられた言葉は予想外のものだった。
「いや、そうではないんだ。お前さえよければ――都市の本邸で私たちと共に暮らしてみないか?」
「え……?」
50
お気に入りに追加
457
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
悪役令嬢の生産ライフ
星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。
女神『はい、あなた、転生ね』
雪『へっ?』
これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。
雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』
無事に完結しました!
続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。
よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m
お飾り公爵夫人の憂鬱
初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。
私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。
やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。
そう自由……自由になるはずだったのに……
※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です
※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません
※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
破滅ルートを全力で回避したら、攻略対象に溺愛されました
平山和人
恋愛
転生したと気付いた時から、乙女ゲームの世界で破滅ルートを回避するために、攻略対象者との接点を全力で避けていた。
王太子の求婚を全力で辞退し、宰相の息子の売り込みを全力で拒否し、騎士団長の威圧を全力で受け流し、攻略対象に顔さえ見せず、隣国に留学した。
ヒロインと王太子が婚約したと聞いた私はすぐさま帰国し、隠居生活を送ろうと心に決めていた。
しかし、そんな私に転生者だったヒロインが接触してくる。逆ハールートを送るためには私が悪役令嬢である必要があるらしい。
ヒロインはあの手この手で私を陥れようとしてくるが、私はそのたびに回避し続ける。私は無事平穏な生活を送れるのだろうか?
家族と移住した先で隠しキャラ拾いました
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
「はい、ちゅーもーっく! 本日わたしは、とうとう王太子殿下から婚約破棄をされました! これがその証拠です!」
ヴィルヘルミーネ・フェルゼンシュタインは、そう言って家族に王太子から届いた手紙を見せた。
「「「やっぱりかー」」」
すぐさま合いの手を入れる家族は、前世から家族である。
日本で死んで、この世界――前世でヴィルヘルミーネがはまっていた乙女ゲームの世界に転生したのだ。
しかも、ヴィルヘルミーネは悪役令嬢、そして家族は当然悪役令嬢の家族として。
ゆえに、王太子から婚約破棄を突きつけられることもわかっていた。
前世の記憶を取り戻した一年前から準備に準備を重ね、婚約破棄後の身の振り方を決めていたヴィルヘルミーネたちは慌てず、こう宣言した。
「船に乗ってシュティリエ国へ逃亡するぞー!」「「「おー!」」」
前世も今も、実に能天気な家族たちは、こうして断罪される前にそそくさと海を挟んだ隣国シュティリエ国へ逃亡したのである。
そして、シュティリエ国へ逃亡し、新しい生活をはじめた矢先、ヴィルヘルミーネは庭先で真っ黒い兎を見つけて保護をする。
まさかこの兎が、乙女ゲームのラスボスであるとは気づかづに――
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています
平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。
自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる