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一章

〈6〉小公爵様、取引しましょう(6)

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 そして。人払いがされた室内で、ロベリアはナターシャを庇護する代わりに彼女に愛の告白をしろ、などというとんでもなく無茶な要求を突きつけたのである。

(や、やってしまったわ……)

 ロベリアはだらだらと冷や汗を流した。何しろ、完全に思いつきで口走った提案だからだ。

「…………は?  告白って……君は何を言ってるんだ?」
(あはは……本当に何を言ってるんでしょう……)

 しかしあそこまで声高に豪語しておいて、今更後には引けない。ロベリアは一旦開き直ったら強い。

「言葉の通りです。ナターシャに想いを告げてください。まぁ……フラれるんですけれど」
「…………は?」

 ユーリは完全に目が点になっていた。

 小説『瑠璃色の妃』において、ナターシャの双子の妹、アリーシャ・エヴァンズがユーリを刺したその動機。それは――ナターシャに対する激しい嫉妬と劣等感だ。

 アリーシャは幼少の頃から病弱で、今も都市から離れた田舎の屋敷で療養生活を送っている。アリーシャは、ナターシャの健康な肉体も、明るく清らかな性格も、両親の近くで愛情を受けながら育ってきたその境遇も、何もかも妬ましく思っていた。

 そんなアリーシャは、半年後この王立学園に編入するのだが、ひと目でユーリに恋をするようになる。しかしユーリは、アリーシャが羨んで仕方がない姉に執心していた。彼女はその事実に絶望し、姉への烈情を募らせていく。そして、卒業式典で事件は起こる。

 ナターシャは、国で最も高貴な王太子との婚約を式典後の夜会で発表し、幸せの絶頂を迎える。アリーシャはすでに、心を壊していた。ナターシャの晴れ姿に憤り、あろうことかその怒りの矛先を、姉を愛しているユーリに向けたのだ。

(もし……ユーリ様がナターシャを愛していなければ、悲劇が起こる可能性が少しは減るのかもしれない。少しは未来を変えられるかもしれない)

 それにしても、もっとまともな案は思いつかなかったのか。とにかくロベリアは、非常に短絡的で、理知的とはいえない。

「……ユーリ様は、ナターシャへの深い愛情をひた隠しにしたまま、この先もずっと彼女だけを想い焦がれていくおつもり?  ……いつかは前を向いて、あなたの道を生きていかなければならないでしょう。ユーリ様は、公爵家の家長として、家督を継いでいく責務がおありなのだから」
「余計なお世話だよ。これは僕自身の問題だ。それに、ナターシャへの想いを断たせて、君になんの意味がある?  僕は他の女性を好きになることはないよ。はっきり言って、君には心底失望している」
「……あの、その言い方ではまるで、私があなたに振り向いてほしいがために失恋させようとしているみたいじゃない」

 ユーリは冷めた目で、「違わないだろ」と言った。
 いや、全然違うのだが。きっとこれまでユーリは、ロベリアの想像を遥かに上回るほど女性たちからもてはやされてきたのだろう。日陰の底を這いずるような青春を過ごしてきた身としては、羨ましい限りである。さすがは、国一の婿候補などと謳われるだけある。

 ロベリアは小さく息を吐いた。

「……これは、ただの自己満足の人助けなんです」
「人助け?」
「ええ。空回りすることもあるけれど……それでも、誰かの役に立ちたいって、心から思ってる。困っている人がいたら、相手が誰であろうと全力で手を伸ばして引き上げてあげたい。それが私の信条なの」
「その話が、この件となんの関係があるんだ?」

 ロベリアは、真摯な眼差しでユーリをまっすぐ見つめた。

「……あなたに前を向いてほしいのよ。そうでないと……ユーリ様も……皆、だめになってしまうから……」

 アリーシャに関われるのは今から半年後。それまでの間、できることといったらみっともなく足掻いて、小説のストーリーをなんでもいいから改変することだ。
 もし、ユーリがナターシャへの固執を手放していたら、ナターシャが姉への嫉妬心で狂気に走るのを止められるかもしれない。何がどう転ぶか全く予想もつかないが、何もしないでいるよりは余程マシだ。

 思いつきで発した要求だったが、それでも告白をきっかけに、彼が少しでも前に進んでいけたらという願いが根底にある。

「私……あなたや、あなたが大切に思っているナターシャに決して酷いことをするつもりはないわ。それだけは――信じて」

 ロベリアの切々とした表情を見て、ユーリの美しい深碧の瞳の奥が微かに揺れた。

「取引っていうのは……冗談としても。今は、ナターシャの傍にいることを許してくれないかしら。彼女の信頼を裏切ることはしないと約束するわ」
「……僕が君を信頼するに値しないと判断したら、どんな手を使っても彼女から離れてもらうよ」
「構わないわ」
「…………」

 ユーリはロベリアのすぐ前まで歩み寄り、長くしなやかな指で、彼女の顎をそっと持ち上げた。そして、艶美な微笑みを浮かべて囁く。端正な顔が、間近で目視できる。

「いいよ。今回は君に騙されてあげる。僕を失望させないように、せいぜい頑張ってみるといい」
「あの」
「……何?」
「ご自慢の綺麗なお顔をひけらかしたいのかもしれませんが、そういった自己主張はいかがなものかと。――離れてちょうだい」
「はは、面白くない奴」

 ロベリアは両手で彼の体を引き離し、そそくさと生徒会室を後にした。彼女の後ろ姿を見ながら、ユーリはなぜか愉快そうに口の端を上げた。
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