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一章

〈2〉小公爵様、取引しましょう(2)

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 ロベリアが前世の記憶を取り戻したのは、つい二週間前のことだ。

「おはようアニー。今日もとても良い朝ね」 
「おはようございます、お嬢様。朝食のご用意ができておりますよ」
「そう、すぐに食堂へ行くわ」

 いつものように目を覚まし、傍らのメイドと挨拶を交わす。しかし、ベッドから立ち上がったそのときだった。
 途端に、辺りの空気が希薄になったような気がした。目の前に閃光が走り、呼吸が苦しくなる。そして、ロベリアの脳内に膨大な情報が流れ出した。瞼の奥に映し出されていく、見たことのない景色や建物、知らない人たち……。

「うっ…………」

 ロベリアは堪らず、頭を抱えながらその場にうずくまった。

「お、お嬢様!?  いかがなさったのですか……っ! しっかりしてください、お嬢様…………!」

 アニーの声はどんどん遠のいていき、まもなく意識を手放した。

 再び目を覚ましたとき、これまでロベリア・アヴリーヌとして生きてきた記憶の他に、日本人としての記憶が蘇っていた。
 目を開けた先には、見慣れた天井と、心配そうにこちらを見下ろしているアニー。つい先程も同じ光景を見ていたはずなのに、どこか妙な心地だ。

「お嬢様……っ。良かった、お気づきになられたのですね。半日以上眠っていらしたのですよ……!」
「え……そんなに……?」

 窓の外へ視線をやると、既に夕暮れの気配が漂っていた。窓の外から差し込むオレンジ色の淡い光が、部屋の床に少し歪な四角形を描いている。

「今、お医者様を呼んで参りますからね!」

 ぱたぱたと足音を立てて出ていったアニーを見送り、ロベリアは頭の中の情報を整理した。
 今、二度目の人生を生きるこの世界は、前世に読んでいた――小説『瑠璃色の妃』の世界だ。

 ロベリアという人物は、小説に登場していない。いわゆるモブというやつだ。しかし、モブの中でもそこそこ好待遇で、王都から離れた片田舎ではあるが、公爵家の娘として育てられた。刺激的とはいいがたい、無為という贅沢な子ども時代を過ごし、現在は王都の王立学園に通っている。アヴリーヌ家の本邸とは別に、学校近くのタウンハウスで少数の使用人たちと共に下宿している。

 ロベリアの父、アヴリーヌ公爵は、凡庸で目立つ人ではなかったが、領民からは好かれていた。穏やかな両親の元で育ったロベリアも、派手なことは好まず、慎ましやかな気質を受け継いでいた。

(この一年後に人が死ぬことを、私だけが知ってるなんて……)

 ロベリアは頭を抱えた。
『瑠璃色の妃』において、主要人物であるユーリは、一年後の卒業式典後の夜会でナターシャの妹に刺されて夭逝する。

 この事実を知っているのは、紛れもなくこの世界でロベリアただ一人。ロベリアは、目立つことも刺激的なことも好まない。しかし、人一人の命がかかっているのに、それを見過ごすほど冷酷ではなかった。

 ユーリ・ローズブレイドといえば、家柄、容姿、能力に恵まれ、完璧な貴公子として学園内で最も有名な人物だ。平凡を絵に書いたような日々を送ってきたロベリアにとっては、あまり関わりたくない相手。更に、ただのモブたる矮小な存在の自分に、一体何ができるだろう。

 思いつくのはせいぜい、主人公であるナターシャを連れたユーリに向けて、「ちょっと!  その女誰よ!」とか「私たちのユーリ様に近づかないで!」……と、ありがちな野次を飛ばすことくらいだ。モブというのは、本来そういうささやかな存在だ。

(見殺しにするのも寝覚めが悪いし……でも、あと一年しか時間がない上、なんの解決の手がかりもない……)

 まさに、前途多難。待ち受けるのは茨の道だ。――しかし。

「ま、やれるだけやって、後はなるようになるでしょ。いっちょストーリー改変してやろうじゃない!   深く考えるだけ無駄よ無駄」

 前世のロベリアは、今世とはひと味違う。思い切りが良いといえば聞こえは良いが、行き当たりばったりで少しばかり――短絡的だった。

 ロベリアはこの先に起こる悲劇を知る者としての義務を果たすと決めた。

 かくして。猪突猛進系弾丸令嬢による、当て馬救済への奮闘劇が幕を上げるのだった――。
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