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 目が覚めると、熱が下がって身体がだいぶ楽になっていた。部屋は真っ暗で、窓の外に月が光っている。起き上がってぐっと伸びをした。

(よく寝た……)

 身体が楽になったから、お腹が空いている。ぎゅるぎゅると音を立てる腹部を摩り、寝台から立ち上がる。

「にんじん……じゃがいも……玉ねぎ……」

 深夜なので、使用人たちはもう眠っているだろう。厨房に行って、適当に食べ物を探そうと思い部屋を出る。

「ニシン……サーモン、タラ……タイ……イワシ……」

 ぶつぶつと呟き、よだれを垂らしながら廊下を徘徊する姿は、全然淑女らしくない。厨房に向かって歩いている途中、ふと昼間のことが脳裏によぎり、ぴたっと歩みを止める。

『好きだよ。――スフィミア』

 あの声は誰だったのだろうか。夢でも見ていたのかもれない。でも、夢にしてはやけにはっきりと耳に焼き付いている。低くて爽やかな声だった。それに――。

(頬を、撫でられたような……)

 自分の右頬に手を伸ばす。確かにあのとき、朦朧とする意識の中で節ばった手が肌に触れたような気がした。

「旦那、様……?」

 もしかして、伏せっているスフィミアを心配して来てくれたのではないか。そんな推測が頭をよぎる。スフィミアは、優しく肌を撫でてくれた感触をなんとか思い出そうとした。

 すると、廊下の先に人影が見えた。背が高い男性の影が壁に映っている。直後、淡い光が四散して、その中からアドニスが現れた。

「スフィミア……」

 スフィミアの姿を捉えた彼が、こっちに走ってくる。彼はスフィミアの服の裾をぎゅっと握り、顔をお腹に擦り付けてくる。

「アドニス様、どうかなさいました?」

 彼がこんな風に甘えてくるのは珍しい。すると、ぐるぐる……ぎゅる……とアドニスが擦り付けるお腹が鳴った。アドニスはあまりに元気な音にびっくりして肩を跳ねさせ、目を丸めた。そんなオーバーなリアクションをされるとちょっぴり恥ずかしい。

「お腹、鳴ってる」
「お、お構いなく」  

 つい数秒前まで食べ物のことを考えよだれを垂らしていたのを思い出し、袖で拭った。アドニスはこちらを見上げながら言う。

「夢を……見た」
「まぁ……怖い夢ですか?」
「ううん。すごくいい夢……だった気がする」

 珍しく甘えてくるものだから、悪夢でも見たのかと思った。でもその夢は、ハネスが見た夢なのでは。先程の人影は成人男性のものだったから、幼児化したのはスフィミアが接近したついさっきのことだろう。
 ハネスの記憶を、たまたま共有しているというパターンもあるようだ。

「お部屋に戻って眠りましょう。きっとまた、素敵な夢の続きが見られますよ」
「嫌だ」
「まぁ。私は風邪を引いているんです。移ってしまいますよ」
「移ってもいい」

 いつもは聞き分けがいいアドニスが、頑なに首を横に振った。一緒にいてあげたい気持ちは山々だが、もう夜も遅いし、風邪を移したくない。それにお腹がめちゃくちゃ空いている。

(困ったわ。私が近くにいる限り、アドニス様は子どもの姿のままだし……)

 彼から顔を逸らして、口に手を当てながらこほこほと咳き込む。スフィミアが悩んでいると、彼は潤んだ瞳でこちらを見上げながら懇願した。

「お願い。今は少しでいいから……傍にいて?」
「~~~~!?」

(か、可愛すぎる……!)

 無理。可愛すぎる。世の中にこんなにも尊い生き物がいるのかと驚きが隠せない。これはもう完敗だ。葛藤の末にスフィミアはぐっと喉を鳴らし、頷いた。

「もう……少しだけですよ」


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