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第3章 悪役令嬢と運命の紋章
48 ジェナー画伯のお絵描き講座 (1)
しおりを挟む「それで? お嬢様がどうして俺の部屋にいるんですか?」
夜会からまもなく、突然ギルフォードの宿舎の部屋に押しかけ、油絵の画材をテーブルに広げ始めたジェナー。ギルフォードが怪しむように尋ねた。
「お願いギル……! 次の評定落としたらもう後がないのよ。私の絵にアドバイスが欲しいの。悪いところは改善するから」
中間考査にて芸術科目は文句なし堂々の赤点を取ったジェナーは切羽詰まっていた。1学年の前期総合評価が下される期末課題は、他の生徒たちより早く取り掛かっているらしいが……。
(……これはまた、ひどいな)
ギルフォードは眉間を押さえるように指を当てた。
木製のイーゼルの上に乗せられた張りキャンパスには、見るに堪えないというか、見るも無惨な何かが描かれている。具象ではなく、禍々しい精神世界を表現したイメージ画のような。
「お、お嬢様……こちらは一体何を描かれたのでしょう?」
「何って、見て分からないの?」
(……全く見当もつかないが)
ギルフォードは、ごく当然のように答えたジェナーに絶句した。
「へ、へえ……なるほど、なるほど……。分かりますよ。課題のテーマは抽象画ですね」
「いいえ、写生よ。リンゴをモチーフにした写実的な絵を描いて提出」
(りんご……? そのお題なら多分、今回も評価対象から除外される気がするな)
ギルフォードは咳払いし、気を取り直して尋ねる。
「それで……その、りんご(仮)はどちらに?」
「りんご(仮)って何よ。ほら、ここ。よく見なさい」
ジェナーはキャンパスの左端に描かれた黄色い物体をトントンと指で刺した。
縦横50センチメートルほどありそうな大きなキャンパスに対し、りんごはぶどうひとつぶサイズ以下のささやかすぎる大きさで描かれている。また、本来の形や色といった造形要素は完全に無視されている。
(どんなプロセスを辿ったら、りんごがこうなってしまうんだ……? というか、りんごが課題のはずなのに、キャンパスの枠のほとんどが奇抜な色と線で埋め尽くされているのは一体……。いや、お嬢様の絵を常識に当て嵌めて考えるのは間違ってるな)
「あの、りんごの周りに描いてあるのは?」
「ああ、何だか余白がかなりできたから、もったいないと思って加えてみたの。この方が華やかでいいでしょう?」
「…………」
ギルフォードはふらりと目眩がするのを感じて遠い目をした。
「やり直しです」
「――え?」
「最初から全部、やり直しです」
「えええ……っ!?」
ジェナーは衝撃を受けた様子で目を丸くさせた。
「そ、そんなご無体な……。生の焦燥と葛藤、死への畏怖……そして諸行無常の理を実に鮮烈に教えてくれる作品になったと思うんだけど」
「そんなもの教えてくれなくていいです。ふざけているんですか? 課題はりんごの写生。そんな深いメッセージ性なんて誰も求めていません。現在、テーマから著しく外れたあなたの作品は間違いなく評価対象外です」
「…………そん……な」
ジェナーは絶句していた。
(この人、本気で良かれと思ってやっているんだから凄いと思う。天然なのか?)
しかし、ジェナーは相当に手間暇をかけて描いてきたらしく、すっかり肩を落としながら、木板のフレームに画布を再び貼り直した。
真っ白なキャンパスが乗ったイーゼルに向かって座るジェナーに言った。
「いいですか? お嬢様。写生というのは事物を見たまま描くことです。創造するのとは違います。ほら、まずは対象をじっくり観察してください」
ギルフォードはテーブルの上に乗せたりんごを指さした。
ジェナー画伯は、ふむふむと呟きながらりんごの周りをぐるりと一周して観察した。
佇まいだけは、一端の画家風だ。
しかし。下絵を描くところから悲劇は始まった。線画の時点からすでにそれはーーりんごではなかった。
「お嬢様。……もう、俺ではあなたのお力にはなれないかもしれません。力不足で申し訳ありませんが、お手上げです……」
「そ、そんな……! しっかり、ギルフォード先生……!」
額に手を抑えてその場でふらりと身体を揺らしたギルフォードを、ジェナーが細い手で支える。
……結局、1日がかりでギルフォードはジェナーにああだこうだと指導し続け、何とか幼い子どもが描いたくらいの完成度には持っていくことができた。これは全て、ギルフォードの涙ぐましい献身のかいである。
「本気にありがとう、ギル。このお礼は必ずするわ」
ジェナーはギルフォードが淹れた紅茶を飲みつつ、何度も感謝の言葉を述べた。そして、かなり満足気な様子だった。
「はは、礼なんていいですよ。俺も楽しかったですし」
彼女といると、いつの間にか楽しくて笑ってばかりいる。こんなにも幸せな気分を与えてくれるジェナーに尽くせるのは、ギルフォードにとってこの上ない幸福だった。
「でも……今日はギルも課題をやっていたんでしょう? 中断させてしまって申し訳ないわ」
「もうほとんど終わっていたので、どうということはないです。お気になさらず」
(……それにしても)
ギルフォードの目の前には、ボツにしたジェナーの油絵が鎮座している。
毎度毎度、驚く程に陰惨な作品を作ってしまうジェナーが愛おしくて、いじらしくて、ギルフォードはふっと笑いをこぼした。
「……どうしたの? 急に笑ったりして」
「いえ、何でもありません。それより、この作品俺が貰ってもよろしいですか?」
「え……別に構わないけど……。こんなに大きいキャンパス、邪魔になるだけよ?」
「いえ、大切に飾らせていただきます」
このキャンパスを飾る額縁はどんなものにしようかと考えていると、ジェナーが苦笑した。
「ギルの部屋が、そのうち私の作品の展覧会みたいになっちゃうわね」
「それだけお嬢様との思い出が増えるということですから」
ギルフォードとジェナーは既に壁に飾られたジェナーの刺繍入りのハンカチを見て、笑いあった。
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