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第1章 悪役令嬢とやんごとなき使用人
09 正ヒロインの登場 (2)
しおりを挟む学院の本館から離れた東棟とその周辺にある施設には、様々な生物が研究用に飼育されており、危険がないように管理がなされている。獣の脱走というと、悪意ある人間が手を加えた事件ということも考えられる。
「それで? その獣は今どこに?」
ジェラルドが生徒に尋ねた。
「多分、西庭園の方に行ったように見えたんだけど」
「そう、ありがとう」
ジェラルドは生徒からそう聞いて、すぐに走り出した。正義感が強い彼なので、放っておけば無茶をしかねない。ギルフォードもその後を追う。
先程の男子生徒の言葉通り、西庭園付近は他より一層騒がしかった。ざわめきの中に悲鳴のような声も混ざっており、事態は未だ解決に至っていないことが分かる。手入れの行き届いた花の垣根をいくつも通りすぎた先。――石畳の広場にそれは居た。
表皮が角質化し、黒い鱗に全身を覆われており、巨大な頭が特徴的だ。大きな角が2本。くぐもった唸り声を上げ、いかにも凶悪そうな見た目だが、これは――
「……グノームか」
グノームは爬虫類に分類される。原始の時代に生きていた魔獣の末裔といわれている、山奥に生息する希少な種で――植物食。短い四肢で身体を支え、低い場所に頭があり、草や落ち葉を食べる。温厚な性格で不安や怒りを抱かせない限り攻撃性はない。しかし今は、突然檻から解き放たれ、不安と恐怖からひどく混乱しているようだ。黒い目を炯々と光らせ唸る姿は、非常に攻撃的に見える。
(可哀想に。刺激されてすっかり混乱してしまっている)
捕獲しようとする衛兵や東棟の管理人たちがグノームを鳥囲って躍起になっているため、警戒心の強いグノームは気が動転している。
「ねえギルフォード、あそこを見て」
ジェラルドの焦りの含んだ目線の先に、2人の女性の姿が見えた。1人はすっかり怯えてその場にうずくまり、もう1人はうずくまる女性を庇うように抱いている。
衛兵たちはグノームに意識を取られて、2人の女性が危険に晒されていることに気がついていない。
そのときだった。突如、グノームがけたたましい咆哮を上げると共に、2人の女性に向かって突進しはじめた。衛兵と見られる男性の1人を突き飛ばして、凄まじい勢いで走っていく。
(危ない…………!)
考えるよりも先に、身体が動いていた。
ギルフォードは、2人の女性を守るように自分の体で覆った。そして、視線をグノームの方へ向けて睨みつける。
ギルフォードの脳裏にはジェナーのことが過った。今なら彼女が、文化発表式典の誘いを断ってくれて良かったと、心から思う。大切な人を危険にさらさずに済んで――本当に良かったと。
――その刹那。
瞬きをする間さえない、一瞬の出来事だった。グノームの勢いは止まらなかったはずなのに、ギルフォードの身体に、予想していたような衝撃がどこにもない。
ただ目の前に、脳天を剣で貫かれ、ぐったりと横たわったグノームと、その背に立つジェラルドの姿があった。
「――天才騎士、ジェラルド・ヒューズ……」
後ろの女性が小さく呟いた。
以前、ヒューズ家は騎士の家系だとジェラルドから聞いていた。俗世に疎い上、社交界の噂話を耳にする機会もなかったため知らなかったが、今目にした彼は間違いなく、『天才』と呼べるのかもしれない。数人がかりでも抑えられなかったグノームを、たった一突きで倒してしまったのだから。
ギルフォードは、自らが盾となり庇っていた女性たちの無事を確認するため、身を離して声をかけた。
「お嬢さん方、お怪我はありませんか」
見たところ、1人の方はかなり上等な服を着ている。ストロベリーブロンドヘアの華奢な若い少女だった。狼狽して身動きが取れなくなっていたもう一方の女性は、比較的簡素な装いをしており、甘色の髪をした少女より年が上に見える。彼女は、依然動揺しており、涙を流しながら口をぱくぱくさせ、言葉さえ上手く発せられずにいる。
ストロベリーブロンドヘアの少女。果敢にも身を呈して怯える女性を庇っていた彼女は、非常に冷静であった。年齢でいえば、ジェナーと同じくらいだろうか。
「はい、お陰様で2人とも無事です。ありがとうございまし――」
少女は顔を見上げる。そして、ギルフォードの姿を確認すると、元々大きな目を更に見開いて硬直した。
「……?」
ギルフォードが首を傾げると、彼女はさっと目を逸らし俯いた。その頬が僅かに赤く染まったのだが、ギルフォードは気付かない。
「いやぁ、大変な騒ぎだったねぇ」
ジェラルドが、いつもの軽薄そうな笑顔を浮かべて、グノームの背からひょいと飛び降り、ギルフォードたちの元へ歩いてきた。手に握っていた剣をその辺に投げ捨てる。剣はカランと音を立てて石畳の上に転がった。咄嗟に、衛兵の剣を抜き取って使ったのだろうか。本当に恐ろしい瞬発力だ。
「その身を呈して女の子2人を庇うなんて、君も隅に置けないね? ギルフォード。男前な上に腹も据わってる。いいねぇ、騎士にでもなるかい?」
彼はギルフォードを一瞥して、愉快そうに言う。
ストロベリーブロンドの髪をした少女は、ジェラルドの姿を見ると、甘やかで優美な口調で声をかけた。
「ジェラルド様。お噂通りの素晴らしい剣の腕前に感服いたしました。私から感謝申し上げます」
ジェラルドは、彼女の賛辞に柔らかな笑みで返した。
「身に余るありがたきお言葉。御身がご無事で何よりです。――シャーロット殿下」
彼はそのまま、片手を胸に添えて恭しく礼をする。これは、この国の騎士の作法だ。
(そうか、この方が例の――)
――シャーロット殿下。
先程ジェラルドがやたらと褒めそやしていた女性とは、この人のことらしい。ギルフォードは改めてシャーロットの方へ視線を向けた。シャーロットと目が合ったそのとき――彼女の色素の薄い瞳の奥が、微かに揺れたような気がした。
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※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
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「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
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