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 準備室を出た後、手が震えていた。震える指先に視線を落として呟く。

「私が、次期聖女……」
「リア……」
「どうして私に教えてくれなかったの? セナは呼び笛のことを知ってたんでしょ」
「……」

 セナは切なげに愁眉した。 
 聖女に選ばれることは名誉なことだ。けれど、必ずしも喜ばしい訳ではない。なぜなら聖女は、国に生涯をかけて奉仕し続ける義務があり、歴代の聖女たちは、皆――短命だった。神聖な気をまとうため魔物に狙われやすく、多くが戦場で命を散らす。

 また、召喚術を国で唯一使える聖女だが、自身の力が弱ければ対象を従えることができない。過去には、召喚した魔物が暴走し、襲われて殉死した聖女もいた。オリアーナは魔法が使えないので、よりその可能性が高い。

 入学式典のときに聞いた叫び声は、呼び笛に反応した魔物の声だった。もしあのまま召喚が成功したら、オリアーナでは服従させられず、他の生徒たちに危害を加えていたかもしれないのだ。そう思うと、背筋に冷たい汗が流れた。

 もし今「私が次の聖女です」と名乗り、前線に立たされることがあれば、オリアーナは殉死まっしぐらだろう。

「あまり悪いようにばかり考えない方がいい。上手くいく方法を一緒に模索しよう。お前のことは俺が守るから。大丈夫だ」

 藍色の瞳がまっすぐこちらを見据えている。動揺していた心が、少しずつ落ち着いていく。セナはいつもほしい言葉をくれるし、それが心にすっと入り込んでくる。

 ゆっくりと息を吐いた。

「そうだね。君のおかげで少し落ち着いたよ。……セナは、優しいね」
「誰にでも優しくしてる訳じゃないよ。リアにだけだから」
「え……?」
「俺はお前のことが好きだから」

 彼の言葉をそのまま素直に受け取り、にこりと微笑みを返した。

「うん。私もセナが好きだよ」

 にこにこと能天気に笑うオリアーナを見て、彼は不服そうに眉を寄せた。

「リアの好きと俺の好きは違うよ」
「好きな気持ちに違いなんてないでしょ?」

 きょとんと首を傾げると、彼はまた呆れたように小さく息を吐いた。そして、苦笑を浮かべながら「そうだね」と言った。

「それにしても、面倒なことになったよね。『殿下』なんて呼ばれてさ。好いてもらえるのはありがたいし、嫌って訳じゃないけどね。王子の次は聖女と来た。忙しないよね」

 人前を歩けば女子は黄色い歓声を上げ、男子たちでさえその造形美に羨望を抱く。ロッカーを開くと雪崩のようにファンからの手紙や贈り物が落ちてきて、机の中にもいつも貢ぎ物が詰まっている。歩いているだけでサインやら握手を要求され、王子扱いされるのは結構疲れる。

「王子役に辟易したら、俺が姫にしてあげるけど」
「ふ。何それ。私は王子でいいよ。姫って柄じゃないし」

 セナはずいとこちらに詰め寄り、顔を覗き込んできて、甘く囁く。

「そう? リアは結構、女の子らしいとこあるよ」

 藍色の妖艶な瞳に射抜かれ、なぜか心臓がどくんと音を立てる。朱に染った頬を見て、彼が意地悪に口角を持ち上げた。

「そうやってたまに照れるところとか。俺はすごい可愛いと思うけど」
「…………!」

 「可愛い」なんて言われたのは、いつぶりだろうか。子どものころに周りの大人に言われたきりで、他に記憶にはない。昔からずっと、「格好いい」と言われることの方が多くて、女の子扱いされたことなんてほとんどなかった。

「可愛いなんて、そんなこと言ってくれるのはセナだけだよ。……レックスにも言われたんだ。お前は女らしくなくて、気持ちが悪いって」

 確かに、女っぽい服装より、男っぽい服装の方が好きだ。振る舞いが男性的であることも自覚している。でも実際は、少女らしい心も持っている。レックスに気持ち悪いと言われたのは、流石に少し傷ついた。

 するとセナが優しく頭を撫でてくれる。

「お前は可愛いよ。一番可愛い。俺はリアが自然体でいる姿が、魅力的だと思うよ」
「……そう、かな。ありがとう」
「困ったらいつでも俺に寄りかかっていいから」
「……うん」

 周りの人たちに頼りにされることはあっても、オリアーナ自身は何でも自分一人で何とかしようとして、誰かを頼ることはしなかった。けれどセナは、そんな頑固なオリアーナに手を差し伸べてくれて、唯一頼りにできる相手だった。

(セナは、ずるい)

 優しい言葉をかけられて、なんだか泣きそうになってしまった。彼だけは、オリアーナを女の子として甘やかしてくれる。オリアーナが好きなものを、それはそれでいいよねと受け入れてくれる。

 するとセナが、オリアーナの耳元で囁いた。

「俺さ」
「何?」
「お前の婚約が解消して、よかったって思ってる……かも」
「……! か、からかわないでよ」

 赤くなった顔を逸らして、背を向けて歩き出す。
 置いてけぼりにされたセナは、オリアーナの後ろ姿を見ながら、愛おしそうに口元を緩めたのだった。


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