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しおりを挟む他方。倒れた教員をお姫様抱っこして会場を沸かせた当人、オリアーナは己の行動が騒ぎになっていることなどつゆも知らない。女教員を医務室まで送り届けたあと、校舎内のだだっ広い廊下を歩いていた。
養護教諭に状況を説明していたため、入学式典はもう終わったころだろう。式典会場ではなく教室へ直接向かっていると、途中で男子生徒が壁にもたれながら腕を組んでいた。オリアーナを待っていたらしく、こちらの姿に気づくと、声をかけてきた。
「お前さ、なんでここにいんの?」
黒髪に深い海の底を思わせる藍色の瞳。そして、何を考えているか分からないクールで無機質な表情……。彼は幼馴染のセナ・ティレスタムだ。ティレスタム公爵家も始祖五家のひとつで、彼は次期当主。そして――五つの魔法属性で最も危険とされる闇魔法の使い手だ。
「なんでって……ここに入学したからでしょ?」
すると、彼はオリアーナを壁際に追いやって片手を壁に付いた。いわゆる壁ドンというやつだ。
「そうじゃなくて。お前、レイモンドじゃなくて――リアの方だろ」
「……!」
やばい。さっそく見破られてしまった。レイモンドとは顔がそっくりなので、大抵の人は分からないはずなのだが。よく見知った幼馴染に入れ替わりは通用しないようだ。
「何言ってるんだ。僕はレイモンドだよ」
しかし、オリアーナはちょっとやそっとじゃ動じない。にこりと爽やかに微笑んで答える。すると、彼はオリアーナの顔を覗き込み、片手を頬に添えて、唇の下を親指の腹で撫でた。
「な……にを――」
突然肌に触れられ、目を見開く。さすがのオリアーナも、これには少し狼狽えてしまった。対してセナは、相変わらずの無表情で言った。
「――ほくろ」
「は?」
「唇の下にほくろがあるのはリアの方だ。それに、レイモンドとは話し方も所作も何もかも違う」
オリアーナはセナを押し離して、唇の下を手でごしごし擦った。
「これは汚れがついただけだから。……口調と所作はその――あれだよ。イメチェン的な」
「そんなに擦ってもほくろは取れないと思うけど」
苦しすぎる言い訳を口にすると、セナはため息をついた。そして、人差し指でオリアーナの額をこつんと弾いた。
「痛っ」
「馬鹿だよな。俺がお前たち双子と何年一緒にいたと思ってんの? 今更見間違える訳ないから。上手く擬態してるつもりかもしれないけど、見る人が見たら分かると思うよ」
「…………やっぱり?」
「うん」
観念して彼の指摘を認め、肩を竦めた。
不正入学がバレたら、退学どころかアーネル公爵家の名誉も大きく傷つくことになるだろう。そしたら両親にどれだけ責められるか分からない。しかし、身代わりを見破られてしまったからには諦めるしかないと思い、潔くここまでの事情を話した。
「お前、また両親の言いなりになってんのか」
「…………」
そういう生き方しか、オリアーナは知らないのだ。痛いところを突かれて俯く。
「ひどい仕打ちを受けても家を出ないのは、レイモンドが心配だから?」
「……どうだろうね」
もちろんレイモンドの存在は大きい。けれど、オリアーナには、どこに逃げたらいいのかも分からないのだ。でも、はぐらかしたところでセナには何もかもお見通しな気がした。
「俺を頼れよ。リア」
「え……」
「困ったときは、俺を逃げ場にすればいい。何があっても俺はリアの味方だから」
俺はリアの味方だから。その言葉で心がふっと軽くなった気がした。彼はオリアーナの頭をわしゃわしゃと搔き撫でる。彼に撫でられるのは、すごく心地がいい。
「……ありがとう、セナ」
でもきっと、間違ったことをしてはいけないと咎められるだろう。そう思って覚悟していたが、返ってきた言葉は予想と違った。
「とりあえず、目つぶって」
「目……?」
「いいから早くしろ」
突然そんなことを言われて不審に思うが、大人しく従って瞼を閉じる。すると、閉じた瞼の向こうで、低く透き通るような声が呟く。
《――認識操作》
詠唱と共に、ほのかな熱が身体を包み込む。まもなく、セナに許可されて瞼を持ち上げたが、自分に変化が起きた実感はない。彼に、何をしたのかと尋ねた。
「リアの姿を見た人間が、一切の疑いの余地なくレイモンドと認識するように魔法をかけた」
「それ禁忌魔法じゃ……」
人の精神を操作する魔法は、倫理的な問題で禁忌とされている。そして、人の精神に干渉する魔法は、闇魔法を操るティレスタム公爵家の専売特許だ。
セナは口元に人差し指を立てて「これで共犯だな」と口角を上げた。あろうことかこの人は、オリアーナを咎めるどころか、不正の片棒を担ぐつもりのようだ。
「ほら、教室行くよ。――レイモンド」
オリアーナは頷き、セナの背中を追いかけた。
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