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しおりを挟むエトワールが矢で射抜かれたあと、天がそれを嘆くかのようにぽつりぽつりと雨が降り出した。レイは、負傷したエトワールを抱き抱え、一時的に近くの洞穴に身をひそめた。
彼女の背中には矢が刺さったままなので、うつぶせにして寝かせる。矢には返しが付いており、無理矢理引き抜いたら内部を傷つけてしまうだろう。
加えて、矢が止血の役割を果たしていため抜けずにいる訳だが、それが彼女の体力を奪い続けている。
そっとエトワールの額に触れれば、発熱しているのが分かった。
(なんてことだ。俺が代わってやれたらどんなに良いか)
彼女のことを可哀想に思い、眉尻を下げる。
エトワールのことを救いたくて、自分の命を投げ打ってまで時間を戻したのに、なんという体たらくか。
薄汚い洞穴で自分のような野良犬が野垂れ死ぬのは一向に構わないが、エトワールにはそんな最期、ふさわしくない。
愛しくて、愛おしくて仕方がないこの人を二度も失うなど考えられない。
このままエトワールが目を覚まさなかったらと考えると、頭がおかしくなりそうだった。
あまりのふがいなさに自責していると、エトワールが意識を取り戻す。
「…………っ」
「殿下! 気がつきましたか?」
「レイ……?」
「そうです。あっ、動かないで。まだ軍医が到着しておらず、矢が刺さったままなので」
背中が相当痛むようで、彼女は辛そうに顔をしかめながら頷いた。
万が一、軍医が来なければ応急処置はレイがするしかない。けれど、王女の治療を行うのは、優れた医師であるべきだ。素人ではうまく処置できないかもしれないし、せっかく若く美しい身体に傷跡が残るといけない。
「レイ……お願いがあるの」
「なんなりとお申し付けください」
する彼女は、レイの袖をきゅっと小さくつまみ、子どもがこれを買ってとおねだりするように、甘やかに言った。
「離れずに……傍にいて。今だけは、どこにも行かないで」
「……っ!」
負傷したせいで、きっと心細くなっているのだろう。
こんな状況なのに、かわいい懇願をしてくる彼女への愛しさで、口から心臓が飛び出してしまいそうだった。
「もちろん」
彼女のしなやかな手に、自身の手を重ねたくなったが、自分を必死に諫めて我慢する。エトワールは次期女王であり、婚約者がいる身だ。その手に触れるという無礼は決して許されない。それに自分は、彼女に男として全く相手にされておらず、手を握ることが許される関係性ではなかった。
「失礼いたします。王女殿下に至急ご報告があって参りました」
するとそのとき、聖女ポセニアが洞穴を訪れて報告した。軍医と治癒魔法師を含む、医療奉仕部隊が全員殺された――と。
(どうして、こんなときに……)
レイは固く拳を握り締める。
報告をしに来たポセニアは、随一の治癒魔法の使い手。
元エトワールの家庭教師でもある彼女はイザールの浮気相手で、エトワールの心を傷つけた女だ。
「ええ。気がついたら、ルニス王国軍に包囲されていたのです。わたくしは命からがら逃れてきたのですが、医療奉仕部隊の他の皆さんが……ううっ」
両手で顔を覆って、泣き出すポセニア。
彼女の裏切りを知っている手前、全く同情できない。むしろお前も一緒に殺されればよかった、なんて思う程度には彼女を憎んでいる。しかし悔しいことに、エトワールが負傷した今、頼りになるのはこの女しかいない。
レイは口先だけの慰めの言葉をかけ、懇願した。
「とりあえず、あなただけでも無事でよかった。聖女様、殿下が矢を受けてしまったので、あなたの力で治癒していただけませんか。このような状況で申し訳ありませんが……」
「まぁ。王女殿下が矢傷を……」
ポセニアは、新地面に横たわり目を閉じているエトワールを視線で一撫でした瞬間、いびつな笑みを浮かべた。
けれど彼女はすぐに、しおらしげな表情へと戻す。
「それは大変ですわね。ええ、もちろん。……王女殿下には、生きていただかなくては困りますから」
彼女は意味深に呟きながらこくんと頷き、おもむろに首元のチョーカーに触れた。
そのとき――
「ねえ、本当にルニス王国軍が医療奉仕部隊を壊滅させたの?」
「王女、殿下……」
エトワールがゆっくりと半身を起こしながら言った。レイは大慌てて彼女のもとに駆け寄り、「お身体に障りますから動かないでください!」と諭す。すると彼女は、こちらの腕をぐいっと引いて、耳打ちした。
「ポセニアの首のチョーカーを力ずくでいいから奪いなさい」
「仰せの……ままに」
レイにとって、エトワールの命令は絶対だ。そこに疑いを抱く余地などない。ポセニアの方を振り返って近づき、首元になんのためらいもなく手を伸ばす。
「きゃああっ……」
そのとき、ポセニアの悲鳴が洞穴の中に響き渡る。
レイが、乱暴にチョーカーをを引きちぎったのだ。金属が擦れたことで、ポセニアの首筋から、ぽたぽたと血が流れ落ちた。
レイは女性を傷つけたにもかかわらず、眉ひとつ動かさずに彼女を冷たく見下ろす。ポセニアは首を抑えながら言った。
「か弱き女性を傷つけるなど騎士道に反するのでは? それをお返しなさい」
「この首飾り、そんなに大事なものなんですか?」
レイがチョーカーをもてあそぶと、彼女の顔色がみるみる悪くなっていく。
「やめて、返して……」
「大切な人にもらったとか? たとえば、どこかの人でなし副団長とか」
「それに触らないで! あなたごときが触れていいものではないわ……!」
「はは、随分余裕のないご様子ですね。そんな風に眉間に皺を寄せては、せっかくの美人が台無しですよ」
「いいから、返しなさいって言ってるでしょう!?」
大きな声が洞穴の中に響き渡る。しかしレイは彼女を無視し、シャツでチョーカーの血を拭いてから、エトワールに渡す。
「――どうぞ、ご所望の品です」
「ご苦労様」
すると後ろで、ポセニアが小さく吐き捨てるように言う。
「はっ、王女殿下に随分と飼い慣らされていらっしゃるようですわね。路地裏の薄汚れた野良犬風情が忠犬気取りとは、片腹痛いですわ」
ポセニアは、傷ができた首を指で撫でてから血がついているのを確認し、表情に苛立ちを滲ませる。相当に機嫌を損ねたらしく、清廉潔白な聖女にしてはかなり口が悪い。
けれど、どんなに侮辱されたところで構わない。レイにとっては、エトワールの意思こそが全てなのである。
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