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しおりを挟むエトワールが次に目覚めたとき、見覚えのある天井を見上げていた。
(ここは……?)
ゆっくりと半身を起こすと、ふかふかの寝台が軋んで音を立てた。
辺り見渡してみれば、そこはエトワールが普段使っている寝室だった。
けれどそのとき、エトワールの脳裏にイザールに剣で貫かれた記憶がよぎる。
はっとして自分の胸元に視線を落とせば、傷は完全になくなっていた。ぺたぺたと触ってみるが、どこにも痛みがない。
「嘘、傷がない……」
そして、自分の手がやけに小さいことに気づいた。手だけではない。足も、身体全体も小さくて――幼い。
寝台から下りて、姿見の前まで歩いてみれば、十七歳よりずっと幼い――子どもの姿の自分が写っていた。
(ちょっ、へ!? 何これ、どういうことなの――!?)
自分の身に何が起こっているのか理解が追いつかずに当惑していると、部屋の扉がこんこん、とノックされた。
「誰?」
「ルティでございます。朝食をお持ちいたしました」
「――入りなさい」
入室を許可すると、ティーワゴンを押した侍女のルティが部屋に入ってくる。ティーワゴンの上にはパンとサラダとスープが乗っており、クリーム色のスープからは湯気が上っていた。
(ルティを確か、私が十二歳のころ出産を理由に――仕事を辞めたはず)
ルティは部屋のカーテンを開けながら言った。
「今日はとてもお天気が良いですよ。宴日和ですね」
「宴……? 何の宴?」
「まぁ、しっかりなさってください。二国会談のために来訪された――プトゥゼナール王国の国王陛下を歓迎する宴ですよ」
プトゥゼナール国王を招いた盛大な宴が行われたのは五年前のはず。徐々に自分の身に起きている事態を理解していき、背筋に冷たいものが流れ、全身に鳥肌が立つ。
「ああ、そうだ。実は王女様に報告しなくてはならないことがあるんです」
「……もしかして、退職のこと?」
「そ、そうです。よく……分かりましたね。まだ誰にも言ってないのに……。実は私、妊娠していまして、お仕事を辞めて出産に備えようと思うんです」
「……そう、おめでとう」
そこでエトワールは確信した。
自分は今、五年前に――逆行してしまったのだと。
どういうことかは分からないが、エトワールは生かされた。だが、イザールに胸を貫かれたときの痛みも、屈辱も、何もかも鮮明に頭に焼き付いている。
少なくとも、あの悲劇は夢などではなかった。
エトワールのないはずの傷が、じくじくと痛む。
(私は誰にも信頼されない女王だった。こんな結末を迎えたのは、民に希望のある未来を提示できなかった私にも、責任がある)
エトワールは拳を握り締め、口唇を引き結ぶ。
(――とはいえ、イザールに殺されたのはすこぶるムカつく……!)
怒りのまま寝台の上のクッションを床に叩きつけ、何度も何度も殴りつける。ぼふぼふと音を立てながら羽毛が宙に舞う。
窓から差し込む陽光が白い羽毛を照らすのを、侍女は唖然とした様子で眺めた。
「お、王女様……!?」
「ほんとにムカつく……! あんの売国奴! クズ! 浮気者……! ××して××を××にしてやるんだから……っ」
崇高な王女の口から飛び出した乱暴な言葉に、ルティはますます困惑する。
エトワールはクッションを散々床に叩きつけて、羽毛が散らばった床に項垂れる。真っ青になりながらぶるぶると打ち震え、頭を抱えた。
「ああぁ……ありえなすぎる。どうしてあんな男を好きになったのかしら。一生の黒歴史だわ! 本っ当にありえない、ありえない……」
入れる穴があるのなら、今すぐ探しに行きたいところだ。ぶつぶつと呪文でも唱えるかのように呟き、激しく自責する。
イザールはいつもクールで掴みどころがなく、文武両道、地位も高く、おまけに顔が良かった。そんな表面的な部分だけを見て愛してしまったのだ。
それが、こんな悲劇を招いた。頭の中に、聖女ポセニアの姿も思い浮かぶ。
エトワールの悪口をあちこちに言いふらし、イザールの略奪した女。
「なーにが聖女よ。人の男に手を出して、とんだビッ○じゃない。あの性悪女……次あったら髪を引っこ抜いてやるわ。ふっ、ふふ……名案ね」
そんな復讐を思いつき、口角を上げる。そして、様子のおかしい主人を目の当たりにしたルティは、逃げるように部屋を飛び出して行った。
「誰か……っ! 誰が来て! 王女様がご乱心です……!」
ルティの声を聞いて、ようやく我に帰る。しかし、愛していた相手から刺されれば、誰でも気がおかしくなるだろう。
ゆっくりと立ち上がり、十二歳の自分を見据えた。
(今日が宴の日ということはつまり――イザールに初めて会った日)
彼との初対面は今でもよく覚えている。婚約はこの少し前に決まっていたはず。
やり直すチャンスが与えられたのなら、あんな悲劇はもう迎えたくない。
(次は玉座を奪わせない。次期女王としてみんなを認めさせて、国も救ってみせる。裏切られる前に、あんたのことは捨ててやるわ。――イザール・ヴァレンリース!!)
周りの顔色をうかがって、大人しくしているだけの女王にはもうならない。
運命を切り開くには、自分が変わるしかない。馬鹿にされないように、侮られないように、立派な女王になるしかないのだ。
エトワールは、一度最愛の夫に裏切られ、全てを奪われた。そして、彼を捨てることを決意したのである。
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