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 彼が身にまとっている白を基調とし緑が差し色に入ったローブは、精霊術師の制服らしい。
 生真面目で冷静沈着、いつも仏頂面を浮かべているが、根は優しい人。

 彼はノルティマの家庭教師として時々、シャルディア王国の文化や歴史、精霊術のことを教えに来てくれる。
 彼もノルティマのことを、失踪したベルナール王国の王太女だと知らないし、気づいていない。

「レディス先生、今日もわざわざお越しいただいてありがとうございます。こちらの席へ。すぐに飲み物を用意しますね。コーヒーでよろしいですか?」
「はい。砂糖は――」
「多め、ですよね」

 この国に来てから二週間ほど彼に世話になる中で、大の甘党だということが分かった。
 レディスは気恥ずかしそうに「はい」と答えた。本人は男が甘党なのは恥ずかしいという意識があるらしい。

 ノルティマはふっと小さく笑い、自らコーヒーを淹れた。こぽこぽとカップに注がれ、湯気がのぼるのを見ながら目を細める。

(誰かのために飲み物を用意するのは……新鮮な気持ち。王宮にいたころはずっと、身の回りの世話は全部使用人たちに任せていたから)

 レディスは、テーブルの上に置かれた本の山を見て言う。

「もうこんなに沢山読まれたのですか?」
「読みかけのものもありますが、はい。ほぼ読み終えています」
「勉強熱心ですね」
「勉強するのは昔から嫌いではないんです」

 ただ、母国にいたころは許容量以上を強要され、学ぶことが楽しくなくなっていた。
 王太女としての務めを果たせと周りから言い聞かされ、自分を追い込んでばかりだったことを思い出す。

「勉強熱心なのは結構ですが、くれぐれも無理はなさらず。私が国王陛下に叱られてしまいますので」

 レディスはエルゼから、ノルティマがしっかり休めるようにしてやれと指示されているらしい。

「ご心配なく。もう前みたいに無理はしないと決めたので」
「前……ですか?」
「……なんでもありません。とにかく、精霊のことを勉強するのが楽しいんです」

 精霊のことを学べば――エルゼのことを知れる気がして。
 彼は甘いコーヒーをひと口飲み、カップを置いてから言う。

「本日は何を勉強しましょうか。シャルディア王国のこと、精霊のこと、気になることがあれば何でもお尋ねください」

 ノルティマは少し間をを置いてから、おずおずと答えた。

「エルゼのことが……知りたいです。彼がどんな人で、どんな風にこの国で生きてきたのか」
「私はあの方の全てを知っている訳ではありませんが、いいですよ」

 シャルディア王国が誕生してから、唯一の王として君臨し続けてきたエルゼ。
 彼は精霊術師たちとともに、精霊の力でこの国を平和に統治してきた。精霊の力によって土壌は肥え、何もしなくてもすくすくと作物は育っていく。

 異国の軍が攻め入ろうとすれば、偉大な元精霊王が大河を氾濫させ、土砂を崩して侵攻から守った。

 時代が移ろいでも、シャルディア王国民は精霊と偉大な王を崇め続け、国はますます繁栄していったのである。
 精霊の直系である王に、反逆しようとする者は現れず、四百年間豊かな時代は続いた。

 そしてエルゼは建国から今もなお、賢明で強大な王として、人々に崇敬されている。

 その話を聞いて、ノルティマは顔色を曇らせた。

「……恐ろしい話です」
「どうして、そう思われるのですか?」
「だって…… 四百年も生きてきたということは、その分だけ多く、大切な人を看取ってきたということでしょう。周りの人たちが死んでいっても自分は生きなければならず、おまけに国を運営していく責任まで背負わなければならないなんて……私なら耐えられません。すごく……孤独で」
「ノルティマ様は……お優しいのですね」

 精霊と人間では感覚がそもそも違うのかもしれないが、エルゼの人生に孤独感や寂しさがあったのではないかと想像して、胸が痛くなった。
 ノルティマはベルナール王国にいたころ、周りに家族やそれ以外の誰かが常にいたにもかかわらず、常に孤独を抱えていた。

「精霊にも寿命はあるんですよね?」
「一般的には三百年程度とされていますが、陛下のように強い力をお持ちの精霊の場合は、違うのかもしれません」
「それでも、平均寿命の倍も生きているなんて、さすかに長すぎませんか?」
「倍……? この国は建国して四百年ですが……」
「え、もしかしてエルゼがシャルディアを建国する以前のことはご存じないのですか?」
「はい。ご本人は何も言っておりませんし、文献にもそのようなことは特に記されておりません」

 水の精霊国の歴史は千年近くあると言われている。エルゼは水の精霊国最後の王だった訳だが、一体何年生きてきたというのだろう。
 途方もない年数で、想像しただけでずきずきと頭が痛くなってくる。

 エルゼは、なりたくて王になったのではなく、いつの間にか人に崇められて王と呼ばれるようになったと言っていた。
 望んでもいないのに、生まれたときから次期女王だった自分の境遇と重なる。

(勝手に王にさせられて……彼の本当の望みや、心の拠り所はどこにあるの?)
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