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 エルゼは青年のひとりだけではなく、他の三人も全員遠くへ吹き飛ばした。指一本触れずに、手をかざしただけで。
 彼がかざした手からは勢いよく水が放たれ、その水流で飛ばされたのだ。
 水飛沫が辺りに離散し、エルゼの周りに小さな水の粒子が神秘的にくるくると旋回している。

 彼からは尋常ではない殺気がまざまざと伝わってきて、近くにいるだけで身の毛がよだつ。

 犬をいじめていた青年たちはエルゼの不意打ちになすすべなく、地面に転がる。そして彼らはずぶ濡れになった状態で昏睡していた。
 天上人対人間のような、圧倒的な力の差を見せつけられて、ノルティマは戸惑う。

(今、何が起きたの……?)

 一瞬の出来事に理解が追いつかず、頭の中に疑問ばかりを浮かべていると、エルゼがこちらの両肩に手を置いて切羽詰まったような表情で言った。

「ノルティマ! 怪我は!? どこも痛くない!?」
「へ、平気よ。あなたが助けに来てくれたから」
「ああ……本当にすまない。愚かな俺が目を離したばかりに、あなたを危険な目に遭わせてしまった」
「謝らないでちょうだい。エルゼは何も悪くないわ」
「あれ……その犬はどうしたの?」

 彼に尋ねられ、ノルティマは事の仔細を説明する。この犬が不良青年たちに、おもちゃのようにいたずらされているのを見兼ねて、つい首を突っ込んだのだと。

 事情を知ったエルゼは、目を見開いている。

「――とにかく、エルゼにはなんの落ち度もないわ。厄介事に首を突っ込んだ私が悪いのだから」

 とはいえ、この犬を助けたことに後悔はない。腕の中で傷ついた犬がくぅんと頼りなく鳴く。ノルティマは微笑みながら犬の顎を撫でてやった。

「……あなたは昔から変わらないんだね」

 ふいに零れたエルゼの小さな呟きは、犬との戯れに夢中になっているノルティマの耳には入らなかった。
 エルゼは先ほどまでの尋常ではない殺気はすっかりと抜け落ち、いつもの優しげな彼に戻っている。

 ノルティマは、倒れている青年たちを見ながら言った。

「あの人たちは……死んだの? それに、あの水は……」
「死んではいない。そのうち目を覚ますさ。そしてあれは、水を操る力を使ったんだ」
「力……」

 こてんと首を傾げると、エルゼは小さく微笑み、「少し歩こうか」と言った。
 エルゼが負傷した犬を抱えたまま歩いた先には、林があった。風にさざめく木々に囲まれていて人目につかない場所で、犬を地面に下ろした。

「見ていて、ノルティマ。――治癒ヒール」

 犬の上に手をかざして彼が呟くと、水の塊が犬を囲い、あっという間に傷が消えていき、欠けていた耳さえ元に戻っていた。
 傷が癒えた犬は、今度は元気に吠えて何かを訴えてきた。

「喉が渇いているのか? ほら、飲め」

 指をかざした先に、どこからともなく水の塊が現れて、彼が両手の平で皿を作ると、そこに水が生き物のように入り込んでいく。犬はエルゼの手ずから、水をごくごくと飲んだ。

(こんな力……見たことがないわ。まさか、精霊の力……?)

 かつて、ベルナール王国の湖リノール湖の下には、水の精霊国が広がっていた。精霊たちは不思議な力を使い、気まぐれに人に力を貸して、乾いた土地を潤してくれることがあったとか。
 そして、不思議な力を享受できたのは、精霊術師たちの存在があったからだ。

 だが、アントワール王家が五百年前に精霊国を滅ぼして以来、失望した精霊はベルナール王国から消えてしまった。

 精霊を信仰している国は世界中に多く存在するが、かつて水の精霊を信仰していたベルナール王国の人々にとって、精霊はもはや伝説の存在に過ぎない。

「あなたは……精霊術師なの?」
「惜しいけど違うな。俺は……」

 エルゼは視線をさまよわせ、何度か口を開閉し、逡巡を重ねる。そして、寂しそうに言った。


「俺は――人間じゃない」

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