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しおりを挟む水汲みに行くのは基本的にエルゼの仕事だ。彼はいつも、不思議なくらいにおいしい水をどこかから汲んでくる。
この辺りに水を汲めるような場所はないだろう、というときも、ほんの十分足らずで戻ってきて、皮袋にいっぱいの水を入れてくるのだ。彼が行く先には自然と湧き水でも湧いてくるというのだろうか。
(この旅で……なんだかエルゼに甘やかされてばかりな気がするわ……)
頬に手を添え、贅沢な悩みにため息を零す。
誰かに甘えるということが、ノルティマにとっては新鮮な感覚だった。それこそこれまで、人のために尽くすことはあっても、誰かに頼ったり甘えたりということをほとんどせず、自分で何でもやってきたノルティマにとって、誰かが自分のために何かをしてくれるということが自体が初めてだ。
それと同時に、自分よりもまだ若い少年に甘えてしまってもいいのかという罪悪感もある。
しかしエルゼは、こちらの罪悪感を吹き飛ばすくらい、自発的にノルティマを甘やかそうとし、それが喜びであるかのような殊勝な様子だった。
彼はまだ若い見た目の割に、ふいに見せる表情が随分と大人びて見えることがある。
(表情だけではないわ。言葉選びや、妙に落ち着きがある振る舞いも、自分よりよっぽど年上と話しているのではないかと錯覚することがあるくらい)
彼は自分の話をほとんどしてこないが、どういう経緯があって、ベルナール王国に来ていたのだろう。子どもがたったひとりで出かけるにはあまりに遠い場所だ。それに……。
『ノルティマのおかげで、俺は今生きている。俺がシャルディア王国からベルナル王国へ行ったのは――あなたを迎えに行くためだ』
彼が言った言葉が胸の辺りで、魚の骨のようにずっと引っかかっている。あれはノルティマをからかっただけの冗談なのか、あるいは真実なのか。
エルゼのことで思いを巡らせていたたとき、不良の青年たち四人が、すぐ近くで小さな犬をいじめているのが目に止まった。
「汚ねえ犬だな。こいつ、耳が片方ないぜ。気持ち悪い」
「片方だけじゃみっともないから、もう片方もちぎってやった方がバランスが整うんじゃないか?」
「ははっ、てゆーかこの犬、臭くね?」
青年のひとりが犬の耳を引っ張り、犬が悲鳴のような鳴き声を漏らした。
(小さな命に対して、なんて野蛮な……)
きゃんきゃんと犬が助けを求めるように吠えているのを聞き、ノルティマはベンチから立ち上がる。迷わず彼らのところに駆け寄り、汚れた犬を抱き庇って青年たちを睨みつけた。
「動物をいじめるのはやめなさい。小さくても尊い命なのよ」
「なんだ、この女」
「この子が痛がっているでしょう? くだらないことをするのはやめろと言っているのよ」
ノルティマの腕の中の犬は栄養不足なのかかなり痩せていて、全身泥まみれだった。加えて、傷や火傷の跡があり、度々いじめられていたことが窺える。
(この白いの、もしかして――蝋燭。あのときと同じ……)
それだけではなく、蝋燭の溶けたものがべったりと背にくっついている。ノルティマの脳裏に一瞬、昔いじめられていた幼獣を助けたことが過ぎる。
そして、もうとっくの昔に癒えていたはずの左腕の火傷の痕が疼いた。
ひどく怯えており、ぷるぷると小刻みに震えていた。唯一、ノルティマのことは味方だと理解したのか、こちらに身を擦り寄せてくる。
すると、不良たちはノルティマの叱責に腹を立て、顔をしかめる。
「野良犬をいたぶって何が悪いっていうんだ? いいからそいつを返せよ」
「――嫌。絶対に嫌よ」
「あんたもよっぽど痛い目に遭いたいらしいな!?」
青年のひとりが、火のついた蝋燭をこちらに向ける。やはり、溶けた蝋を犬に垂らして遊んでいたのだと察する。
粗野な口調で迫られ、脅されても、ノルティマは一切怯まなかった。幸か不幸か、痛い思いをすることには慣れているから。
毎日毎日、精霊の慰霊碑の前で呆れるほどの苦痛をつぶさに味わってきた。今更、青年の嫌がらせ程度、恐れるに足りない。
「な、なんだその目は……」
そして、軽蔑を滲ませた眼差しで青年たちのことを見上げ、淡々とした口調で言った。
「幼稚で、つまらない男ね。あなたたち」
「生意気な……っ! その綺麗な顔を台無しにしてやる……!」
こちらの挑発に耳まで真っ赤にした青年は、ノルティマの小さな顎を片手で持ち上げ、別の青年が火のついた蝋燭を顔の上で傾ける。がっしりと肩を後ろから抑えられ、身じろぎすらできない。
(同じ年頃でも、エルゼとは大違い)
垂れてくる溶けた蝋を冷めた目で見つめながら、ぼんやりとそんなことを思い出す。
しかし、ノルティマの顔に予想していた熱の感触が触れることはなく、蝋が肌に落ちる前に、青年の方が後ろへと吹き飛んだ。
「お前たち……。誰に、何をしようとした……?」
底冷えしてしまいそうな冷たい声。青年を吹き飛ばしたのは、水汲みを終えて戻ってきたエルゼだった。
そして彼の表情は、いつもの爽やかで優しいものとは――全く違っていた。
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