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 よほどの空腹状態だったらしく、かなりの量を注文したのに、とうとうふたりで完食しきった。空になった皿を見下ろしながら、飲み物を飲むノルティマ。

「ふたりで全部食べ切れたわね。お店の人もきっとびっくりするわ」
「もう満腹だ。美味しかったな」
「ええ」

 店の赤い屋根で小鳥たちがさえずり、昼の爽やかな風が頬を撫でる。
 遠くに聞こえる街の人々の声や靴の音。何気ない日常が、ゆったりとした時間とともに流れていく。

 王宮にいたころは常に政務や王太女教育に追われていて、こんな風にゆっくり食事をすることなどできなかった。一緒に食卓を囲うような親しい相手もおらず、ひとりで作業的に食べていた。

(いつも誰かに囲まれて食事をしていたエスターが羨ましかった。本当は……私もこんな風に誰かと楽しくご飯が食べてみたかった)

 ふいに、ノルティマの瞳からつぅと涙が零れた。人前で泣き顔を晒すなどみっともないと分かっていても、込み上げてくる感情を抑えることができない。

 次から次へと熱いものが頬に伝うのを見たエルゼは、がたんっと音を立てて椅子から立ち上がり、身を乗り出した。
 まるでこの世の終わりかのような血の気が引いた様子だ。

「どうした!? どこか痛い? 気分が悪くなった!?」
「違……うの」

 ふるふると首を横に振る。

「こうして誰かと楽しくご飯が食べられたのが、嬉しくて……。今まではずっと一人ぼっちで、こういう幸せに縁なんてないと思って生きてきたから。私……こんなに幸せな思いをしていいのかしら」
「…………」

 妹や元婚約者からひどい仕打ちを受けてきたとはいえ、ノルティマは王太女としてのあらゆる義務を放棄してここに来た。

 言ってみれば――逃げたようなものだ。

 ノルティマが消えた今、王宮はきっと混乱に陥っていることだろう。これまでノルティマがこなしてきた政務や礼拝は、他の誰かがやらなくてはならなくなる。

 自分の仕事を押し付けてしまうことへの、罪悪感と自責の念に項垂れる。
 ノルティマが抱えてきた仕事の中でも特に、精霊の慰霊碑への礼拝は辛く苦しい仕事だった。あの忍耐力がないエスターが続けられるはずがない。女王は国の象徴としての務めがあるし、なんだかんだと言い訳を並べて慰霊碑には赴かないような気がする。
 しかし、礼拝の条件である王家の純粋な血を引く者に該当するのは、アントワール家のふたりの王女とアナスタシアしかいないのだ。

 もしエスターが早々に音を上げて礼拝を放棄したのなら、ベルナール王国には雨が降らなくなって、大地は枯れて作物は育たなくなり、国民は飢えに苦しむことになる。

 だが、いざ自分があの国に戻ることを想像すると、背筋がぞわぞわと粟立ち、動悸や吐き気がしてくるのだ。

 今は何も考えたくない。周りのことなど考えず、自分のことだけ考えていたい。でないとまた……心が壊れてしまいそうで。

「私は……逃げてきてしまったの。自分に与えられた務めを何もかも、放棄して……。私はとても愚かだわ」
「それは違うよ、ノルティマ」

 エルゼはゆっくりとこちらに歩いてきて、土で服が汚れることもいとわずに、ノルティマの椅子の横に膝をついた。
 彼はこちらを見上げながら、慈愛に満ちた声で言う。

「あなたは愚かじゃないよ。俺はむしろ、もっと早く逃げてほしかったって思ってる。心が壊れるまで頑張らなくちゃいけないことなんて何ひとつないんだ。あなたは誰よりもよく頑張ってきたと、俺は誇りに思うよ」
「……っ! ぅ……うぅっ……ふ……」

 そんな優しい言葉、今まで誰ひとりとしてかけてはくれなかった。頑張って当然、やって当然。だってノルティマは、エスターと違って健康に生まれ、恵まれているのだから。周囲に何度も言われ続け、ノルティマにも刷り込まれていたのだ。

「ごめんなさい、突然泣いたりして……っ。すぐに泣き止む、から」
「気にしないで。感情を我慢する必要はない。あなたの涙は誰にも見られないようにするから」

 エルゼは人に見えないように、ノルティマの前に庇い立ち、囁きかけた。
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