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しおりを挟む一方、王太女ノルティマが消えたあとの王宮は、大混乱に陥っていた。
「ノルティマの遺体が見つからないだと!? それはどういうことだ……!?」
執務室の机をヴィンスがどんっと両手で叩き、書類が一瞬だけ宙に浮かぶ。大きな音が響き渡ったのと同時に、近くに立っていたエスターがびくっと肩を跳ねさせた。
ヴィンスは机の奥の椅子に座り、眉間のあたりをぐっと指で押した。
机を挟んで向かいに立つ騎士たちが、恭しく頭を垂れる。
「は、はい。十日間、総力を挙げてリノール湖を捜索しておりますが、ご遺体の発見には至らず……」
「どういう訳だ? 確かに、彼女が湖に沈んでいく姿をこの目で見たはずなのに……」
十日前、ノルティマが目の前で崖から飛び降りた瞬間を思い出し、背筋がぞわぞわと粟立つのを感じる。
飛び降りていく瞬間を見ただけではなく、水面に激しく叩きつけられる音も聞いた。なのに、遺体が見つからないなんて。
(あんなに衝撃を受けて、無事でいられるはずはない。だが、なぜだ?)
水死すると、腐敗していく過程で肺や胃の中にガスが溜まり、大抵の場合は浮かんでくるものだ。しかしノルティマはリノール湖をくまなく探しても見つからず、浮かんでくることもなかった。
もし、ヴィンスの息がかかっている者以外が、彼女の変わり果てた亡骸を見つけでもしたら大変な騒ぎになるだろう。
(次期女王が、王宮での暮らしに耐えかねて身投げしたなど――アントワール王家始まって以来の醜聞になる)
最悪の想定は、遺体が別の誰かに渡っていることとして。もし良い方に予想が外れたとしたら、彼女はどこかで生きているかもしれない。そんな思いがあって、人員を割いて大掛かりな捜索を続けさせている。
「ヴィンス様、もうお姉様のことを諦めましょう? きっと湖の底に沈んだに違いないもの。探すだけ時間の無駄だわ」
騎士たちと話をしているところに、エスターが割り込む。
ヴィンスだって、探したくて探しているわけではない。ノルティマがいなくなれば、エスターが精霊の呪いで苦しむことになるし、今まで仕事を押し付けてきた分が返ってくることになるから、こうも躍起になっているのだ。
エスターと悠々自適な日々を過ごすためには、ノルティマという馬に馬車を引かせる必要があるから。
ヴィンスは子どものころから、次期王配になることが定められており、教育を施されてきた。
ノルティマは聡明で、昔から成績が優秀だった。対して自分は彼女より劣っており、ノルティマはヴィンスの助けを必要とするまでもなく、ひとりで大抵のことができた。
王配は女王を助けるために存在するのに、役に立たないのでは面目が立たない。
ノルティマか有能であればあるほど、ヴィンスは婚約者としての存在意義を否定された気分になり、プライドを傷つけられていった。いつしか彼女に対して劣等感と嫉妬を募らせてせていき、毛嫌いするようになっていた。
そして自然と、妹のエスターに思いを寄せるようになった。
勉強のことも政治のことも無頓着なエスターの傍は居心地が良かったのだ。
それからヴィンスは、度々政務をノルティマに押し付け、嫌味を零しては鬱憤の捌け口にし、当てつけのようにエスターのことを可愛がった。
それがこの数日、ノルティの不在によって仕事が増えて手が回らなくなり、睡眠時間を返上していたため、ヴィンスの目の下にはくっきりとクマができている。
エスターは執務机に両手をつき、こちらに身を乗り出す。
「それより、今から一緒にお出かけしましょうよ! 新しい劇をやっているみたいだから気晴らしにでも」
今まで仕事をサボって遊べていたのは、ノルティマという押し付ける相手がいたからだ。
「悪いが、また今度にしよう」
「ええ……そんなぁ……」
しゅんと肩を落とすエスター。
今までずっと、彼女のわがままをかわいいと思っていたのに、この危難のときにものんきに遊ぶことばかり考えていて、わずかに苛立ちを覚えた。
必ず埋め合わせをするようにとねだるエスターを尻目に、騎士たちに命じる。
「ノルティマの捜索は、より人数を増やして継続しろ」
「かしこまりまし――」
騎士のひとりが承諾を口にしかけたそのとき、執務室の扉が開いた。
「――その必要はないわ」
「じ、女王陛下……!」
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