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しおりを挟むノルティマが最後に視界に捉えたのは、切羽詰まった様子でこちらに手を伸ばすヴィンスと、悲鳴を上げつつも、口角だけはにやりと上がっている妹の意地の悪い顔だった。
――バシャンッ。
激しい音とともに、ノルティマは湖の中へと落ちた。かなりの高さから水面に叩きつけられた衝撃で、身体中の骨が折れ、激痛が駆け巡る。
ノルティマは大量の泡が水上へと昇っていくのをぼんやりと見つめながら、下へ下へと沈んでいった。
身体中が痛くて、もう泳ぐことができない。
指一本と動かす気力もない。
(これで終わる。やっと楽になれる……)
元婚約者に妹のこと、自分の立場のことも、何もかも忘れて、眠ろう。この冷たい湖にそっと溶け込んでしまおう。
そう思って目を閉じたとき、瞼の裏に先ほどのエスターの勝ち誇ったような笑顔が思い浮かぶ。
(本当に……これでいいの?)
このまま消えて、いいのか。これまで頑張ってきたことはまだ何ひとつ報われていないのに、不幸なまま人生を終了させてしまって良いのだろうか。
そんなの……嫌だ。ノルティマだって、誰かに褒めてもらいたかった。誰かに必要とされ、愛されていることを実感したかった。幸せになりたかった。
ひたむきに生きてきたのに、どうして報われないまま消えなくてはいけないのか。
こんな真っ暗な湖の中で、全てを諦めてたまるものか。
こんな惨めな最後では、死んでも死にきれない。生きたい、何もかも全部やり直して、頑張ってきた自分をめいっぱい甘やかし、幸せにしてあげたい。
(嫌だ、やっぱりまだ死にたくない……!)
じわりと目に涙が滲み、水に溶けていく。
湖に落ちてようやく、自分の本当の気持ちに気づいた。
心の奥底に封じ込んでいた、これまでずっと無視してきた自分の本当の気持ちが、沸騰するように溢れ出してくる。
水面にわずかに星の光が見えていて、まるで暗闇に差し込む希望のように思えた。
張り裂けそうなくらいに痛む手を必死に伸ばしてみたが、何に届に届く訳でもなく。
息がどんどん苦しくなっていく中で、どうにか喉を鼓舞し、弱々しい声を絞り出した。
「誰か……っ、助け、て…………」
必死な思いで絞り出した声は泡になり、こぽこぽと意味のない音を立てて水の中に溶けるだけで誰の耳にも届かない。
(ああ、だめ……。私の声は、誰の耳にも届かない。私は最期まで……ひとりぼっちなんだわ)
しかし――意識が朦朧としてきたその直後、誰かがノルティマの手を掴んだ。暗い水中でよく分からないが、ノルティマの手をすっぽりと覆ってしまう節ばった男の人の手。
閉じかけていた目を開くと、そこに金色の長い髪に金の瞳の成人男性のぼんやりとした姿が見えた。
彼はノルティマのことを引き寄せたあと、頬に手を添え、自分の唇をノルティマの唇に隙間なく押し当て――ふっと息を吹き込む。
(……! この人は、誰……?)
口移しで送り込まれた酸素を吸い込む。男はノルティマの耳元で優しく囁いた。
「もう苦しまなくていい。俺の元へおいで。――ノルティマ」
とても、優しい声。水の中だが、鼓膜に直接注がれたその言葉ははっきりと聞き取れた。どうしてノルティマの名前を知っているのだろうか。
男はノルティマのことを抱き抱えたまま泳ぎ、みるみるうちに水面へと上昇していく。誰かに抱き締めてもらったことなど今までになかったノルティマは、またじわりと瞳に涙を浮かべる。
(ずっとずっと、誰かに……こうしてほしかった。なんて温かくて、心地が良い……。夢ならどうか――覚めないで)
彼に身を預けたノルティマは、張り詰めていた糸がぷつりと切れるかのように――意識を手放していた。
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