【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ

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 自室へと戻ったノルティマは、机の前の椅子に腰を下ろして、手紙をしたためた。エスターやヴィンス、王宮にいる人たちに宛てた――別れの手紙である。

 質のいい羊皮紙に、流麗な筆跡で文字が書かれていく。

『遺言者ノルティマ・アントワールは次の通りに遺言する。

 一、王位継承権は妹エスター・アントワールに譲渡する。
 二、次期王配ヴィンス・シュベリエとの婚約は解消し、新たにエスターと結ばせる。
 三、私の財産は全て――精霊の慰霊碑の管理費とする。

 付言、長い間お世話になりました。エスターにヴィンス様、並びにお世話になった方々、ご健勝をお祈り申し上げます。さようなら。
            ノルティマ・アントワール』

 使い終わったペンをことん、と机の上に置き、手紙の内容をゆっくりと見直す。我ながら情緒を感じない事務的な手紙だ。

 それあと、引き出しから王太女の印章を引っ張り出し、名前の隣に押した。便箋を折りたたみ、封筒に入れてから机の上にそっと置く。

(よし。こんなものかしらね)

 椅子から立ち上がり、今度は衣装棚から黒いローブを取り出して、姿見の前で身にまとう。そして、いつも髪を後ろでまとめている髪留めを外した。

 ひとつに編み込んで束ねたものを留めているだけなので、団子を崩し、ゆるい編み込みを片方の肩へと流した。

 窓から差し込んだ星明かりが、彼女のたおやかな銀髪を美しく照らしている。伏し目がちな青い瞳も、星の光を反射してさながら宝石のように輝いていた。

 ノルティマは手のひらの上の髪留めを見下ろしながら、小さくため息を吐く。

(思えば昔から……エスターに振り回されてばかりだった)

 この髪留めは昔、エスターに交換してとせがまれて交換してあげたものだ。

 彼女は生まれつき身体が弱く、しょっちゅう熱を出して伏せってしまうような子だったので、その分両親も過保護になった。

 エスターの体調が良い日は好きな食べ物を何でも食べさせ、彼女が欲しいと言ったものは何でも与え、好きな場所に連れて行った。

 周りの人たちが彼女の望みを何でも叶え、蝶よ花よと甘やかしたために、彼女はどんどんわがままになっていった。

『私、お姉さまの冠が欲しい!』

 もう何年も昔、まだノルティマが子どもだったころに、王太女の戴冠式が行われた。儀式の中で司教からノルティマに、次期女王のための冠が授けられたのだが、あろうことかエスターはそれを欲しがったのだ。

『もう、エスター。これはお姉さまの身分を示す大切な冠なのよ? あげたりできるようなものではないの。あなたにはそのかわいい髪留めがあるじゃない』
『えーやだやだっ! お姉さまのやつの方がかわいいもん! 欲しい欲しい……!』
『まぁ……』

 女王アナスタシアがエスターを諭すが、彼女は聞き分けが悪かった。母は国を治める長としてはそれなりに優秀だが、病弱な妹に対してはどうにも同情的で、ことごとく甘かった。

 だだをこね続けるエスター。彼女は上目遣いでかわいらしくおねだりすれば、みんなが自分の願いを叶えてくれると知っている。

 アナスタシアが申し訳なさそうにこちらを見つめてきたとき、ノルティマの胸がきゅっと締め付けられる。

(まさか……)

 母がこういう顔をするときは、決まって妹のために何かをしてくれと頼んでくるときだ。

 小さなころからそうして、ノルティマは大切にしてきたものを譲ったり、我慢したりしてきた。
 女王の言葉の続きは、聞くまでもなく予想できた。

『悪いけどその冠、エスターに譲ってくれる?』
『え……でもこれは、祭祀でこれからも使う大切な冠で――』
『必要なときはエスターに貸してもらえばいいでしょ? あなたの方がお姉さんなのだから、譲ってあげなさい。ね?』
『……分かり、ました』

 冠の件だけではない。ノルティマのものはエスターのもの。いつだって、身体が弱くてかわいそうな妹のために、我慢をさせられてきた。

 譲った冠は数日もしないうちにどこかでなくしてしまい、その後出てくることはなかった。ノルティマは冠なしで国の祭祀に参加し、恥をかくことになったのである。

 エスターが好きなことをしてのんびり過ごしている傍らで、ノルティマは厳しい王太女教育を施され、仕事をあちらこちらから押し付けられ、国政のために自分を犠牲にしてきた。

 もちろん、両親を含んだ周りの人々はエスターのことしか頭にないという感じで、ノルティマが頑張るのは当然のこととしてきた。だってあなたはエスターと違って健康なのだから――と誰も心にかけてはくれなかった。

 ノルティマは婚約者だけではなく、家族にも、周りの誰にも――選ばれなかったのである。

 苦い過去の階層から現実意識を引き戻すノルティマ。

 手に持っていた古びた髪飾りを、手紙の上に重し代わりにそっと置く。

 長く勉強ばかりで自分のことをほったらかしにし、かわいい髪留めを買って自分を着飾るようなこともしてこなかった。ノルティマが持っているものといえば、かつてエスターからもらったこれだけ。

(もういいわ。エスターも、ヴィンス様も、私を蔑ろにしてきた人たちみんな、好きにすればいい。私ももう……楽になったっていいわよね。ずっと、我慢してきたんだから)

 心の中にあるのはただそれだけだった。心も身体も疲れてぼろぼろだ。もう休みたい。すぐに眠りたい。一秒でも早く、泡のように弾けて消えて楽になりたい。

 飾り気がなく閑散とした部屋を一度見渡してから、ノルティマは自室を出るのだった。
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