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しおりを挟むそして、王女グレイシーの誕生日を祝うパーティーの当日を迎えた。
ルセーネは早朝からダニエルソン公爵家に赴き、公爵邸の侍女たちに身支度を整えてもらった。
先日仕立て屋に注文したドレスは少し前に仕上がっており、公爵邸に届いていた。
公爵邸の一室。ルセーネは鏡台の前に腰を下ろし、複数の侍女に取り囲まれていた。
ドレスへ着替えたものの、コルセットがお腹を圧迫して息苦しい。公爵邸に来たとき、ジョシュアが気を利かせて朝食を用意してくれたのだが、つい欲張って食べすぎてしまったのだ。
「お嬢様。少し目を閉じていただけますか? お粉が目に入ってしまいますからね」
「は、はい!」
ルセーネがぎゅっと瞼を固く閉じれば、侍女たちは微笑ましそうにくすと笑い、ひとりがブラシで肌に化粧を施していく。
(お嬢様だなんて、初めて呼ばれちゃったよ)
侍女は、孤児のルセーネも客人として手厚く扱ってくれた。ひとりが化粧を施し、また別のひとりが髪を結ってくれる。
長くウェーブかかかった紫色の髪を、ハーフアップにして、小さな宝石がついた髪飾りを全体に散りばめていく。少し頭を揺らすと、宝石が光を反射してきらきらと繊細な輝きを放った。
化粧の方は、ルセーネの素材を活かす自然か仕上がりに。元々シミひとつなく滑らかなもっちり肌には白粉を控えめに塗って、唇には派手すぎない薄桃色の口紅を差した。
(わあ……私じゃないみたい)
鏡に映る自分を眺めながら、侍女たちの腕に感動する。
「はい、これで出来上がりですよ」
「ありがとうございます!」
身支度を整えたルセーネは、ジョシュアが待機している居間に向かった。ドレスの裾が絨毯に擦れて歩きづらいので、両側を指で摘んで持ち上げ、優雅な気分で歩く。
重厚な扉を押し開けて中に入ると、彼はソファに座って本を読んでいた。視線を手元に落としたままの彼にそっと話しかける。
「お待たせしました。ルセーネです」
「ああ。支度は終わった……か」
視線を上げたジョシュアは、ルセーネの姿を見て目を見開いて固まった。
お世辞でも褒めてくれるだろうと予想していたので、彼の反応を見て不安げに眉を寄せて、「……変ですか?」と尋ねる。
「いいや。よく似合っている。見違えるようだ」
「……! ありがとうございま――」
「馬子にも衣装とはよく言ったものだな」
「ひと言余計ですっ!」
むっと頬を膨らませて拗ねれば、ジョシュアはからかうように小さく笑い、サイドテーブルに読みかけの本を置いた。
ソファから立ち上がり、こちらに近づいて来る彼もまた、礼服をかっちりと着こなしてパーティーのための身支度を整えていた。
「行こうか。さ、お手を。美しいお嬢さん?」
また意地悪に片方の口角を持ち上げて、こちらに手を差し伸べる。どうやらエスコートをしてくれるみたいだ。
彼の洗練された仕草、されたことがないお嬢様扱いに、からかわれていると分かっているのに、どぎまぎとしてしまう。
「はい……」
ルセーネは紅潮しながら、彼の手を取った。
◇◇◇
パーティー会場の王宮は、大勢の貴族が集まっていた。広間は華やかな装飾が施されていて、立食用のテーブルにワインとお菓子が装飾の一部のように美しく並べてある。
ルセーネがテーブルの上のお菓子に視線を奪われていると、ジョシュアがこそっと耳打ちした。
「お嬢様は人前でがっついたりはしないぞ」
「……わ、分かってますって」
今日は、社交界随一の権勢を誇るダニエルソン公爵家の当主の――パートナーとしてこのパーティーに参加している。ルセーネがみっともない姿を見せれば、ジョシュアにまで恥をかかせてしまうことになる。
ルセーネはジョシュアの隣でただ置物のように大人しくしていればいいのだ。
食欲と理性がせめぎ合った結果、ルセーネは人差し指と親指で『少し』のジェスチャーを取る。
「ちょっとだけ」
「駄目だ」
「駄目かぁ」
希望をあえなく却下されて、がっくしと肩を落とす。
しかし、そんなふたりのやり取りを見て、広間はざわめいていた。
「嘘、見て? ジョシュア様が可愛い女の子と楽しそうに喋っていらっしゃるわ」
「今まで女性に興味がなかったあのジョシュア様が!? 一体あの子は誰なの……? 見ない顔だけど……外国の大貴族とか?」
女性たちはこちらを見ながらひそひそと噂話をしている。また、男性たちはルセーネの庇護欲が掻き立てられる可愛らしい容姿に、憧憬の眼差しを向けていた。
すると、人集りを掻き分けるようにして、ひと組の親子がルセーネたちに声をかけた。
「ちょっとルセーネ!? これはどういうことなの!?」
聞き慣れたその声に、びくと肩を跳ねさせる。恐る恐る振り返れば、派手なドレスを身にまとったアビゲイルと、その母親のミレーネだった。
(ど、どどどどどどうしよう……。これは面倒なことに……)
アビゲイルから散々『ジョシュアに自分を紹介してくれ』と言われていたのに、その要求をすっかり忘れた上に、ルセーネの方がジョシュアと一緒にパーティーに参加していたのだ。
彼女たちからしたら、召使いとして扱っていた、明らかに格下のルセーネが、ジョシュアとともにいる状況に意表を突かれたことだろう。
「どうしてあんたなんかが、ジョシュア様と一緒にいるのよ!? 説明しなさい!」
閉じた扇子を差し向けながら急かすミレーネ。
どう説明しようかと迷っていると、ルセーネやヘルモルト伯爵一家の関係を全く知らないジョシュアが、ルセーネを庇うように前に立った。
「――あなた方は?」
ジョシュアの問いにルセーネが答える。
「居候をさせていただいてるお屋敷の、アビゲイルお嬢様とミレーネ夫人です」
「そうか」
ジョシュアは人好きのする笑みを浮かべて、ふたりに言う。
「随分と興奮した様子ですが、何か用でも?」
眉間に縦じわを刻んでいたアビゲイルは、挑発じみた物言いにかっと顔を赤くさせる。
するとミレーネが、そんなアビゲイルの肩に手を添えながら猫なで声で言う。
「その子はヘルモルト伯爵家の召使いですわ。それが公爵様のような高貴なお方と一緒にいて、わたくしも娘も当惑しておりますの」
「そういうことでしたか、驚かせて失礼――」
ジョシュアが言いかけているのに、ミレーネは遮ってまくし立てる。
「ルセーネとアビゲイルは――大の仲良しなんですの。それにその子は、アビゲイルがいないとなんにもできない子で。アビゲイルは使用人に対しても優しくて、品があるとっても良い娘ですわ。ですからもしよろしければ、ルセーネだけではなく、アビゲイルも混ぜてはいただけません?」
ルセーネはぱちぱちと目を瞬かせる。
はてさて、一体いつ、自分とアビゲイルは『大の仲良し』になったのだろうか。自分の記憶が正しければ、彼女はあらゆる雑用をルセーネに押し付け、気に入らないことがあると金切り声で恫喝し、嫌味ばかり言っているような人だった。
驕慢でわがまま、優しさの欠片も、品位もない。
それについさっきも、アビゲイルはこちらのことを『あんたなんか』と見下していたのに。
しかも、ルセーネがたまたまジョシュアと一緒にいたのに乗じて、ミレーネは図々しくアビゲイルを宛がおうとしている。
ミレーネに煽てられたアビゲイルはすっかり調子がよくなり、にやにやとご機嫌の表情で続けた。
「ルセーネがお世話になっています! この子ったらすごく世間知らずで世話がかかるんですよぅ。ジョシュア様にさぞご迷惑をおかけしていることでしょう」
すると、自分に取り入ろうとしているのを当たり前に見抜いたジョシュアは、人好きのする笑顔を浮かべたまま言った。
「迷惑だなんて、そんなまさか。彼女は私の『恋人』として、私のことを献身的に支えてくれていますよ」
「「へ……?」」
そのときルセーネは、目が点になる、というのはこういうことかと、ふたりの顔を見て思ったのである。
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