【完結】人生を諦めていましたが、今度こそ幸せになってみせます。

曽根原ツタ

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 その後、ジョシュアに連れて行かれたのは、花街だった。道の脇に立ち並ぶのは煌びやかな外観の――娼館。ルセーネは花街の通りの門を潜るのを拒む。
 彼に手を繋がれたまま、じたばたと暴れる。

「待ってくださいっ! まさか私を売り飛ばすおつもりですか!?」
「違う。借りている部屋を使うだけだ」
「借りている……部屋?」

 彼は言葉数が少なく、まともに説明もしないまま「黙ってついて来い」とルセーネの前を先に歩いた。

 第一師団の中で、ジョシュアは女に全く興味がないという噂と、娼館通いをする無類の女好きという相反するふたつの噂があったが、後者なのかもしれない。

 案内されたのは、立ち並ぶ娼館の中でもかなり上等な店。店員と顔見知りらしく、近況話なんかをしたあと、店の奥の部屋へと促された。

「ここは……」

 娼館というのにふさわしく、嫌味なほど華やかな一室。金細工の装飾が施された低めの寝台がでかでかと中央に佇む。

 そして――イーゼルや絵の具、筆といった画材道具が散らばっていた。完成したキャンパスが、無数に積み重なり、壁に立てかけられたりしている。

 そのうちのひとつを手に取ってみると、滑らかな肌を晒した美しい女の絵が、繊細なタッチで描かれていた。他の絵も、透け感のあるドレスを着た女など、蠱惑的な娼婦ばかりが描いてある。

「この部屋はアトリエとして借りているんだ」
「絵を描くのがお好きなんですか?」
「ああ、趣味程度だがな。仕事のストレスの解消にはなってる」
「へぇ……」

 趣味程度と言うには、どの絵ひとつとっても素晴らしい出来栄えだし、これだけの数があれば展覧会を開けそうだ。

 そのとき、ジョシュアが以前、『叶わなかった夢がある』のようなことを言っていたのを思い出す。

「もしかして……ジョシュア様の夢って……画家さんになることですか?」
「ずっとそう思っていたが、俺は公爵家を継ぎ、聖騎士になることが生まれたときから決まっていた。それ以外の道は許されなかった」

 椅子に腰かけ、テーブルに散らかった絵の具を整理しながら物憂げに呟く彼。

「聖騎士になるのは嫌でしたか?」
「聖騎士も退魔師も、好き好んでなる奴はそういない。多くが生活のためだ。やりがいはあるが、危険な仕事だからな。できることなら魔物と斬りあったりせずに、教会をめぐって壁画でも描きながら……気ままに生きてみたかった」

 ルセーネも退魔師の仕事の危険さは目の当たりにしている。けれど、自分が誰かの役に立つ方法は、魔物と戦うことしか思いつかなかった。

 普通の人にはない、特別な力を与えられたなら活かしたいとも考えている。

(こんなに綺麗な絵を描けるのに、誰にも見せずにいるのはもったいないよ……。きっと大勢の人の目を楽しませてくれるのに)

 ルセーネはテーブルにばんっと両手をつき、身を乗り出しながら声を上げた。

「――諦めないでください!」

 その勢いに、ジョシュアは手に持っていた筆をからんとテーブルの上に落とす。

 彼は、真っ暗な塔に閉じ込められている生贄とは違う。画材道具も、絵を描くための部屋もある。
 聖騎士や公爵としての立場があったとしても、夢を諦める必要なんてないのではないか。

「忙しくて、教会の壁や天井に絵を描くことはできなくても、画家として活動することはできるはずです……! ほら、例えば私の部屋の壁とかはどうですか? ひび割れしてたりはしますけど壁は壁ですし! あっもちろん代金は給料から差し引いて――」
「ふっ……はははっ」
「……?」

 すると、ジョシュアが吹き出し、口に軽く手を添えながら笑い始めた。表情の変化が少ない彼が、こうして屈託なく笑うのは珍しく、ルセーネは目を瞬かせる。

(ジョシュア様も、こんな風に口を開けて笑ったりするんだ。……可愛い)

 笑うと少しだけ幼くなるような気がして、ずっと年上の男性に対してなのに可愛いと感じてしまう。それに、やたらと心臓が弾んでいた。
 彼は綺麗な顔を崩しながら言った。

「住まわせてもらっている家の壁に、勝手に絵を描いては駄目だろう?」
「そ、それはそうですけど……」
「お前は時々、突拍子もないことを言うんだな」

 彼はふぅとゆっくり息を吐き、頬杖を着いた。その仕草が妖艶で、また胸が高鳴る。

「俺は理由をつけて挑戦することを恐れていただけかもしれないな。こうして絵を描くことはできているのに。励まされた、ありがとう」

 優しく目を細めた彼を見て、胸がきゅうと切なく締め付けられる。高鳴る心臓の鼓動が、何かの特別な感情を主張していて。

 ルセーネはそれを一旦しまい込み、自分の感情を誤魔化すかのように真っ白なキャンパスを彼の胸に押し付けた。

「なんだ?」
「……私のこと、描いてくれませんか。女の人の絵を、よく描いていらっしゃるんでしょ?」
「ああ。もちろんいいとも」

 ぱあっと表情を明るくするルセーネ。しかし、完成した絵の中の女性たちは皆、出るところが出て引っ込むところは引っ込んだ曲線的な肉体美。
 対して自分は小さくて貧相、おまけに童顔だから、描き甲斐がないかもしれないと不安になってくる。

 でも、ジョシュアの目に自分がどんな風に映っていて、その手でどんな風に描いてくれるのか見てみたい。

 部屋の中央の寝台にそっと腰を下ろす。家で使っているものより明らかに上質で、腰の沈み方が違った、
 そして、おずおずと胸のボタンに手をかけ、一番上、二番目と外していき、ささやかな谷間が覗いたところで、ジョシュアがぎょっとした。

「お、おい何をしているんだ!? 服を脱げなんてひと言も言っていないだろう」
「ええっ!? そ、そうなんですか……!?」
「着たままでいい」
「……すみません。私ったら早とちりを……」

 絵を描いてもらうときは、服を脱いで生まれたままの姿になるかはだけた状態になるのが常識だと勘違いをしてしまった。
 かああっと頬を赤くしながらいそいそとボタンを閉めていると、ジョシュアは椅子から立ち上がってこちらに歩いて来た。
 そのまま寝台のルセーネの隣に座る彼。

「それに今日は絵を描くつもりでここに連れて来たのではない。また今度な」
「約束してくれますか?」
「――ああ、約束だ。今日はお前に見せたいものがある」
「私に見せたいもの……」

 一体なんだろうかと小首を傾げれば、彼は突然ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外し出した。あらわになる鍛え抜かれた体躯。ルセーネは「きゃっ」と声を上げて慌てて両目を手で覆い、けれどあえて作った指の隙間からそれを盗み見た。

 ルセーネに脱ぐなと言ってきたくせに、自分は肌を晒すなんて、彼は露出狂か何かなのか。

「ジョシュア様!? い、いくら素晴らしい肉体美だからってそのような自己主張はどうかと……!」
「変な誤解をするな。これを見ろ」
「え……?」
「いいからその手を退かせ」

 両目を覆っている手を強引に外され、妨げられていた視界が完全にクリアになる。

 魔物との戦闘により、鍛え抜かれた身体は傷だらけ。けれどそれ以上に異質な存在感を放っていたのは――黒い痣だった。

(これは……魔物の呪い)

 ルセーネは息を飲んだ。
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