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しおりを挟むジョシュアの力添えで格式ある第一師団に入団させてもらえることになったが、宿舎には住まず、ヘルモルト伯爵家で変わらず居候させてもらうことにした。
身寄りのない自分を住まわせてくれているのはありがたいが、ヘルモルト一家からの嫌がらせには、いささか辟易している。
それにも関わらず、伯爵家に留まることにしたのには――理由がある。
「ちょっとルセーネ! あんたこんな時間までどこ行ってたのよ!? あたしの靴下、ちゃんと見つけて洗ってくれたんでしょうね!?」
「は、はいお嬢様。すぐに持って参ります!」
第一師団から帰ったらすっかり日が暮れていた。ルセーネの帰宅と同時に、エントランスまでやって来たアビゲイルに叱られる。
出発する前に探して洗っておいた靴下を差し出すと、彼女はふんっと鼻を鳴らしながらそれを取り上げた。
「それで? どこに出かけてたの?」
「実は私、王国騎士団の第一師団に所属ことが決まったんです。それで今日は、その手続きを……」
「はああ!? だ、第一師団ですって!? あんたみたいなちっさくてひ弱なのが第一師団!? お母様! 大変よ! ルセーネが――」
彼女の驚く声が頭にがんがん響き、ミレーネに報告しに行く後ろ姿を見送りつつ、両手で耳を塞ぐ。
(んもう……声が大きいんだから)
ルセーネは夫人の私室に呼び出された。当惑するアビゲイルをミレーネが諭す。
「落ち着きなさいなアビゲイル。第一師団といっても色々あるわ。掃除係とか調理師の下っ端とかごみ捨て係とかその辺の雑用に決まってるじゃない」
「いえ……普通に、聖騎士としてお仕事をさせてもらいます」
「…………は?」
第一師団は、国中の退魔師の中でも、選りすぐりのエリートしか入団できず、聖騎士の肩書きを与えられる。神力が扱えて、剣術は優れていなければならない。なお、ルセーネはどちらも当てはまっていないので、この入団が異例中の異例であることが分かる。
自分は100年ぶりに誕生した逸材なんですと伝えたところで、鼻で笑われるだけだと思うので、言わないでおく。
「ほ、ほら言ったでしょお母様! ルセーネは剣も握れないくせに聖騎士になるのよ!」
本来は厳しい試験を経て入ることが許される第一師団。師団長であるジョシュアの推挙で入団が決まったと打ち明ければ、彼女たちはますます驚いた。
「なんの取り柄もなさそうなこの子がどうして……。第一師団は超エリートなのに」
「あの変な炎がきっともの珍しかったのよ。いずれにせよ、王国騎士団は甘くないわ。こんな弱い子はすぐに殉死するのが関の山よ」
本人がいる前で物騒なことを言うミレーネ。ふたりはルセーネを無視して盛り上がり、あるときようやくこちらを振り向いた。いつも、ルセーネをこき使うときと同じ顔をし、先に口を開いたのはミレーネだった。
「――ダニエルソン公爵は、まだ未婚だったわよね」
全身に嫌な予感が走る。
アビゲイルは結婚適齢期を迎えているとのの、わがままで思いやりがなく、これまでいくつもの縁談が白紙になっている。
ミレーネの言葉の先をなんとなく察したルセーネがごくんと喉を鳴らして一歩後退すると、彼女は言った。
「アビゲイルを公爵様に紹介してちょうだい」
最悪だ。予想通りの言葉が来てしまった。アビゲイルのような驕慢で思慮が浅く意地が悪い娘を当てがおうとした日には、紹介したルセーネの心象まで悪くなるではないか。
いやいや、勘弁してほしい。ルセーネは初対面からジョシュアに迷惑をかけっぱなしなので、これ以上迷惑を押しつけるような真似は、いささか気が引ける。
アビゲイルは頬を手に添えて、恍惚とした表情で言った。
「ジョシュア様は彫刻のように美しいお方だと聞いたことがあるわ。ぜひ一度お目にかかりたい……!」
「きっとすぐにアビゲイルを気に入るに決まっているわ。あなたは美人だもの」
「まあっ、お母様ったら!」
ルセーネは頭の中にジョシュアの姿を思い浮かべた。嫌味なくらいに整った顔立ちも、艶やかな長い黒髪も、女性的な繊細な美しさがあった。
彼なら相手は選り取りみどりだろうし、まかり間違っても、驕慢で思慮が浅く意地が悪いアビゲイルを好きになることはないと思う。
(こんな面倒事、絶対断らなくちゃ……!)
ルセーネはなけなしの愛想を全身から寄せ集めた表情を浮かべる。
「あの……でも、ダニエルソン公爵様には、すでに婚約者候補がいるみたいですよ。グレイシーさんっていう。それがすごく可憐で優しい方で……!」
第一師団の詰め所を案内してくれた、品のある令嬢を思い出す。
するとアビゲイルは馬鹿にしたように「あの偽物王女ね」と嘲笑する。グレイシーは王家の養女だった。実は、今の王妃にはひとり娘がいたのだが、生まれたその日に何者かに連れ去られた。それからまもなく、たまたま王宮の門の前に捨てられていたのが、グレイシーだった。
娘を失って傷ついた王妃はグレイシーを孤児院に送らずに、これも何かの縁だと自分が育てることにしたのだ。――彼女の本当の両親が現れたら返すことを、国王に約束して。
アビゲイルに続き、ミレーネも笑う。
「今は王女として偉そうに振る舞っているけど、どうせそれも期間限定。本物の王女が返ってきたら捨てられるのにね」
「本当の王女様はもうきっとどこかで野垂れ死んているわ。グレイシー王女はつくづく運がいいわよね。本当は孤児のくせに。卑しい血が入ってるのに公爵様の婚約者になろうだなんて、図に乗らないでほしいものよ」
王女への無礼はさることながは、現在進行形で卑しい孤児のルセーネの前でそれを言うあたり、この人たちは性格が本当に悪い。
(少なくとも、グレイシー様よりお嬢様の方がよっぽどジョシュア様にふさわしくない思うけど)
ルセーネは心の中でこっそり嘲笑する。
「――とにかく、この件は任せたわよ」
「えっ」
「それじゃこれ。洗濯しといて」
承諾するよりも前に、アビゲイルは新たな洗濯物の山をこちらに押しつけて、ミレーネとともにどこかへ去ってしまった。これは、依頼ではなく拒めない命令なのだと理解し、ルセーネは肩を竦めた。
◇◇◇
ひと通りの家事を終えたルセーネは、屋根裏の自室に戻り、下手くそな祖父の肖像画に話しかけた。
「お嬢様も奥様も勝手じゃない? いつかこんな家絶対出て行くんだか……ら……」
ルセーネが話しかけている途中で、写真立てがかたかたと揺れ始めて倒れてしまった。写真立てだけでなく、チェストそのものが揺れていた。
小さくため息を吐きながら、チェストを横に押してずらす。チェストの奥に現れたのは、壁と同化した魔物。そしてその顔は、ルセーネがよく知る祖父の顔そのもので。
「おじいちゃん……どうして、こんな……」
ヘルモルト伯爵家に居候になるより前のこと。孤児として日雇いの仕事をこなし、路地裏で暮らしていたルセーネ。この屋敷の外壁に祖父の顔が浮かんで見えて、幻でも見たのかとごしごしと目を擦ったのを覚えている。
それからすぐに、ヘルモルト伯爵家で働くようになったのだが、日に日に、そして着実に、祖父の顔は濃くなっていった。今はずっと、屋根裏の壁に住みいている。幸いなことに、ヘルモルト一家は祖父のことにまだ気づいていない。
魔物は、大気中の負のエネルギー魔素を糧に生まれ、成長する。魔素は自然の力以外では、人間が不安や恐怖、憎しみなど負の感情を抱いたときに放出されることがある。つまり人の思念は、魔物を生み出すのだ。
なぜ、祖父の顔をした魔物が、ヘルモルト伯爵家に住み着いているのか、三年間暮らしているがまだ分かっていない。攻撃したことはないものの、本体ならすぐに討伐するべきだが、どうしても倒すことができずにいる。
写真立ての肖像画も、この魔物の顔を模写したものだ。
ルセーネはおもむろに、手のひらに魔炎を灯し、魔物に近づける。けれど、火が魔物に触れる前に、伸ばしていた手を戻した。
自分には、祖父の面影がある魔物を倒すことはできない。この魔物がいる限り――この屋敷を出ることはできない。
「私のことを心配して、魔物になっちゃったの? それとも、おじいちゃんはヘルモルト伯爵家に何か……恨みでもあるの?」
「……」
「どうしてひと言も喋ってくれないの? おじいちゃん」
「……」
どんなに呼びかけても、返事はない。ルセーネはまた小さく息を吐き、チェストを元の位置に戻すのであった。
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