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しおりを挟む「別に私、医官を待てますけど……」
「はぁ。お前は本当に頑固だな? いいから大人しく言うことを聞けって」
「…………頑固なのはそっちでは」
「今なんか言ったか」
「い、いえ! 何も……! サイラス様は天よりも広いお心を持ち、海よりも深い慈愛のある方だなぁと……」
「ったく。調子のいい女だ」
顔を横に振り、しぶしぶ腕をまくって売った部分を見せると、赤く痣になっていた。
「相当痛かっただろ」
「階段から落ちたときよりはマシです」
「それは自業自得だ」
自分は無実だと訴えてみるが、彼は「そうかよ」と鼻で笑うだけでまともに相手にしてくれなかった。サイラスもやはり、付き合いの長いペトロニラのことを信じているようだった。しかし、湿布を貼り、包帯を巻いてくれる手つきは不器用ながら優しい。
「怪我させて、悪かったな。それで? 俺は何をすればいい?」
「何をって……どういう意味ですか?」
「怪我をさせた詫びだ。そのつもりで庇ったんだろ」
ルサレテが怪我をさせたことへの責任を取らせようとしているかのような口ぶりだ。
もし、ペトロニラが言いふらしたようにルサレテの意地が悪ければ、これに乗じて理不尽な要求をしていたかもしれない。でもルサレテは、一切そういう気がなかった。
(好感度……まだ上がってないんだけど。こんなに体を張ったのに。選択肢を間違えたみたいね)
視線を少し上に向け、好感度メーターを確認するが、サイラスの好感度は-100のまま。それを見て、ルサレテはすっかり意気消沈、落胆してしまった。若干苛立ちながら、投げやり気味に言う。
「別に何もしてくれなくていいです」
「嘘つくな。本当は俺を脅して何かする気なんだろ? ペトロニラはお前のことを計算高く狡猾だと言っていた。何の目的もなく人を助けたりしない」
いちいち高圧的というか、上から目線でものを言ってくるサイラス。前世でゲームをしていたときは、いわゆる俺様キャラというような属性で好きだったのに、好感度-100となると、ぞんざいに扱われすぎて逆に嫌いになりそうだ。
「では、何もしないことを要求します。サイラス様の剣で怪我をした話は、これでおしまい」
ルサレテは手当してもらったお礼を伝えて立ち上がり、さっさと医務室を退出した。
部屋に残されていたサイラスは、ルサレテの態度に呆気に取られて目を瞬かせた。
「何もしないことを要求します……か。はは、おかしな女」
そのとき、彼の好感度が-80まで上昇したのをルサレテはまだ知らない。
医務室を出ると、待ち構えていたかのように廊下でペトロニラが話しかけてきた。
「さっき……サイラス様とおふたりで歩いているのを見たんだけど」
「…………」
腕を組みながら近づいてくる彼女。またか、とルサレテは小さく息を吐く。階段から落ちた日も、ペトロニラにロアンと話していたことを追及されたのを思い出す。
友だちと庭園のテラスで軽食を食べていたペトロニラは、ルサレテとサイラスが一緒にいるのを見て慌てて追いかけてきたが見失ってしまったのだと話した。怪我をしたから医務室で手当をしていたのだと説明すると、彼女はわざと怪我をした方の腕を掴んできた。
「ねぇ、調子に乗ってるの? お姉様」
「痛……っ、そこ、怪我してるからそんなに強く掴まないで……っ」
「口答えしないで。私、再三言ったよね? 攻略対象には近づくなって……。どうして私の言うことを聞けないの? そんなに私を怒らせて、もっとひどい目に遭いたい?」
ペトロニラは腕を掴む力を強め、爪も立ててくる。ルサレテは絞り出すように小さな声で反発した。
「もう……ひどい目には遭ってるわ。私の全部を奪ったじゃない」
元婚約者も、両親も、学園の人たちも、誰もがペトロニラの味方だ。なぜなら彼女は、模範的で、完璧な令嬢だったから。でも実は、乙女ゲームの力を使ってずるをして得てきた評価だったのだ。きっと、今目の前で見せているのが本来の彼女なのだろう。
「目障りなの! お姉様なんて、あの日階段から落ちて――死ねばよかったのに!」
彼女は力いっぱいこちらを突き飛ばして、踵を返した。尻もちを搗いたルサレテは、ずきずきと脈打つように痛む腕を擦って俯いた。
(全部奪ったのだから、攻略対象のひとりくらいもらってもいいわよね。ペトロニラ)
ペトロニラが乙女ゲームの力で攻略対象たち上流階級に取り入り、国一番の花嫁候補という名誉と確固たる地位を築けたのなら、ルサレテも現状を変えることができるかもしれない。やられっぱなしでいるつもりはない。
そして、同じく医務室から出てきたサイラスが、姉妹のやり取りの全貌を見て唖然としていた……。
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