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しおりを挟む家を追い出されたルサレテは、王立学園の宿舎で暮らすことになった。学園を卒業したら、どこかに嫁ぐのか、あるいはどこかで働くのか、真剣に考えなければいけない。少なくとももう実家を頼ることはできないだろう。
怪我がすっかり治り、学園に再び通い始めると、ルサレテは非難の的になった。妹をいじめ、階段から突き落とそうとしたことが学園中の噂になっていたのだ。
日本にいたころは、家庭内でのトラブルでも傷害罪として警察に捕まったりする。しかしこの世界では、家庭内の問題に警察が介入することはほとんどなく、例えば夫が妻にどんな暴力を振るっても黙認されることが多い。
学園の生徒たちは皆、ペトロニラの証言を信じ込み、ルサレテが非情な人間だと認識した。
「本当にひどいお姉様ですね! こんなに美しくて優しいペトロニラ様を虐げるなんて!」
「そんな人が同じ学園に通っているなんて恐ろしい話ですわ。何かされそうになってもわたくしたちが守りますわ! だからご安心を。ペトロニラ様」
朝、講堂に到着すると、ペトロニラが沢山の生徒たちに囲まれていた。彼女は悲しそうな笑顔を浮かべて言う。
「私が悪いんですっ。お姉様に恨まれるような私が……。仲良くなれるように努力していたら、このようなことにはならなかったはず。……でも、皆さんが言う通り、お姉様に会うのはとても……怖いです」
「ペトロニラ様は何も悪くありません!」
「実は今日も……学園に来ようか迷ったくらいで……」
「そ、そんな……! むしろルサレテ様が気を遣って学園を辞めるべきでは!?」
講義室に入って早々、自分の悪口を聞いたルサレテは、ぴしゃりと固まる。
(……気まずい)
ルサレテの姿をみた生徒たちは、ひそひそと噂話をした。懐疑的な視線を四方から集めながら席に座ると、近くに座っていた生徒たちが、逃げるように席を移動していく。あからさまに嫌われてしまったらしい。
だから、今の自分にできることは、乙女ゲームの攻略を頑張って少しでも誰かの好感度を上げて、味方を作っていくことしかない。
今すぐこの場から逃げてしまいたい気持ちを抑えた。
講義室の中には、ロアン以外の攻略対象たちもいる。彼らもこちらのことを軽蔑するように見ていた。ルサレテが小さく肩を竦めると、頭上から「おはよう」と言う声が降ってきて、はっとして顔を上げると、ロアンがこちらを見下ろしていた。
表情に少し前のような冷たさはないが、好感度は-90と低いままだ。
「おはよう……ございます」
「あのさ、恥じることをしてないっていうなら、もっと堂々としてな。そんな風に俯いていたら、悪いことをしたのを認めたように見える」
「は、はい……!」
きっとロアンもまだ、ルサレテのことを疑っているから、この好感度の低さなのだろう。でも彼は、生徒たちから露骨に拒絶されるルサレテを可哀想に思ったのか、自分だけルサレテの隣に座った。
「言っておくけど、俺が君の味方っていう訳ではないから。勘違いしないように」
「……は、はい、分かっています。……でも、気にかけてくださったんですよね……? 心細かったので、嬉しいです」
「……別に」
冷たく言いつつも、図星だったらしく、頬杖をつきながらきまり悪そうに目を逸らした。その様子を見て気が緩み、ふっと小さく笑うルサレテ。
2人のやり取りを遠目に、生徒たちはどうしてロアンはルサレテのことを気遣うのかと疑問に思う。
「なぜロアン様がルサレテ様のお隣に……?」
「あの方が庇うってことは、今回の件でルサレテ様は悪くないのかな?」
生徒たちが内緒話する中で、ペトロニラは気に入らなそうにひっそりと親指の爪を噛んでいた。
すると、授業が始まってしばらくして、空中ディスプレイが点滅し、『イベント発生』の文字が表示された。
(授業中にイベント……?)
それは、エリオットが対象になる好感度上昇イベントだった。
これから、講義室の中に窓から虫が入ってきて、室内は大騒ぎになる。授業どころではない混乱の中で、対処できるかというところだ。ちなみに、エリオットは大の苦手で有名だ。
確か、前世でプレイしたゲームの中でもこんなイベントがあり、ヒロインのペトロニラは虫取り網で捕まえたはずだ。画面のアイテム欄を確認すると、虫取り網が購入できるようになっている。
その一分後、予告通り窓から小さな虫が入って来て、講義室の中は騒動になった。女子生徒たちは悲鳴を上げ、男子生徒たちは虫が自分のところにやって来ないようにあしらったり、教科書で顔をガードしたりしている。
「やだ、私虫大嫌い……っ。誰か、早く何とかして……っ!」
本来なら虫を撃退して賞賛される予定だったペトロニラは、他の生徒たちと一緒にきゃあきゃあと騒ぎ、講義室の隅まで逃げた。そして、同じく避難していたエリオットを盾にするように背中に隠れている。
虫はそんな2人のところへまっすぐ飛んでいき、あろうことかエリオットの鼻の先に止まった。大の虫嫌いのエリオットは、顔を真っ青にして固まった。
(こんなの……わざわざポイントを消費して網を買う必要ないじゃない)
ルサレテはすっと立ち上がり、顔面蒼白のエリオットの元まで歩いた。
「な、何を……っ」
「少しじっとしていてください」
「……!」
そう声をかけて両手を伸ばし、虫を包み込むようにして捕まえる。虫に脅えていたエリオットは安堵を滲ませていた。ルサレテはそのまま虫を窓の外に逃がした。
「山へお帰り」
動物も虫も苦手ではない。貴族令嬢として生きてきた今世は、屋敷に虫が出ると召使いたちが対処するが、前世では自分でなんとかするしかなかった。かさかさと床を這い回る黒いアレが出ればスリッパの裏で叩き潰し、蜘蛛なんかが出たら害虫を食べてくれるからと共存することもいとわなかった。
虫を逃がして席に戻ると、ロアンの好感度は+1とほんの少しだけ上がっていた。あわよくばもう少し上げたいところだったが、虫を対処したくらいでは+1くらいが妥当かもしれない。
一方、エリオットの方を一瞥すると、彼の好感度は-100から-60まで跳ね上がった。……彼はよっぽど、虫が嫌いらしい。
ルサレテが攻略したいのはロアンだが、結果として思わぬ相手の好感度の方が高くなったのだった。
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