45 / 50
45
しおりを挟むそんなとき、ルーシェルがクラウスに近づいてくるようになった。
ある日。エルヴィアナが中庭の木の裏で泣いているのを見かけた。
(エルヴィアナ?)
いつもの取り巻きたちはいない。誰もいない木の影で座り、物思いに耽っている様子。勝手に盗み見るのは悪いと思いつつ、遠くから見ていれば、彼女は静かに涙を流していた。
(なんて可憐な……)
悲しくて泣いている相手にこんなことを思うのは間違っている。でも、風に揺られてはためく黒髪も、涙に濡れたまつ毛の一本も洗練されていて。今にも消えてしまいそうな儚さと憂いを帯びた泣き姿は、あまりにも綺麗だった。
すぐに駆け寄って彼女の心を慰めてあげたい。そう思うのに、今の彼女に自分が必要だという確信がなく、足が動かなかった。
「エルヴィアナさんがお泣きになっている理由、教えて差しあげましょうか」
地面に縫い付けられたようにただその場に立ち尽くして、泣いているエルヴィアナを見ていたら、後ろから声をかけられた。
振り返ってそこにいたのは、ルーシェルだった。彼女は掴みどころのない笑顔を湛え、こちらに歩み寄った。
「結構だ。話なら直接本人に聞く」
「時には、本人には言えないこともございますのよ」
「…………」
クラウスはそんなルーシェルを胡散臭く思った。本当に親切な人間なら、本人に隠したい本音を聞いても、それを本人にこそこそ告げ口したりしない。これは親切心ではなく、ただの自己満足の偽善だ。
「俺は他人から本音を聞き出すような卑怯な真似をする気はない」
話をするなら直接本人とだ。そうは言っても、エルヴィアナはクラウスと会話するのを拒むのだが。
もう一度、エルヴィアナの姿を見る。両手で顔を覆い、肩を震わせながら泣く彼女。……一体何が、彼女の心をそんなに苦しめているのだろうか。クラウスは何一つ、彼女の抱えているものを理解してあげられていない。泣いている彼女の涙を拭ってやることさえできない自分が、情けなくてたまらない。
「本当によろしいのですか? 意地になっていては、大切なものはあっという間に指の隙間からこぼれ落ちてしまいますわよ」
彼女を失うなんて、考えられない。しかし、しばらくの逡巡の末、クラウスはもう一度拒否した。
「やはり結構だ。俺は、エルヴィアナの言葉しか信じたくない。彼女が伝えてくれるまで待ち続ける」
ルーシェルはふふ、と余裕たっぷりに笑い、「殊勝なことですわね」と答えて去って行った。それからルーシェルは、度々クラウスに話しかけて来るようになった。彼女が王女である以上、無下にする訳にもいかず、適当に付き合っていた。
二人を恋仲だと勘違いし、更にルーシェルの言葉に惑わされたエルヴィアナが、婚約解消を決心するとも知らずに。
◇◇◇
今思えば、ルーシェルが話しかけて来るのはエルヴィアナが近くにいるときを選んでいたようにも思える。ルーシェルは二人の仲を拗らせようとしていたのだ。
クラウスはエルヴィアナにもらったクッキーの箱を引き出しに収めた。それから、侍女に用意させた麻紐を、花冠に結んでいく。長期保存するために乾燥させてドライフラワーにするつもりだ。
(エリィは短絡的で、人の話をすぐ信じるところがある)
昔本人も言っていたことを思い出す。魅了魔法のことを早くに打ち明けてくれていたら、ルーシェルの言葉を鵜呑みにしていなければ、もっと別の未来があったかもしれない。けれど、短所も含めて彼女のことが全部好きだ。
自分でも戸惑ってしまうくらい、彼女に惚れている。少し優しくされればすぐに舞い上がってしまうような馬鹿な男なのだ。
寝ても覚めても、頭にあるのはエルヴィアナのことばかり。こんなに想っていることを、きっと本人は知らないだろう。
『クラウス様が苦手なことはわたしが補うから。わたしはいつか、あなたのお嫁さんになるんだもの』
いつかのとき、エルヴィアナに言われた言葉を思い出す。なら自分も、彼女の駄目なところも補えるような婚約者になりたい。そう思う。
194
お気に入りに追加
3,664
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう
さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」
殿下にそう告げられる
「応援いたします」
だって真実の愛ですのよ?
見つける方が奇跡です!
婚約破棄の書類ご用意いたします。
わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。
さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます!
なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか…
私の真実の愛とは誠の愛であったのか…
気の迷いであったのでは…
葛藤するが、すでに時遅し…
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た
【完】貴方達が出ていかないと言うのなら、私が出て行きます!その後の事は知りませんからね
さこの
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者は伯爵家の次男、ジェラール様。
私の家は侯爵家で男児がいないから家を継ぐのは私です。お婿さんに来てもらい、侯爵家を未来へ繋いでいく、そう思っていました。
全17話です。
執筆済みなので完結保証( ̇ᵕ ̇ )
ホットランキングに入りました。ありがとうございますペコリ(⋆ᵕᴗᵕ⋆).+*
2021/10/04
【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ
さこの
恋愛
私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。
そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。
二十話ほどのお話です。
ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)"
ホットランキング入りありがとうございます
2021/08/08
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる