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 そっと袖を捲り、いつも隠している右腕を見る。

 黒々とした痣は古代文字を示していて、噛まれた場所を中心に広範囲に広がっている。神殿の見解では、エルヴィアナを噛んだのは原始の時代に生きていた魔物というもので、誰彼構わず魅了してしまう魔法が発動する呪いにかかってしまったのではないかということだった。

 魔物ははるか昔に絶滅したが、稀に封印された状態で現代まで残っていることがあるそうだ。

 あの魔物を倒さなければ呪いは解けず、エルヴィアナの生命力は吸い取られ続け、いずれ死んでしまうかもしれないと言われている。

「今からでも、全てを正直にお話しなさったらいかがですか?」
「……話すつもりはないわ。何度もそう言ってるでしょう」

 本当のことを言ってしまえば、クラウスはエルヴィアのことを思って心を痛めてしまうから。

 あの日、森を散歩しようと誘ってきたのは彼だった。そして、無視すればよかったはずの魔物を構った。クラウスを責める気持ちは少しもないが、優しい彼はエルヴィアナが呪われる原因を作ってしまったと苦しむことになるかもしれない。

 だから、言えなかった。悪女として皆に嫌われても、クラウスに失望されても、魔獣に噛まれて呪われていることは誰にも打ち明けられなかった。平然を装って学園に通い、悪女と呼ばれることに甘んじていた。クラウスから別れを切り出されることもずっと覚悟していた。

 ブレンツェ公爵家は、事件の日から人を雇い、あの魔獣の捜索をさせている。けれど四年間、一度もその姿は見つかっていない。このまま放っておいたら、自分はいつか呪いにむしばまれて死んでしまうのかもしれない。

 彼がルーシェルに心移りしたと知って、ようやく婚約解消を申し出る決心がついたのに、ここに来て魅了魔法を発動させてしまった。


『俺は君のことが、きら――』


 嫌いだと言われかけたのがきっかけだった。

 魅了魔法が発動するには、ある条件がある。


 ①相手が美男子であること。
 ②相手に対し、エルヴィアナが強く負の感情を抱くこと。


 ……だ。はっきりしたことは分かっていないが、魔獣が美しいものを憎み、人間の負の感情を好むことに起因しているとか。

 今まではクラウスに対して嫌だと思ったことはなかったし、うまくコントロールしてきた。でも、嫌いだと言われかけたとき、反射的に『嫌だ』と強く思ってしまったのだ。それが魅了魔法の引き金となった。

 スカートの上で、ぎゅっと拳を握り締める。

「……彼には悪いことをしてしまったわ」
「そんな……。お嬢様に悪いところなんてありません」

 この魅了魔法は、一度かけてしまった相手には永続的に効果が続いてしまう。今までかけてしまった人たちには、本当に悪いことをしてしまったと思う。

 しかし、魔獣を倒せば呪いが解けるように、エルヴィアナが死ねば魅了魔法の効果は消える。

 鏡を見ると、ふてぶてしい表情を浮かべたエルヴィアナが写っていた。いつの間にか、眉間に皺を寄せるのが癖になっていた。ぼんやりと鏡を眺めながら思った。

(皮肉なこと。最低最悪の悪女に……随分幸せな夢を見せるものね)
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