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 パーティーの帰り、クラウスが家まで送ってくれることになった。見送りは不要だと断っても彼は頑なで、折れるしかなかったのだ。手を引かれたまま、庭園から停車場まで歩く。

 手を繋ぐのはいつぶりのことだろう。魅了魔法の呪いにかかってしまってから、ずっと彼のことを避けてきたので、こういったスキンシップは久し振りのことだ。

(クラウス様の手……大きい)

 昔は同じくらいの大きさだったのに、今はひと回りもふた周りも大きくて、エルヴィアナの細い手がすっぽりと収まってしまう。節があるたくましい手に包まれると、守られているような安心感がある。

「エリィの手は小さいな。柔らかくて……溶けてなくなりそうだ」
「そんな訳ないでしょう」

 エルヴィアナと手を繋いで感動しているクラウス。というか、さりげなく『エリィ』呼びしている。そんな愛称で呼ばれたのは初めてだ。
 彼は紳士的にエスコートしつつ、歩調もこちらに合わせてくれていた。庭園の景色を楽しみながら、ゆったりと歩く。

「そこ、足元に気をつけろ」
「……ありがとう」

 手で支えられながら、馬車に乗り込む。そこで彼は向かいではなく隣に座ってきた。そして、おもむろに手を伸ばして、膝の上のエルヴィアナの手に、自身の手を重ねる。

「あの……この手は」
「少しでも君に触れていたくて。そうでないと切なくて死んでしまう」
「うさぎみたいなメンタルね」

 うさぎなどの小動物は寂しいとすぐに精神をやられて死んでしまう、なんて言ったりする。隣にいる体躯のいい青年が、さながら小動物のように思えた。

「俺が触れるのは――嫌か?」
「…………」

 手を握ったままのクラウスが尋ねる。

 嫌なはず、ない。本当はずっと彼のことが大好きで、恋人らしいスキンシップだってしたかった。でも、魅了魔法のことが後ろめたくて避けるばかりだったのだ。

「嫌だなんて……言った覚えはないわ。あなたが寂しくて死んだりしないように……仕方ないから、こうしててあげる」

 上から包まれた手をひっくり返して、指を絡めるように繋ぎ直す。赤くなった顔を隠すように、窓の方に顔を背けると、隣から「嬉しすぎて死にそうだ」という声が聞こえてきた。

 いや、どっちにしろ死ぬのかい。寂しくても嬉しくても死ぬのでは手に負えない。

 しばらく沈黙したまま、馬車に揺られた。
 沈黙を破るように、クラウスがおもむろに「君の男遊びのことだが」と切り出した。何を言われるのかと思い、固唾を飲む。

「君のことを責めたくはない。だが、俺は婚約者として――いや、君を愛する男として、不特定多数との異性交友を認める訳にはいかない。その点について、君はどう思う?」
「つまり、異性交友を辞められるかどうかという話?」
「い、いや、その……君のやりたいことを制限したくはないが、平たく言えばそうだ」

 ひどく煮え切らない様子で、こちらに気を使っているのが分かる。

 辞められるならとっくの昔に辞めている。
 傍から見たら色んな男を取っかえ引っ変えして遊んでいるように見えるだろうが、実際のところは、エルヴィアナの意思に反して、勝手に惚れられ、勝手に付きまとわれ、勝手に尽くされているだけなのだ。何度拒んでも無駄だった。

「無理な相談ね」

 上から目線でぴしゃりと跳ね除け、自嘲気味に鼻で笑う。その姿はまさに、生粋の悪女といった風情だ。

「……そうか」

 しゅんと肩を落として意気消沈するクラウス。彼はしばらく逡巡した後、こう切りかえしてきた。

「なら、こういうのはどうだろうか。曜日ごとに遊ぶ相手を交代するシフト制にする……というのは」
「シフト制」

 浮気を受け入れた上、限界の限界まで妥協して擦り合わせようとしてくる健気さが、哀れにすら思える。

「これからは俺を構う日を週に一度でいいから作ってほしい。それ以外は他の男でも構わない。だからもう、俺のことを避けないでくれ」

 眉をひそめ、捨てられた子犬のような目で懇願されれば、拒めない。

(う……その顔は、反則)

 はぁと小さくため息をついた。

「そんなに遠慮しなくたって、望むならわたしの時間をお好きなだけあなたに差し上げるわ。婚約者でしょう?」

 ただし、まとわりついてくる取り巻きたちをうまくかわせるなら、という条件付きだ。
 クラウスは嬉しそうに口角を上げて、「そうだな」と答えた。

 繋いだ手から温もりが伝わってきてどきどきしてしまう。今、クラウスが抱いてくれている好意は全部、魅了魔法で強制されているものだ。頭では理解していても、舞い上がっている自分がいた。

(魅了魔法のこと、洗いざらい全部打ち明けられたら……楽になれるのに)

 移りゆく窓の外の景色を眺めながら、そんな風に思った。

 エルヴィアナはクラウスに、魅了魔法の呪いのことを話していない。彼だけではなく、親しい友人にさえ話していない。知っているのは家族と侍女のリジーだけ。

『悪女』と嫌われまくっても言い逃れせず、魔法のことを黙っているのは――理由があった。



 ◇◇◇


 
 屋敷に到着すると、門の奥に使用人たちが控えていて、いつものように盛大に出迎えられる。

「お帰りなさいませ。お嬢様」

 クラウスにエスコートされながら馬車を下りると、使用人たちが驚きを顔に滲ませた。彼が家まで送ってくるのは数年ぶり。驚くのも無理ないだろう。

「見送ってくださってありがとう。私はこれで……」

 繋いでいた手を解こうとするが、なぜだか一向に離してくれない。

(ちょ、ちょっと何!?)

 力を入れて身じろぐ。

「は、離しなさいよ」
「すまない。つい君と別れるのが惜しくなってしまった」
「そんなこと言われたって困るわ。また明日会えるじゃない」
「……分かっていても、胸が切なくて辛い」

 悲しそうな表情でこちらを見つめてくる彼。そんな目で見つめられても、家の前でこんなことをしていたって仕方がない。

 すると、彼は自分の頬をつんと指差して、とんでもないことを要求してきた。

「ここにキスしてほしい。でないと引けない」
「はぁぁ!?」

 ぎょっとして淑女らしからぬ声を漏らしてしまった。
 使用人たちが大勢いる前で、なんてことを言うのだろう。後ろを振り返ると、使用人たちが気を使って顔を背け、こっちを見ないようにしている。

 身をかがめて、頬をこちらに傾けるクラウス。キスなんて一度もしたことがなくて、考えただけで心臓がはち切れてしまいそうだ。でも、彼は頑なだった。このまま揉めていても埒が明かないと思い、覚悟を決める。

 繋いだままの手をぐいっと引いて、顔を近づけた。

「……手なら」

 小声で呟き、ちゅっと手の甲に口付ける。

「これで満足? さっさと帰っ……て――!?」

 ようやく手を離してくれたので、安心つつ顔を見上げる。するとクラウスは、エルヴィアナがキスした自分の手の甲を口元まで持っていって、そっと唇を押し当てた。その姿が、あまりにも色っぽくて。

「~~~~!?」

 間接キスだと理解したエルヴィアナは、顔をかあっと赤くさせて固まった。

「また明日」

 クラウスはそんなエルヴィアナをどこか満足気に見た後、くるりと背を向けて去って行った。
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