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「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」


 まるで、ごきげんようと挨拶すると同じくらい軽い感覚で、とんでもないことを告げられてしまった。関係が拗れてしまうかもしれないのに、わざわざ悪口を言われた本人に告げ口するのは無粋ではないか。

 上目遣いでこちらを見上げるルーシェル。どんな反応を取るのか窺われているみたいだ。その表情からは悪意を全く感じなくて逆に怖い。

「それは、わたしが一番よく知っています」

 一番彼の傍にいたのはエルヴィアナだ。彼の心変わりに気づかないはずがない。

 表情を変えずに冷静に答えると、ルーシェルはちょっとだけつまらなそうに肩を落とした。

(言われなくたって、分かってる)

 クラウスに嫌われるのは当然だ。よく分かっている。なぜなら――。

「クラウス様がお可哀想ですわ。『悪女』として有名なエルヴィアナさんの婚約者だなんて。それだけで名誉に傷がついてしまいますもの」
「…………」

 しおらしげにそう言ったルーシェルは、エルヴィアナの背後に視線を向けた。

「相変わらず節操がないですわね。……このような公衆の面前で」

 それは、軽蔑するような眼差しで。

 エルヴィアナの後ろには、複数人の美男子がべったりくっついていた。彼らは皆、エルヴィアナに心酔する取り巻き令息だ。

 一人は扇子を仰いで冷風をそそぎ、一人はいつでも喉を潤せるように飲み物のグラスを持っている。貴族の令息たちが、さながら執事のように至れり尽くせりだ。

 やめてほしいと言うと揃いも揃って命を絶とうとするので、彼らの奉仕を拒めないのだ。

(わたしだって、望んで悪女呼ばわりされてるんじゃない)

 エルヴィアナには、ちょっと特殊な能力がある。それは――魅了魔法。意図に反して人の心を鷲掴みにして、夢中にさせてしまう。しかも、対象は美男子に限定される。

 この能力を自覚したのは、十三歳のとき。あらゆる美男子を魅了してしまう不可解な症状に悩まされ、色んな医者に相談したが原因不明。最後に藁をも掴む思いで頼った神殿で、これが魅了魔法なのだと発覚した。

 遠い遠い昔。このイリト王国には魔法が使える人がいたという。科学の発展と信仰心の低下に伴い、魔法使いはいなくなり、今や魔法の「ま」の字さえ聞かなくなってしまった。

 エルヴィアナの場合、十三歳のときにある事件に遭って呪いを受け、こんな魔法が使えるようになってしまった。美男子だけを無自覚に籠絡してしまうせいで、エルヴィアナは『悪女』と呼ばれている。おかげで同性の友達はいないし、社交界での評判は最悪だ。

「クラウス様はどうしてそのことをあなたに打ち明けられたのですか?」

 ルーシェルは顔を赤くしながら、目を伏せた。

「婚約者のあなたには言いづらいのですが……それは、あのお方がわたくしのことをお好きだからですよ」
「!」

 すっと視線をこちらに戻し、可憐な仕草で胸に手を当てて微笑む。

「わたくしも……彼をお慕いしております。とても。最初はあなたのことで相談に乗っていましたの。それからお互いに惹かれ合って……」

 よく話しているのは知っていたが、まさかエルヴィアナの知らないところで想い合っていたとは。

 でも、男をたぶらかし、取り巻きを連れているエルヴィアナに愛想を尽かすなと言う方が無理な話だ。他の人に心が移るのも自然なこと。

「だから――分かりますわよね? クラウス様とお別れしてください。そうすればあなたも自由に男の子遊びができるじゃありませんか」

 おもむろに、遠くで他の生徒と話しているクラウスを盗み見る。いつも見慣れた仏頂面で、誰かと話しをしている。でもそれが、ルーシェルの前では笑顔になれるというのなら。邪魔者は潔く引くのが彼のためだろう。

 むしろ今まで彼から婚約破棄を突きつけられなかったのがおかしいくらいだ。

「……分かりました」

 そう答えれば、ルーシェルは「話が早くて助かります」と、感情の読めない不敵な笑みを浮かべた。

 もう一度、クラウスの方を一瞥すると、つつじ色の美しい瞳と視線がかち合った。エルヴィアナは冷ややかに目を細めた。

(王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様)

 ――心の中でそう告げて。
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