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62話

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 朝食を終えて、全員で冒険者ギルドへ向かう。

 昨日は陽が落ちていたので視線を感じなかったが、今日は人々から見られていた。だが悪意はほとんど向けられていない。この都市にも、全国紙の効果が広がっているらしい。

 それにもうすぐ建国記念日なので、第12都市の街は綺麗に装飾されている。淡い橙の光粒がたくさん付けられている並木。その美しさが、人々の心を穏やかにしているのだろう。

「第12都市は、ライル様の生まれ故郷なんですよ。ご実家もあります」

 前世のクリスマスに似た雰囲気の街並みを眺めていると、先頭を歩いているオロバスが説明してきた。
 父上の故郷。ではここで父上とオロバスが出会い、友情を育んだのだな。もしかしたらシャルマン公爵とも、幼少期から面識があったのかもしれない。悪友と言っていたし。

「じゃあノエルのおじいちゃんやおばあちゃんが、近くにいるんだね」
「叔父様や叔母様、従姉弟、それから曽祖父母もいますよ」
「わ、大家族じゃん。ここにいるうちに、会いに行くの?」
「いいえ。訪問時はいつも父様達と一緒でしたし、今は見習い騎士として、王命を受けているリュカに同行している身ですからね。なのであまりにも個人的な場所には行きません」

 うむ、今日もノエルは真面目でしっかりしているな。
 そう感心していると、隣を歩いているベネットが俺を見上げてきた。なんだか心配そうな様子である。どうしたんだ? 不思議に思って見返せば、焦ったように首を横に振られた。

「ご、ごめんなさい。なんでもないです」
「そうか」

 話したくないようなので、相槌を打つに留めておく。だが何故かオロオロするし、涙目にもなった。……本当に、どうしたんだ。

 わからなかったので友人達に助けを求めようとしたが、後ろにいるミランダやカミラ、シンディは、別の話題で盛り上がっていた。いつもはすぐに気付いてフォローするニナも、今はノエルやオロバスと熱心に話をしている。どうやら執事という職業が気になるらしい。

 リュカとは手を繋いでいるが、決闘に向けて集中しているはずなので、煩わせてしまうのは申し訳無いよな? そう思いつつも視線を向けてみると、普通に俺を見ていた。しかもきちんと会話を聞いていたらしく、苦笑されてしまう。

「そこで追求しないのが、ザガンだよね」

 なるほど。先程のなんでもないには、気になることがあるから聞いてほしい、という真逆の意味が含まれていたようだ。

「すまないベネット、気付かなかった」
「い、いえっ。とっさに否定してしまった、僕が悪いんです。ザガンさんは、僕の言葉をそのまま受け止めただけです」

 まぁその通りだが、歩みよりは大切だろう。ベネットが気弱な性格なのは、知っているわけだし。

「それで、どうしたんだ?」
「え、ええと。ノエルさんの親戚ということは、ザガンさんの親戚でもありますよね? だから何か思うことがあるのではないかと、心配になりました」
「……ああ、言われてみれば。無関係のつもりで聞いていた。というか無関係だろう。今まで存在すら知らなかった者達など、血縁であろうと他人だ」
「そ、そうですか。ザガンさんが気にされていなくて、良かったです」

 遠慮がちな笑顔を向けてくるベネット。
 話はそれで終わり、ではないようだ。手をもじもじ動かしたり、視線を彷徨わせたりしていて、迷っている。

 たんに質問しづらいだけか、それとも考えが纏まっていないのか。俺から尋ねるべきか、彼女から話しかけてくるのを待つべきか。
 答えを求めて再びリュカを見ると、唇に人差し指を当ててシーと囁かれた。小さく頷き返して、しばらく待つ。

 数分経ったあと、ベネットは意を決したように俺を見上げてきた。

「あのっ、ザガンさん! こんなことを聞くのは、失礼かもしれませんが。その、これは例えばのお話で。も、もしもザガンさんのお母様が、今になって母として接したいと言ってきたら、どうされますか?」
「視界に入っても無視する。近付いてくるようなら、威圧する」

 簡単な質問だったので即答したら、彼女はポカンとする。

「え……と、そもそも言葉を交わさない、ということでしょうか」
「ああ。俺が黒髪だからという理由で、育児放棄した人だからな。今更母親面されても困るので、無関係を貫かせてもらう」

 まぁ父上やオロバスから聞かされていた母の性格が正しければ、向こうから接触してくることは無いだろう。

 魔力が少なく、戦闘能力もほとんど無い。貴族にしては、あまりにも繊細で弱い人。だが弱いからこそ、他者の弱さに寄り添える優しさを持っている。

 だから俺に会えなかった。邪神を彷彿とさせる、黒髪赤目。王都のあちこちが破壊される中、逃げきれず邪神に殺されそうになった恐怖が、どうしても蘇ってしまう。父上がいなければ確実に死んでいた、恐怖が。
 しかし母親として、息子に脅える姿を見せるわけにはいかない。そうしてあの人は、会わないという選択をした。

 これから先、リュカの傍にいれば対面することもあるだろう。だが彼女からは話しかけられないはずだ。どんな理由であろうと、育児放棄した罪悪感に苛まれるから。

 弱くも優しい母上。俺に対する忌避の中に、愛があったかはわからない。それでも屋敷から出る時、貴女は遠くから見送ってくれた。
 そんな貴女に、求めることはほとんど無い。

「これからも父上を愛し、娘であるノエルを大切にしていれば良い。そして俺のことなど気にせず、心身共に健やかな毎日を送ってくれれば良い。俺が望むのは、それだけだ」

 互いに干渉しなければ平穏が保てる。なのでそう答えたら、いきなりリュカから抱き締められた。伝わってくる感情は、悲しくも愛おしいという、少々複雑なもの。

 包まれるのは嬉しいが、立ち止まったままだと、またミランダから怒鳴られるぞ。

「う、ううぅ……ザガンさん……うえ、ふええぇんっ」

 ベネットの号泣まで聞こえてきて、さすがに驚いた。
 どうにかリュカの懐から顔を出して視線を動かすと、困ったように頭を掻いているミランダが見える。それに、背中に触れている手。この気配は、ノエルだ。

「少し、脇道に入るかの」

 カミラが近付いてきて、リュカの腕を叩いた。すると腕が緩んだので、身体を離してリュカの顔を窺う。目が合うと優しく微笑まれ、ちゅっと額にキスされた。言葉は無いが、愛しさが伝わってくる。

 後ろを確認すると、ノエルはぎゅっと口を結んで、俺を見ていた。泣いているベネットは、ニナとシンディによって涙を拭かれたり背中を撫でられ、慰められている。
 そして俺達全員を静かに見守っているオロバス。決闘どころではなくなっているな。

 とにかく全員で付近の路地裏に移動し、人目から遠ざかった。
 足を止めると、ノエルが懐に顔を埋めてくる。リュカからも背後から抱き締められ、頬を擦り寄せられた。以前も、このような状態になったことがあった。

「ノエル、どうした?」

 リュカからは好きという想いが溢れているだけなので、尋ねなくて平気だろう。だがノエルは、何かあったようだ。
 頭をそっと撫でると、彼女は泣きそうな表情で見上げてきた。

「私は以前、兄様に嫌な思いをさせてしまいました」
「お前と話していて、そのような感情を抱いたことは無い」
「母様の写真を見せた時のことです。先程の兄様の言葉を聞いて、私はようやく自分の愚かさに気付きました」

 ああ、聞いていたのか。知られても構わないが、母上と良好な関係を築いているノエルには、衝撃だったかもしれない。

「そう、ですよね。母様が兄様にしたことは、育児放棄なんですよね。そんなの許せるわけないじゃないですか。なのに私は、兄様の気持ちを深く考えず、意気揚々と写真を見せて……ごめんなさい、兄様」
「お前が謝る必要は無い。それに母上が憎いわけではない。拒絶してしまうだけだ」

 正直に告げたら、ノエルは再び俺の胸元に顔を埋めてきた。悲しませてしまっただろうか? だが嘘はつきたくない。

 周囲に人の気配がしないことを確認してから、ノエルの背中を緩く抱く。そしてぽんぽん叩いて慰めると、ぐうっと喉を鳴らす音が聞こえてきた。涙を堪えているのか。

「……兄様と一緒に王都に戻ったら、家族で食事をしたいと思っていました。ずっと独りだと仰っていたから、父様や母様と食卓を囲めたら嬉しいだろうと。私がとても嬉しいから、兄様も同じ気持ちだと、思い込んでいました。兄様は望んでいないなんて、考えもしていなかった。兄様がどうして母様の顔を知らなかったのか……それに対する感情を、考慮していなかった。私は、自分勝手です」

 心優しい妹。俺を想ってくれていることは、よくわかる。だから自分勝手という言葉を、簡単には肯定したくない。

「ノエル。他者の心を推し量るのは、とても難しいことだ。良かれと思って行動したことが、相手にとっては迷惑な可能性もある。……だがそれでも、お前自身が心から望むのなら、努力してみると良い」

 そっと髪を撫でると、おずおず顔を上げてきた。少しだけ涙が滲んでしまっている。

「俺の意見は聞いたが、母上はどうだ? 俺に会いたいと思うかもしれない。その時、俺が嫌がっているからとすぐ諦めるか、時間をかけても説得を試みるかは、ノエル次第だぞ」
「……つまり兄様は、私の言葉であれば、耳を傾けてくださると?」
「ああ、大切な妹を蔑ろにはしない。望みを叶えてやれるかは、その時にならないとわからないが」

 現時点ではどうしても、心が拒絶している。育児放棄した母親と、会話などしたくないと。憎んではいないが、親しくなりたくもない。

 だがノエルが渇望するのなら。そして納得するだけの言葉と時間をくれるなら、いつか譲歩しようと思える時が来るかもしれない。

「ありがとうございます兄様。私、やっぱり一度で良いから、家族4人で食事をしたいです。どうして兄様は一緒でないのかと聞いて、窘められることがない食卓を……父様と母様が向かいにいて、隣を見たら当然のように兄様が座っている。そんな幸せな食卓を、囲んでみたいから」
「…………そうか」

 ずっと、夢見てきたのか。俺が隣にいることを。
 ずっとずっと、寂しかったのか。俺が隣に座っていなくて。

「だからすぐには無理でも、何年掛かっても、いつか実現させられるように努力します。兄様の説得も、母様の説得も、頑張りますっ」

 元気になったノエルに、驚いてしまう。首を傾げると、ノエルはふふっと嬉しそうに笑った。

「だって以前は、兄様が生きているかどうかも、わかりませんでしたから。でも生きてくれていて、今ここにいる。可能性がゼロじゃないなんて、とても嬉しいことです」

 そうか、強いな。
 頭を撫でると、ノエルはえへへっと少し恥ずかしそうに笑顔を零した。それから俺を抱き締めているリュカへと視線を移す。

「リュカ、もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」
「問題無いよ。俺はザガンを抱き締めているだけだもの」

 リュカに迷惑? その意味がわからなかったので、背後にいるリュカを確認しようとしたら、ちゅっと頬にキスされた。

「ザガンとノエルが兄妹だと、世間は知らないからね。それにザガンは俺の婚約者だから。王子の婚約者と伯爵令嬢が抱き合っている光景を見られて、民間から貴族へと噂が広がってしまうと、いろいろ面倒なことになる可能性があるでしょ?」

 なるほど。つまりリュカが俺を抱き締めることで、大通りからノエルが見えないようにしていたのだな。
 しかしオロバスが路地の手前に立っているので、覗こうとする者はいないと思う。反対側は、先に移動してきた女性陣5人が立っている為、自然とノエルの背中を隠しているし。

 だがそれでも、常に細心の注意をしておかなければ、噂というものは広がってしまうのだろう。
 特に王子であるリュカは注目されるので、あっという間に伝わっていく。人の思考とはどうネジ曲がっていくか不明なので、何故か黒髪の俺ではなく、ノエルやブレイディ家が悪く言われてしまう可能性もある。とにかく用心に越したことはない。

 とりあえずノエルが離れたので、友人達へと視線を向けた。すでにベネットの涙は止まっており、俺達の話が終わるのを待っていたようだ。

 そんな彼女達に、リュカが声をかける。

「みんな、待たせてごめんね。ベネットは、もう大丈夫かな?」
「は、はい。こちらこそすみません。大事な用事の前に、お時間を取らせてしまって」
「決闘はあくまでも個人的な問題だから、気にする必要は無いよ。ただ、どうしてザガンに母親のことを聞こうと思ったのか、教えてもらっても良いかな? 失礼かもしれないって前置きしてでも聞いたのだから、何か理由があるんだよね?」

 柔らかい声と言葉で促されたからか、ベネットは少し視線を彷徨わせたあと、しっかり頷いた。

「はい。その……昨夜ベッドの中で、考えてしまったんです。この都市のダンジョン攻略が終わって、王都に着いたら、旅が終わるんだなと。リュカさんとノエルさんは王都に家がありますし、ザガンさんはリュカさんと一緒に残りますよね。皆さんも、きっと家に帰るわけで。でも僕は、どうしたら良いんだろうって。僕は、その……父と、いつの間にか、良い関係では無くなってしまっていたから。帰るべきか、それとも忘れるべきか、悩んでしまって」

 そういえばベネットは、父親が借金したせいで売られそうになり、逃げている最中にリュカから助けられるのだった。そんな父親の元に戻るのは、確かに悩むだろう。それで俺に、母上のことを聞いてきたと。あの答えは、参考になっただろうか?

「それについては、私も悩んでるよ。アンタ達と一緒にいるのは心地良いからね。でもリュカやノエルと一緒に過ごせるのは、王都に戻るまでだろう? 王子や貴族令嬢相手に、今のまま接するわけにはいかないし。それに王都にはダンジョンが無いから、冒険者としては物足りないというか……まぁ王都周辺のモンスターもそれなりに強いらしいけど、やっぱり悩むよね」
「わらわも、店をそのままにしてきておるからのぅ。ザガン達の近くに越すとしても、一度は戻らねばならんな」
「私は、闇組織がどうなるかわかるまで、なんとも言えないわぁ。エロワ君が牢獄に捕らえられるなら、その近くに行きたいし。そうなるとお仕事をきちんと退職する為に、私も一度は家に戻らないといけないわねぇ」

 ミランダ、カミラ、シンディ。先程3人が後ろで話していたのは、今後のことについてだったのだろうか。ニナは何も言わないが、オロバスに執事のことを聞いていたので、ノエル専属の執事になろうと考えているのかもしれない。帰る場所が無いからこそ、ノエルの傍にいられる。

「僕は、皆さんと離れ離れになってしまうのは、すごく寂しいです。ずっと一緒にいたいです。でも、きっと無理なんですよね?」

 どうだろうか。全員が王都に移住すれば、これからも頻繁に会えると思うけれども。

「それに先程のザガンさんの言葉を聞いて、そしてノエルさんの言葉を聞いて、ケジメをきちんと付けなければならないんじゃないかと、思うようになりました。ただ、父に会うのは……その、怖いですけど」
「必要なら私が付いていって、ブッ飛ばしてやるけどね」

 力こぶを作るミランダに、ベネットがふふっと微笑む。

「だからもっと考えて、皆さんともたくさん話して、答えを見つけようと思います」
「そっか。もし帰るつもりが無いなら、俺が雇うからね。ザガンと2人で住むから、メイドが1人はいないと困るし」
「あ……そ、それは素敵ですね。うわ、どうしよう。帰りたくなくなりました」

 興奮するベネットに、つい笑みが零れた。皆も笑っている。だが少しだけ、哀愁が漂っている気がした。

 ここでのダンジョン攻略が終われば、すぐにでも王都へ向かわなければならない。旅の終わりが……友人達との別れが、近付いている。

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