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60話

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 屋敷の鍵を受け取ると、公爵はダンジョン攻略への激励をして、帰っていった。屋根を跳んでいくのは構わないが、気配感知に長けている騎士や魔導師達に、盗賊と間違われないだろうか。

 ともかく屋敷に入り、寝室に荷物を置いて着替えたら、まずは旅の片付けをする。
 汚れた衣類は魔導洗濯機に入れて、手洗いしなければならないものは、自分達で洗う。それから武器や防具の手入れをしたあと、洗濯機が止まったので部屋干しした。
 最後に使用していた布団を持ってリビングに行き、明朝に干してもらえるよう端に置いておけば、片付けは終わりだ。

 キッチンではオロバスが食材の整理をしていて、リュカとソファに座ると、紅茶を入れてくれた。1口飲んで、ほっとする。

「昔よく飲んでいた味がする。わざわざ茶葉を持ってきたのだな」
「そっか、ザガンはこの紅茶を飲んで育ったんだね。うん、すごく美味しいよ」
「気に入っていただけたようで何よりです。皆様が揃うまで、もうしばらくお待ちください」

 それだけ言うと、またキッチンに戻った。料理の下拵えをしているようで、トントン包丁の音が聞こえてくる。執事とは料理をするものだったか? まぁいいか。

「悪魔には見えないね。ただ、とてつもない魔力を保持しているようだけど。さすがはSSランクの悪魔」
「ああ。昔は気付かなかったが、今は強者だとわかる。勝てそうか?」
「……絶対に勝たなきゃいけない戦いって、あるよね」

 それは否定しないが、リュカは負けても問題無いだろう。勝たなければ結婚を認めない、と言われているわけではないし。俺は勝たなければ、女神を救う方法を教えてもらえないかもしれないが。

 頭や頬にキスしてくるのを受け止めつつ、まったり過ごしているうちに、女性陣もリビングにやってきた。オロバスは彼女達にも紅茶を入れたあと、俺達を見渡し、軽く頭を下げる。

「改めまして、オロバスです。現在はブレイディ伯爵家当主、ライル様を主人としている執事ですが、かつては女神リュヌの側近を務めておりました。皆様、よろしくお願いいたします」

 皆それぞれ、よろしくと言葉を返す。そんな中、ノエルがスッと手を上げた。

「はい、質問です。オロバスは何歳になりますか?」
「正確にはわかりませんが、建国された日から考えると、およそ7千歳でしょうか」

 何億年と生きている神達に比べれば短いが、それでも気が遠くなるような長さである。だがそう感じるのは、俺が寿命のある人間だからだろう。

 魔物とは、魔清や魔瘴から生まれてくる存在。人間とは構造からして違っているし、思考回路も違っている。よってどれだけ長く生きようと、それが普通という認識を初めから持っているはずだ。だからこそ、何億年でも存在し続けていられる。

 次に手を上げたのは、シンディだ。

「私はシンディよ。たくさんの素敵な本を貸していただき、ありがとうございます。ところで、あと少しでお借りした本を全部読み終わってしまうのだけど、追加で借りられるかしら?」
「あれだけの本を、もう読み終わるのですか。素晴らしい読書家ですね。まだまだたくさん持っていますので、お貸ししますよ」
「うふふ、ありがとうございます。楽しみだわぁ」

 シンディが嬉しそうに笑みを浮かべる。その横に座っていたカミラも、手を挙げた。

「わらわはまだ読み終わっていないが、もうしばらく借りたままで良いかのぅ?」
「きちんと返していただければ、構いません」
「感謝する。わらわはカミラじゃ、よろしく頼むぞオロバス殿。もし錬金術に関する書物があるなら、貸していただけるとありがたい」
「あ、あの、僕はベネットです。料理と、家事全般が得意です。よろしくお願いします」
「ミランダだ。ザガンとは飲み仲間さ。よろしく、オロバスさん」

 ミランダが握手を求めると、オロバスはその手を握り返した。嬉しそうだなミランダ。そういえば、彼女の好みは紳士なオジサマだったか。外見だけなら、その通りである。

「リュカ・ソレイユだよ。俺はオロバスと呼んで大丈夫かな?」
「はい。私は悪魔ですが、人間社会に紛れて生きている身です。なのでリュカ殿下から、敬称で呼ばれるわけにはいきません」

 ニナはすでにノエルが紹介しているので、これで全員名乗ったな。

「それで、俺とはいつ手合わせする? 俺は明日で問題無いが」

 さっそく本題に触れてみた。魔瘴にまみれた女神を救えるのは、眷属である俺だけらしいから。

 女神を助け、神ソレイユの怒りを静められれば、2神は再び人間達の前に姿を現すだろう。彼女が千年間ソレイユ王国を守り続けていた存在だと、王国中が知ることになる。闇属性への差別を、きっとすぐにでも無くせるはず。

 だがオロバスは、困惑げに眉を寄せた。

「申し訳ありませんが、シエ……坊ちゃまとは、戦う理由がありません」
「? しかし俺を見定めると、王太子の手紙に書いてあったはずだ」

 違っただろうか? 首を傾げてリュカを見ると、すぐに頷いてくれる。視線を戻せば、オロバスも頷いた。

「王太子殿下の手紙は、私と話しながらしたためられたものなので、何が書かれているか把握しております。しかし見定めるのは、魔瘴の中に入っても負の感情に飲まれないでいられるか、というものです。つまり精神的な問題であり、身体的な強さは関係ありません」

 なん、だと……? では前回のダンジョン攻略、リュカ達と別行動したのは、無意味だったというわけか? いや、集中して魔導バリアを改造するという目的もあったので、意義はあった。ただ思ったより寂しかったし、オロバスと戦えるのを楽しみにしていたのに。
 ……そうか、戦わないのか。……そうか。

「ザガン、落ち込まないで。ね? ザガンがすごく頑張っていたこと、俺は知ってるから」

 無言で俯いたら、リュカに抱き締められ、頭を撫でられた。
 ううぅ、リュカに怒られてまで徹夜してモンスターを討伐し続けたのに、水の泡になってしまったなんて切ない。それにリュカを寂しがらせたし、潮吹きさせられ、攻略後のセックスも反動のせいかすごく激しくて疲れたのに。……まぁ気持ち良くもあったけれど。

 とにかくショックから癒されたくて、リュカの温もりに包まれるまま懐に顔を埋めていると、ノエルの声が聞こえてきた。

「オロバス、どうしても駄目ですか? 軽く剣を合わせるだけでも」
「私が負けるのは、目に見えておりますので。そもそも坊ちゃまは、強くなりすぎです。女神の眷属としては当然の強さかもしれませんが、そこまで強くなって、何と戦うおつもりですか?」
「もちろん神様でしょ! 女神様を殺されそうになって、怒るのはわかるけどさ。でももう千年も経ってるんだから、国を滅ぼそうとするのは、いい加減止めてもらわないと困るよ!」
「そ、そうですっ。怒りで頭に血が上ったまま、愛する人を悲しませていることに気付かないなんて、神であろうと最低です!」
「ソフィーのことや、他にもいろいろ考えると、神ソレイユには1発くらい入れておかないと、気が済まないねぇ」

 女性陣が血気盛んである。だが気持ちはわからなくもない。闇属性への差別のせいで大切な人を殺され、人生が滅茶苦茶になったのだから。

 俺も差別されていなければ、屋敷の地下に幽閉されることは無かっただろう。母上に忌避されることも無ければ、小さなノエルを泣かせることも無かった。

 女神リュヌが闇属性だったから。国を守ろうとしている彼女が、時々負の感情に飲まれ、邪神になってしまうから。――神ソレイユが、女神に負けてもなお、この国を滅ぼそうとしているから。

 しかしそれらは全て、切っ掛けにすぎない。

 差別においての最大の原因は、人間達自身である。他者よりも優越を感じたいという自尊心、アイツより自分の方が上だという自己肯定。

 もし闇属性への差別が無くなったとしても、新たな差別対象が作られるだけかもしれない。弱者である自分を守りたいがゆえ、より弱い立場の存在を作ろうとしてしまうのが、きっと人間だから。

 それでも俺は、闇属性への差別を無くしたい。
 今まで耐えてきた彼らを助けたいし、産まれてくる子供達を守りたい。闇属性達を守ろうとして傷付いてしまう人達も無くしたい。
 これらの願望は、闇属性達の激しい憎悪や、仲間達の悲しみに触れることで、生まれたもの。独りでいた時には、決して得られなかったもの。

 何より俺を愛してくれる大切なリュカが、俺のせいで傷付かないようにしたい。……そう、結局は俺自身が闇属性だから、闇属性への差別を無くしたいと願うのだ。





 リュカに癒されている間に、オロバスとベネットが夕食を作ってくれた。オロバスの手際に感動したのか、ベネットからよく話しかけていたように思う。
 しかし彼女は以前、街中にドラゴンが潜んでいるかもしれないと知って脅えていたが、悪魔は平気なのだろうか。あるいは、元の姿を見ていないからか。まぁ現状では、物腰が柔らかいオジサマだからな。

 テーブルに料理を並べたら、いつものように皆で食卓を囲む。しかしオロバスは、執事なので同じ食卓には付かないと断言し、キッチン横に立ったままこちらを見守っていた。その視線が、とても懐かしい。

 俺が地下で食べている時は、いつも傍に立っていた。幼少期はどれだけ注意しても零してしまっていたが、顎が汚れればすぐに拭かれたし、床に落としてしまっても、やはりすぐに拭かれた。

 見守られていることに、ミランダやニナは居心地悪いのか、視線を彷徨わせる。リュカやノエルはさすが王侯貴族、平然とした態度だ。気弱なベネットがあまり気にしていないのは、元料理人であり、料理を出す側の立場をわかっているからだろう。カミラとシンディは、元々動じない性格である。

 とにかく並べられた料理を食べてみた。ん、美味い。それに、この料理。

「なんだか懐かしい味がする」

 ぽつりと呟けば、オロバスが目元を和らげた。

「坊ちゃまの料理を作っていたのは、私ですから。地下にいても健康であれるよう、栄養には気を付けておりました」
「そうだったのか。感謝するオロバス」
「坊ちゃまは嫌いなものが無かったので、助かりました。それに比べて、ライル様は……」

 はぁと溜め息をつくと、そのまま黙ってしまった。なので隣に座っているノエルを見ると、彼女はふふっと笑みを零す。

「父様は、野菜が嫌いなのですよ。いつも残そうとして、オロバスから怒られるのです。それでも昔よりは、食べられるものが増えたと言っていましたが」

 それは知らなかった。俺は父上と食事をしたことが無かったから。王都に戻ったら、一度くらいは共に食事出来るだろうか?





 夕飯を食べ終えて、紅茶を飲む頃には、女神リュヌについての話に移行していた。

 オロバス曰く、女神リュヌが邪神として出現する場合、体長200mを超えるらしい。形状はかろうじて獣を保たれているが、しかし尻尾が50m以上あるので、振り回されたら建物は簡単に破壊されてしまう。前足を上げて咆哮する時の高さは、王城と同じくらい。人々が恐れおののくのも、理解出来る。

 女神本体は猫型で、体長4m程度だそうだ。トラよりも一回り大きいくらいか。つまり、とてつもない体積の魔瘴を、纏っていることになる。

「坊ちゃまには、その膨大な魔瘴の中に、入ってもらいます。闇属性にある影に沈む魔法を使えば、女神の魔力で固められた魔瘴であろうと、侵入可能でしょう。ただし魔瘴とは、負の感情の塊。なので決して闇に飲まれず、心を強く保ってください。……そして彼女を見つけ、お救いください。眷属の声ならば、きっと届くはずですから。どうかよろしくお願いいたします」

 頭を下げてくるオロバス。
 彼は先程の自己紹介で、女神リュヌの側近だったと言っていた。王太子の手紙に書かれていた過去についても、オロバスが教えたもの。

 オロバスは7千年前から、神ソレイユと女神リュヌが仲睦まじく寄り添っていた日常を見てきている。人間達に崇められていた日々、次第に女神が悪しき存在だと思われるようになっていった過去。そして千年前の、人間達の裏切り。

 どんな想いで、2神の戦いを見ていたのだろう。どんな想いで、裏切られても人間を守り続ける女神の、邪神となる姿を見てきたのだろう。
 神に滅ぼされようとしていることも、女神に守られていることも知らず、のうのうと生きている現代の人間に、どんな感情を抱いているのか。

 深く踏み込むつもりはないので聞かないが、代わりに大きく頷く。

「もちろん救ってみせる。あくまでも、俺自身の目的の為だが」

 闇属性への差別を無くすには、女神こそが人間を守り続けていたという事実が必要になる。だから利用するのであって、ただ助けたいという、崇高な意思は持っていない。

 それを伝えたつもりだったが、オロバスは柔らかく微笑した。

「この目で確かめるまでは、不安でしたが。9歳という若さで屋敷を出なければならなかった境遇、しかも貴方にとってはあまりにも厳しい社会で、よくぞここまで真っ直ぐに成長なされました。このオロバス、感無量にございます。それに、ノエルお嬢様と再会を果たし、素敵な仲間達まで得られていて……坊ちゃまでしたら、負の感情に飲まれることは無いでしょう」

 ああそうか。屋敷を出てからの15年で、俺がどのように成長したか……それを想像するのは難しい。だからオロバスは、見定めたかったのだ。俺が魔瘴に耐えられないとしたら、他の手段を考えなければならなかったから。

 素敵な仲間達と言われたからか、照れくさそうにしているミランダ、ニナ、ベネット。3人を微笑ましそうに眺めるノエルにカミラ、シンディ。そんな中、リュカが手を挙げた。

「俺やノエルの手紙で、闇組織に星の欠片が6つ奪われたことや、邪神を復活させようとしていることは、伝わっているよね。それに対して、兄上達は何か対策してる?」
「はい。王太子から王へと全て伝えられ、王都では現在、邪神復活に向けて準備しております。闇属性達によるモンスター召喚も念頭に入れ、王都の全師団にそれぞれ警備する地区が割り振られました。重要建造物にはより強固な魔導バリアが張られ、避難場所も地区ごとに確保済み。また避難可能な民間人は、冒険者ギルドや運送ギルドの連携により、各都市への移動を開始されています。私も避難民を護衛しながら、ここまで来ました」

 なるほど、それでシャルマン公爵は、屋根を跳んでいくほど忙しそうだったらしい。避難民を受け入れていたから。父上も王都魔導師団副団長として、多忙のようだ。

 というか俺はまたしても、多くの力を動かすということが、頭から抜けていた気がする。第9都市が破壊されるかもしれないという時も、リュカから地位や権力を使うと言われていたのに。

 100万人はいるという王都。それだけの規模を、1人で守るなんて絶対に無理だ。だが俺の傍にはリュカがいてくれて、リュカには家族である王太子や王がいる。そこから貴族、師団、衛兵、ギルド、民間へと広がっていく。

 そうして100万人がそれぞれ自分に出来ることをして、守ろうとするのなら。国中が協力して万全を期すならば、きっと多くの命が失われずに済むだろう。

「詳細はこちらの手紙に書かれていると思いますので、ご覧ください」

 オロバスはリュカに近寄ると、懐から手紙を差し出した。リュカはそれを受け取り、蝋封されている印璽の紋章を確認する。王家の紋章だ。

「ありがとうオロバス。避難民の護衛も、ご苦労様」
「殿下からお言葉をいただけるとは、恐縮です。ですが」

 オロバスの気配が剣呑なものになった瞬間、反射的に腰に手を移動させていた。だが短剣はバッグにしまっており、舌打ちが漏れる。ただ、そのあとに続いた言葉は。

「ライル様のご命令により、私はリュカ殿下を観察しに参りました。そして坊ちゃまの相手として相応しい男に成長しているかどうか、見定めろと。お2人が純粋に愛し合っていることは、この数時間でわかりました。殿下がライル様から聞き及んでいた人物像とは、だいぶ変わっていることも。ですがこのオロバス、坊ちゃまが産まれた時からお世話してきた身として、貴方様をすんなり認めるわけには参りません。私との決闘、受けていただけますね?」
「――もちろん、受けて立つよ」

 俺の腰を抱きながら、好戦的に微笑むリュカ。不穏なものではなくて安堵する。そのまま話は進んでいき、明日の午前、冒険者ギルドの訓練所での決闘が決まった。

 ……いやちょっと待て。俺との手合わせは断ったのに、リュカとは戦うなんて、ズルくないか?

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