11 / 11
エピローグ
しおりを挟む
あれから二十年が経った。
無事に生還を果たしたオレは志望の大学を変え、那由良の面影を追い求めるかのように登山家への道を歩んでいた。
「彪も有名になったよねー。こーんな雑誌に載るようになったなんてさ」
小洒落たカフェで登山雑誌を片手にそう言って目の前で笑うのは、もうすぐ二十六歳になるサチだ。
季節は、夏。あれからもう二十回目の夏が、今年も巡ってきている。
あの村で生き残った者は、彼女を含めわずか三名だった。まだ若く地龍のチカラに干渉されていなかった彼らは、あの地の封印が解けても、他の村人達とは違い、その命を落とすことはなかったのだ。
彼女達の存在に、オレはどれほど救われたか分からない。救えた命があるという事実は、背負う業の重さに押し潰されそうになっていたオレに生きる力を与えてくれた。
二十年前、それまでそこに存在しなかったはずの山が忽然と姿を現し、その山中で大きな村が発見され、そこから時代劇さながらの衣装を身に着けた彼らと、行方不明で生存が絶望視されていたオレが発見された時、世間は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
マスコミは連日のようにこぞって取り上げ、史上例を見ないミステリーとして、内外から大きな注目を集めた。オレは元より、事故で重傷を負ったケイタ達まで、マスコミには追いかけまわされて散々だった。
あの時のメンバー達は負傷の程度の差こそあれ、全員が無事だった。車が原形を留めないほどの大事故だったにも係わらず、一人の死者も出なかったのは奇跡だった。
検査入院を終え退院した後、オレはハルカに「ずっと好きだった」と告白された。
本気で誰かを好きになったことがなかった以前のオレだったら、友達以上の感情を抱いていなかった彼女に対して不誠実な態度を取ってしまっていたかもしれない。
けれど、人を愛するということの意味を知ったオレは、彼女に対して心からの「ありがとう」と「ごめん」を伝えることが出来た。ハルカは泣き笑いの表情で、「気持ちを伝えることが出来て良かった」と言ってくれた。
ケイタとアヤノはあの後付き合い始めたけれど、一年位して別れてしまった。他のみんながそれからどうしているのかは知らないけれど、ケイタはその後職場で知り合った女性と結婚して、今は幸せに暮らしている。
あれからずっと、オレはこうして一年に何度か、サチに会っている。
彼女に会うと、あの夏の、あの夢のような出来事が、幻ではなく、確かに現実のものであったのだということを改めて実感する。
「彪はさー、このまま結婚しないの?」
食後のデザートを口に運びながらサチが言った。
「……多分な。オレよりも、お前はどうなんだよ」
「あたし? へへー、気になっている人はいるんだけどね」
「選びすぎて婚期を逃がすなよ」
コーヒーを飲みながら冗談めかしてそう言うと、サチは悪戯っぽく笑った。
結婚……か。
この二十年の間にそれを考えたことは、正直、何度かあった。
けれどその度に、自分の心に嘘はつけないのだということを、オレは知った。
―――那由良……。
あの夏。夢のようなひと時。
あまりにも鮮烈な印象を残して消えた少女のことを、オレはどうしても忘れられなかった。
「じゃ、またね、彪」
何ヵ月後かに再び会う約束を交わし、オレは手を振るサチを見送った。
夕焼けに染まる街の中、自分のアパートへ帰る途中立ち寄ったコンビニで、レジ脇に陳列されていたキャラメルにふと目が留まる。
―――いつか、一緒にキャラメルを食べようね……か。
懐かしい思いに浸りながら、オレはそれを手に取った。
コンビニを出ると、さっきまで気にならなかったはずの夕陽が何故かやたらと眩しく感じられた。
過去を思い出して、少し感傷的な気分になっているのかもしれない。
そんな自分にひとつ苦笑をこぼして、オレは再び歩き始めた。
いつになるかは、分からない。願うだけで、終わるのかもしれない。
けれど、オレは信じるよ、那由良。
今生で会えなくても、いつかどこかで、再びお前に巡り会えることを―――。
トクン……。
自分の細胞の奥深くに眠る何かが脈動するような気配を感じたのは、その時。
アオ―――……?
二十年前のあの時以来、ふとした瞬間に感じられるようになった不思議な感覚。けれど、それがこんなにもハッキリと感じられたのは初めてだった。
運命の扉が開いたのは、次の刹那。
アパートの前で見覚えのある雑誌を片手に佇む、白いワンピース姿の少女を見て、オレは足を止めた。
オレに気が付いた少女が、こちらを向く。
腰の辺りまで流れる艶やかな黒髪、凛とした黒の瞳―――。
言葉を失くし立ち尽くすオレに、長い黒髪をたなびかせ、少女が駆け寄ってくる。
「―――やっと、会えた……」
高校生くらいだろうか。泣きそうな声でそう呟き、オレを見上げた少女の顔は、記憶にある彼女のものとは違っていた。
けれど、その瞳は、その身に纏う雰囲気は、紛れもなく彼女のものだった。
間違えるはずがない。
「那由、良……」
二十年ぶりにその名を呼んだオレに、少しだけ不安そうな表情で彼女が尋ねる。
「あたし、遅すぎた、かな……?」
オレはゆっくりと首を振った。あまりのことに胸がいっぱいになって、なかなか次の言葉が出てこない。
「充分……間に合った、よ……」
ようやくそれだけを告げると、緊張した面持ちだった那由良の表情が緩み、そこから春の木漏れ日のような笑顔が溢れた。
「彪……!」
涙混じりにオレの名を叫んで胸の中へ飛び込んでくる彼女を、オレは震える腕で抱きしめた。確かに生きている、温かな彼女の身体。前世の記憶を留めたままの、転生した彼女の肉体。
これは、アオの起こしてくれた奇跡なのか―――。
言いようのない深い感動が胸の底から込み上げてくる。無言でそれを噛みしめるオレの腕の中で、那由良が安堵したように息を漏らした。
その少し後で、オレは知ることとなる。ついさっきコンビニで買ったばかりのあのキャラメルの箱が、彼女のバッグの中にも入っているのだということを―――。
完
無事に生還を果たしたオレは志望の大学を変え、那由良の面影を追い求めるかのように登山家への道を歩んでいた。
「彪も有名になったよねー。こーんな雑誌に載るようになったなんてさ」
小洒落たカフェで登山雑誌を片手にそう言って目の前で笑うのは、もうすぐ二十六歳になるサチだ。
季節は、夏。あれからもう二十回目の夏が、今年も巡ってきている。
あの村で生き残った者は、彼女を含めわずか三名だった。まだ若く地龍のチカラに干渉されていなかった彼らは、あの地の封印が解けても、他の村人達とは違い、その命を落とすことはなかったのだ。
彼女達の存在に、オレはどれほど救われたか分からない。救えた命があるという事実は、背負う業の重さに押し潰されそうになっていたオレに生きる力を与えてくれた。
二十年前、それまでそこに存在しなかったはずの山が忽然と姿を現し、その山中で大きな村が発見され、そこから時代劇さながらの衣装を身に着けた彼らと、行方不明で生存が絶望視されていたオレが発見された時、世間は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
マスコミは連日のようにこぞって取り上げ、史上例を見ないミステリーとして、内外から大きな注目を集めた。オレは元より、事故で重傷を負ったケイタ達まで、マスコミには追いかけまわされて散々だった。
あの時のメンバー達は負傷の程度の差こそあれ、全員が無事だった。車が原形を留めないほどの大事故だったにも係わらず、一人の死者も出なかったのは奇跡だった。
検査入院を終え退院した後、オレはハルカに「ずっと好きだった」と告白された。
本気で誰かを好きになったことがなかった以前のオレだったら、友達以上の感情を抱いていなかった彼女に対して不誠実な態度を取ってしまっていたかもしれない。
けれど、人を愛するということの意味を知ったオレは、彼女に対して心からの「ありがとう」と「ごめん」を伝えることが出来た。ハルカは泣き笑いの表情で、「気持ちを伝えることが出来て良かった」と言ってくれた。
ケイタとアヤノはあの後付き合い始めたけれど、一年位して別れてしまった。他のみんながそれからどうしているのかは知らないけれど、ケイタはその後職場で知り合った女性と結婚して、今は幸せに暮らしている。
あれからずっと、オレはこうして一年に何度か、サチに会っている。
彼女に会うと、あの夏の、あの夢のような出来事が、幻ではなく、確かに現実のものであったのだということを改めて実感する。
「彪はさー、このまま結婚しないの?」
食後のデザートを口に運びながらサチが言った。
「……多分な。オレよりも、お前はどうなんだよ」
「あたし? へへー、気になっている人はいるんだけどね」
「選びすぎて婚期を逃がすなよ」
コーヒーを飲みながら冗談めかしてそう言うと、サチは悪戯っぽく笑った。
結婚……か。
この二十年の間にそれを考えたことは、正直、何度かあった。
けれどその度に、自分の心に嘘はつけないのだということを、オレは知った。
―――那由良……。
あの夏。夢のようなひと時。
あまりにも鮮烈な印象を残して消えた少女のことを、オレはどうしても忘れられなかった。
「じゃ、またね、彪」
何ヵ月後かに再び会う約束を交わし、オレは手を振るサチを見送った。
夕焼けに染まる街の中、自分のアパートへ帰る途中立ち寄ったコンビニで、レジ脇に陳列されていたキャラメルにふと目が留まる。
―――いつか、一緒にキャラメルを食べようね……か。
懐かしい思いに浸りながら、オレはそれを手に取った。
コンビニを出ると、さっきまで気にならなかったはずの夕陽が何故かやたらと眩しく感じられた。
過去を思い出して、少し感傷的な気分になっているのかもしれない。
そんな自分にひとつ苦笑をこぼして、オレは再び歩き始めた。
いつになるかは、分からない。願うだけで、終わるのかもしれない。
けれど、オレは信じるよ、那由良。
今生で会えなくても、いつかどこかで、再びお前に巡り会えることを―――。
トクン……。
自分の細胞の奥深くに眠る何かが脈動するような気配を感じたのは、その時。
アオ―――……?
二十年前のあの時以来、ふとした瞬間に感じられるようになった不思議な感覚。けれど、それがこんなにもハッキリと感じられたのは初めてだった。
運命の扉が開いたのは、次の刹那。
アパートの前で見覚えのある雑誌を片手に佇む、白いワンピース姿の少女を見て、オレは足を止めた。
オレに気が付いた少女が、こちらを向く。
腰の辺りまで流れる艶やかな黒髪、凛とした黒の瞳―――。
言葉を失くし立ち尽くすオレに、長い黒髪をたなびかせ、少女が駆け寄ってくる。
「―――やっと、会えた……」
高校生くらいだろうか。泣きそうな声でそう呟き、オレを見上げた少女の顔は、記憶にある彼女のものとは違っていた。
けれど、その瞳は、その身に纏う雰囲気は、紛れもなく彼女のものだった。
間違えるはずがない。
「那由、良……」
二十年ぶりにその名を呼んだオレに、少しだけ不安そうな表情で彼女が尋ねる。
「あたし、遅すぎた、かな……?」
オレはゆっくりと首を振った。あまりのことに胸がいっぱいになって、なかなか次の言葉が出てこない。
「充分……間に合った、よ……」
ようやくそれだけを告げると、緊張した面持ちだった那由良の表情が緩み、そこから春の木漏れ日のような笑顔が溢れた。
「彪……!」
涙混じりにオレの名を叫んで胸の中へ飛び込んでくる彼女を、オレは震える腕で抱きしめた。確かに生きている、温かな彼女の身体。前世の記憶を留めたままの、転生した彼女の肉体。
これは、アオの起こしてくれた奇跡なのか―――。
言いようのない深い感動が胸の底から込み上げてくる。無言でそれを噛みしめるオレの腕の中で、那由良が安堵したように息を漏らした。
その少し後で、オレは知ることとなる。ついさっきコンビニで買ったばかりのあのキャラメルの箱が、彼女のバッグの中にも入っているのだということを―――。
完
0
お気に入りに追加
25
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる