魔眼

藤原 秋

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カンタネルラ

06

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 ドルクの手つきは緩やかだった。

 掌で優しく円を描くようにして下腹部の血流を促し、腰から大腿へ繋がる横のラインを丁寧に指の腹で押しほぐしていく。

 宣言通りショーツで覆われた部分にちょっかいを出すこともなく、忠実に行われるマッサージ。

 けれどそんな彼の施術にも、今のわたしの身体はやっぱり違う反応を示してしまっていた。

 声こそ我慢しているものの、どうしようもなく吐息が乱れて、どんどん火照りがひどくなっていく肌にうっすら汗が滲んでいく。

「ふっ、……!」

 こぼれる吐息をどうにかしたくて、わたしは手の甲を唇に押し当てたけれど、こらえようと思えば思うほど、感じないようにしようと思えば思うほど、余計に意識してしまい、ドルクの手の動きを追ってしまって、自分を追い込んでしまっていた。

 鼠径部へとドルクの手が及び、ショーツに沿ったきわどいラインをなぞるようにして指圧されると、わたしはもうたまらなくなって、弾かれるように上半身を起こして彼を止めた。

「そ……そこはしなくていいよ、くすぐったいから!」
「ここは身体の重要な腺が密集している箇所ですから、きちんとほぐして流れを良くしてあげた方がいいんですよ。少しくすぐったいのは我慢して下さい。ほら、こうして―――」

 香油で滑りの良くなった指先で絶妙な刺激をされて、甘い疼きがそこからほとばしる。

「んんっ!」

 思わずびくっ、と反応するわたしにドルクは普段と何ら変わりのない穏やかな声をかけた。

「効きますか? ここの位置を少しずつずらしながらそれぞれ五秒ほど押しほぐして、外側から内側へさするように流してあげると効果的なんだそうですよ」

 言いながらその動きを実践され、身をよじりたくなるような官能が溢れ出す。わたしは喉を震わせ、切なく身体をわななかせた。

「ぁ……ああっ……!」

 ダメ。声が……!

 唇をきつく結んで耐えようとするけれど、きわどい部分を何度も何度も、優しくしつこく刺激され、下腹部が熱くなる。疼くような火照りが全身へと広がっていって、わたしはぎゅっと目をつぶり、シーツをきつく握りしめた。

「んんんっ……!」

 頬を紅潮させ堪えるわたしを目の当たりにしていながら、ドルクは沈黙を守っていた。その様子に確信する。

 ドルクはもう、気が付いている。わたしの状態が普通でないことに。分かっていて、気が付かないふりをして、追い詰めにかかっている。

「! あっ、あっ……」

 執拗に繰り返される淫らな指の動きに、下腹部がきゅうきゅうと反応する。

 ダメ、感じる……! こんなの、どう堪えれば……!

 皮膚の薄い敏感な部分を滑る、香油を纏った魔性の指先がわたしの羞恥心を凌駕していき、ついに耐え切れなくなって、わたしは背をのけ反らせた。

 もう、無理……! これ以上、我慢、出来、なっ……!

 色を帯びた声が鼻から抜け、身体が小刻みに震えて、ごまかしが利かなくなる。

 敵わない。

 切なく眉をひそめながら、わたしはドルクの前に陥落した。

「あ……あぁぁ……! や、あぁぁッ……!」

 半泣きの声を上げて、快楽を交えた刺激を与えてくる男に懇願する。

「や……めて、ドルク、もっ……変になる……!」

 わたしの変化にドルクがごくりと息を飲み、ベッドが軋んで、彼の気配が側面から背面へと移動した。わたしを背中から包み込むようにして、耳元に熱い唇を寄せ、濡れた声で囁く。

「どんなふうに、変になるんですか……?」

 その間も彼の指はわたしの脚の付け根から離れておらず、きわどい部分を優しく撫でるように刺激し続けている。

「わ、分かってるクセに……!」

 潤んだ瞳で背後をにらむと、あやすように耳にキスをされた。

「あッ」

 色を帯びた反応を返すわたしを見やりながら、ドルクは耳朶に軽く歯を当てせがむように尋ねた。

「あなたのことは、分かるようで分からないんです。だから教えて、フレイア?」
「……っ」

 言い淀むわたしを催促するようにドルクの指先が動きを変える。

「ぁ、あんっ!」

 頬を染めたわたしの身体が跳ねるのとほぼ同時に、絹を裂くような女性の嬌声が響き渡った。

「あああぁ―――ッ!」

 ―――え!?

 その声にわたしはぎくん、として動きを止めた。

 い、今の声―――わたしじゃ、ないよな?

 確認の意味を込めて背後のドルクを振り返ると、どこかしかめっ面になった彼は溜め息混じりに頷いて、今し方の嬌声の正体を説明した。

「最初に言いましたよね。ここ、壁が特殊な防音になっていて、ある一定の音域の声以外は通らないようになっているって。それが今のです」
「今の……って」
「オーガズムに達する女性の声です。ここは料金さえ払えば本番もありな男娼館なので。わざとこういう声が聞こえるようにして客を煽って、本番を促しているんですよ。自分だけでないと思えば客の方も手を出しやすくなりますし、罪悪感を覚えなくて済みますからね」

 その間も嬌声は二度、三度と響き、わたしは何故ドルクがしかめっ面になっていたのかを理解して、耳まで赤くなった。

 だって、これ―――この声、出所は方角的に、リルムの部屋だ。

 つまり、この声の主は―――。

 うわあぁぁ! 他人のものでもきついのに、知り合いのこんな声、聞きたくない! 耳に毒だ!

 そんな思いとは裏腹に、それをきっかけに他の場所からも微かにそういった声が聞こえてくることに気が付いて、真っ赤になって口をつぐむわたしを見やり、ドルクは苦笑をこぼした。

「邪魔されちゃいましたね。せっかくいい雰囲気であなたに質問しているところだったのに」

 これでその質問を煙に巻けたら、わたし的には万々歳なんだけど……。

 けれどドルクはひと筋縄ではいかなかった。

「この状況で改めて質問するのも無粋なので、仕上げの中で確認しましょうか」
「えっ?」

 聞き返す間もなくくるりと身体を反転させられ、柔らかくベッドに沈められる。

 仰向けに横たわったわたしの脚の間にドルクが入っているような格好になって、右の膝裏を両手で持ち上げられて脚を開かせられ、わたしは赤面して膝小僧を内側に向けた。

「やっ! 何……!」
「力を抜いて下さい。仕上げの施術を行いますから」
「えっ……も、もういいよ、充分ほぐしてもらったから……!」
「仕上げが重要なんですよ、何事も」

 諭すように言いながらドルクは持ち上げたわたしの膝裏をまんべんなく両手で押しほぐした。

「んっ……!」
「力を抜いて」

 そうしてからそのまま両手で右脚を包み込むようにして、足首から膝、そして膝から鼠径部にかけての部分を何度も何度も、微妙な力加減で撫で上げる。

「んんっ!」

 それだけでもぞくぞくしてたまらないのに、時折指が脚の付け根のきわどいところへ当たって、わたしを更に追い詰めていく。

「ぁっ……! ふ、あぁっ……!」
「そんなに可愛い声を出して……オレを誘惑しているんですか……?」
「ち、違っ……!」
「そんなに瞳を潤ませて……頬を赤らめて。自分が今、どんな顔をしているか分かります……?」
「バカッ、意地悪……!」

 ただでさえ敏感になっているのに、香油を纏った手で太腿を執拗に攻められて、言葉でも攻められて、否応なく性感を高められ、何が何だか分からなくなってくる。気持ちいい。気持ちいいけど、切ない……切なくて……!

「ふっ……は、ぁんっ……!」

 喘ぎがこぼれ落ちて、止まらない。

 ダメ。おかしくなりそう……!

「そんなに……感じますか?」

 眉根を寄せ喘ぐわたしを前に、ドルクの吐息がわずかに荒ぶった。今度は左の膝裏を持ち上げられて、脚を開かせられる。右の膝を立たせられたままになっていたから両脚を大きく開いている格好になり、その脚の間にドルクの強い視線を感じて、我に返ったわたしは慌てて膝を閉じようとしたけれど、間に彼の身体が入っているからそれは叶わなかった。

「や……やだ! 見ないでっ……」

 彼にどこを見られているのか悟って、あまりの恥ずかしさに身がすくむ。身体が燃えるように熱くなって、同時に胸が引き絞られるような思いがした。

 ドルクの視線が注がれている自分のそこがどんな状態になっているのか、見なくとも分かった。多分、ショーツもひどいことになっているに違いない。

「……たまらないな」

 わたしの左の膝裏を指圧しながらドルクは熱い吐息を纏った声でそうこぼした。

「オレの手で、あなたがこんなになっているなんて」

 押し殺しきれない興奮を滲ませた彼の声に、心臓が音を立てる。反対側と同じように左の足首から膝、そして太腿を両手で包み込むようにして膝から鼠径部へと撫で上げながら、ドルクは羞恥に耐え切れず両手で顔を覆ってしまったわたしの顔を覗き込んだ。

「やだ! 見るなっ……」

 恥ずかしくて恥ずかしくていたたまれなくて、まなじりに涙が滲んでくる。

「見せて下さい、あなたのその可愛い顔を」
「可愛くなんかないっ……」

 真っ赤になって、半泣きになった情けない顔。どちらかといえば可愛さとは対極にある。

「見せて」

 ドルクが顔を覆ったわたしの手首を掴んだ。

「フレイア、あなたの顔が見たい」

 砂糖菓子のような甘い声音。ゆっくりと左右に開かされていく掌の隙間から覗いた男の顔を濡れた瞳でにらむようにすると、極上の顔で微笑まれた。

「可愛いな」
「趣味が、悪い」
「そんなことないですよ」

 口元に笑みを湛えながら、ドルクの指はするするときわどいところを滑った。

「あぁっ!」

 たちまち反応してしまうわたしを見やりながら、彼は巧みに指を動かした。

「恥ずかしくて不機嫌になってしまった顔も―――」
「はぁ……っ、やぁっ……!」
「上気して、蕩け切った顔も―――たまらなく、可愛い」

 言いながら、は……っ、とドルクの口から荒い息が漏れた。

「自分がどれだけオレをたまらない気持ちにさせているか、分かります?」

 わたしの指に指を絡め、真上から見下ろすようにしながら、ドルクはこげ茶色の双眸に堪えきれない情欲を滲ませた。

「平静を装ってあなたに触れながら、ずっとずっとふるいつきたくて―――今この瞬間も、焼き切れそうな理性と戦っている」

 これまで包み隠していた劣情を初めてわたしの前に露わにした彼の顔は、獰猛な本能を抑え込もうと抗いながら、蜜のような男の色香を放っていて、わたしの胸を震わせた。

「ドル―――」

 ク、と最後まで彼の名前を呼べなかった。

 たかぶる熱い唇が降ってきて、官能で色づいたわたしの唇を塞ぐ。噛みつくような激しさと深い情愛が融合した濃厚なキスをされて、瞼の裏に白い光が瞬くような錯覚を覚えた。角度を変えて、強さを変えて甘く巧みに舌を吸われ、尖らせた舌先で感じる部分を余すところなく刺激されて、後頭部から背中、腰へとぞくぞくするような快感が突き抜けていく。口内は甘い痺れに溢れ、震えながら伸ばす舌は彼のキスに上手く応えられているのか分からなかった。

「んっ……は、……っ」

 息苦しさと幸福感に包まれながら、もっともっと彼を感じたくて、でもこの場でこれ以上どう求めたらいいのか分からなくて―――満たされる胸と裏腹に、もどかしい感覚を与えられ続けくすぶる身体を持て余して、その狭間で、煽情的な口づけを交わしてくる相手を至近距離で見つめる。

 蕩けるような甘い光とたぎる熱情を双眸に宿して、その瞳にわたしを映し出す愛しい男は、囁くようにわたしに尋ねた。

「―――オレを、お持ち帰りしてくれますか?」

 彼の影の下で大きく胸を上下させながら、わたしはその瞳を見つめ返し、静かに尋ね返した。

「わたしがお持ち帰りしなかったら―――どうなるの?」
「一日限定のスタッフですから―――今日いっぱいは、ここで働くことになりますかね」

 苦笑じみた表情を見せそう答えた彼に、わたしは頬を紅潮させ、即答した。

「そんなの、お持ち帰りするに決まってる! あんたがわたし以外の人にあんなふうに触れるなんて、嫌だ!」

 強い口調で言い切ったわたしの剣幕にドルクは少々驚いた様子で、大きなこげ茶色の双眸を瞠った。

「フレイア―――」
「当たり前だろ、嫌だよ、そんなの……」

 絶対に嫌だ。あんたが、わたし以外の誰かにあんなふうに触れるなんて。

 わたし以外の誰かが、あんたのぬくもりを肌に感じるなんて―――。

「……嬉しいです。そんなふうに感情を剥き出しにして言ってくれるとは、思わなかったので」
「い、言っとくけど……わたし、かなり、あんたのこと―――好きだから」

 ここはきちんと伝えておかなければいけないと思って、恥ずかしかったし若干視線を逸らし気味ではあったけど、ドルクの瞳をきちんと見て、わたしは自分の気持ちを伝えた。

「あ―――でもわたし、ここの会員じゃないし、なるつもりもないんだけど。出来るのかな? それ。会員特典なんだろ?」
「出来ますよ。オレはあなたのものなんだし、あなたがそういう気持ちでいてくれる以上、オレの取るべき道は決まっていますから」

 つまりはカンタネルラ側と交わした取り決めなど反故にする、と言っているわけだな。

 わたしは軽く吹き出して、目の前の恋人を見やった。

「それで大丈夫?」
「問題ありません。あちらも取り立てて騒ぐような真似はしませんよ、何のメリットもありませんからね」
「なら良かった」

 どちらからともなく微笑み合い、額を軽く寄せ合うようにして、わたし達はもう一度キスをした。
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