魔眼

藤原 秋

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カンタネルラ

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「ぁ……」

 甘い吐息が、微かに耳に響く。

「ふ……っ……」

 漏れ出でるような、色づいた吐息―――どこから……? 出ているのは―――わたしの口?

 まどろみの中、ぼんやりと甦ってきた意識の中で、背中から腋の下へ、腋の下から脇腹へとかけて流れるように繰り返されるくすぐったいような刺激を感じたわたしは、ハッと身体を震わせて覚醒した。

 瞼を開いた視界に磨き上げられた床が映って、自分が置かれた状況を思い出す。

 そうだった、カンタネルラでドルクにマッサージをしてもらっている最中だったんだ。

 ヤバい、気持ち良くていつの間にか完全に落ちていた。危なくよだれを垂らしてしまう勢いだったぞ。

 わたしが起きたそのタイミングを見計らったように腋と胸の境界線にドルクの指が降りて来て、そこをくすぐるようにして揉みほぐされ、目覚めたてだったわたしは不覚にも声を上げてしまった。

「ぅんっ……!」

 びくっ、とおとがいを跳ね上げたわたしの頭上から、笑みを含んだドルクの声が降ってくる。

「起きました?」

 当たり前だけど、寝ていたのを気付かれていたみたいだ。

「どうしようかと思うような可愛い声が出てましたよ……」

 そう揶揄されて、顔が耳まで熱くなる。その声で自分が起きた自覚があったから、わたしは真っ赤な顔のまま何も言えずに押し黙った。

 その間も腋の下から脇腹へ、背中を通ってまた腋へと流れるような動きを続けていた彼の手は、左右の腋の辺りで一度動きを止めると、それまでとは違う動きを見せた。胸の輪郭の後ろ側部分に指を這わせるようにして、両胸を中央に寄せるように軽く圧迫し、胸のきわに這わせた指でぬるぬると脇との境界線を刺激される。くすぐったいような、それとはまた違うようなじっとしていられないその動きに、わたしは身体をもじつかせた。

「やっ……ちょっと!」

 器用な動きを見せる彼の手がふとした拍子に胸を悪戯し始めるんじゃないだろうか、そんな懸念も頭をかすめて、落ち着かなくなる。

 そんなわたしを面白がるように、ドルクはその動きを何度も繰り返した。

「そっ……それ、やだ……! くすぐったい……!」
「くすぐったいだけですか……?」

 どこか色気のある低い声で囁かれて、ぞくぞくと腰が反応する。

 くすぐったいだけじゃ、ない気がする。けれどそれは、この場で感じちゃいけないもののような気がして―――。

「あっ、あっ、やだ、もういい……!」

 頭を振りながら訴えるわたしにドルクは微かに笑みをこぼしたようだった。

「分かりました。次に移りますね」

 そう言ってその部分から素直に手を離し、ほどかれていたビキニの紐を結び直してくれる。

 くすぐったい刺激から解放されたことと約束通り水着を直してくれたことに安堵していると、腰から下を覆っていたバスタオルを今度は施術を終えた背中へと掛けられて、空気に晒された下半身が少しだけ肌寒さを訴えた。

「では、腰から下を施術していきます」

 温かな香油をたっぷりとつけ直したドルクの手が腰に置かれて再びマッサージが始まった。腰椎に沿って親指の腹で圧迫されるのも、掌全体を強めに当てて押し回すようにほぐされるのも心地良くて、溜め息がこぼれる。

 うわぁ……腰、効くなぁ。気持ちいい……。

 うっとりと瞳を閉じて心地良さに浸っていると、ドルクからマニュアル的な声がかかった。

「失礼します」

 次の瞬間、ためらいなくショーツを足の付け根辺りまで引き下ろされて、油断していたわたしは大きく動揺した。

「わぁっ!? ちょっ……!」

 まさかそう来るとは思わなかった!

 慌てて顔を上げて振り返ろうとするわたしをドルクが静かに押し留める。

「不用意に動くと見えますよ」

 その言葉は覿面てきめんの効果を発揮して、わたしは動くに動けなくなった。

 み、見えるって……見えるって、が、ってコトだよな!?

 引き下ろされたショーツのおかげでギリギリ見えずに済んでいるだろうそこは、女ならば誰もが隠したい領域だ。

 そことは比べようもないけれど、お尻を丸出しにされた今のこの状況だって充分恥ずかしい!

 ドルクの目の前に晒されている光景を思うと、顔から火を吹きそうだった。例え近々全てを見せることになるだろう相手だとしても、このシチュエーションはまた別次元のもので、やるせない恥ずかしさが込み上げてくる。

 わたしは身体を動かさずに何とかショーツを引き上げようと腕を伸ばしてみたけれど、どうしても指先にそれがかからない。

「やだ! 戻して!」

 あまりの恥ずかしさといたたまれなさに頬を紅潮させて叫ぶわたしを、ドルクはあくまでもやんわりと、落ち着き払った調子で諭す。

「施術が終わったら戻しますから」
「こっ、ここはいい! しなくて!」
「そんなこと言わないで。せっかくですから全部、磨き上げましょう?」

 な、何でそんな普通なんだよ!? 急にこんなふうにお尻を出されて、無理だよ、恥ずかし過ぎて死にそう……!

 心の中で一人盛大にうろたえるわたしを置き去りにして、ドルクの手が剥き出しにされた双丘に当てがわれる。ビクリと反応するそこを撫で上げるようにして無遠慮に香油を塗り込まれ、わたしは小さく悲鳴を上げ、身体を強張らせた。

「やっ! ま、待って……!」
「もう少し力を抜いて。リラックスして下さい」
「そ、そんなの、無理……!」

 無理に決まってる! こんな状況で、どうやってリラックスしろって言うんだ!

「困りましたね……そんなに力を入れられてしまうと施術出来ないんですが」
「だから、しなくていいって……!」

 噛みつきかけたわたしは、直後、臀部に走った甘い衝撃に喉を震わせた。

 ドルクが両手の爪先を逆立てるようにして、お尻の下から上へと向かって刷き上げるように刺激したのだ。突如もたらされたその感覚に息を詰め、動きの止まってしまったわたしの様子を眺めながら、ドルクは角度を変え、力加減を変えて、同じような動きを繰り返してきた。

「……! や、やめ……!」

 臀部の奥まで響くような甘い疼きに、肌が粟立つ。身体が跳ねそうになるのをこらえるわたしを翻弄するように、ドルクの器用な指先は強弱をつけながら上昇と下降を繰り返し、時折左右で円を描くようにして気紛れに踊り狂う。

「……っ、は、ぁぁっ!」
「可愛いな。そんなにお尻をきゅっと引き締めて……」

 な、何てことを言うんだ! コイツ!!

 羞恥心を煽るようなドルクの言葉にわたしはぎゅっと目をつぶった。色々言ってやりたいところだったけど、彼の攻めに耐えるのにいっぱいいっぱいで、反論もままならない。

 くそっ……こ、この意地悪男! 恥ずかし過ぎて、どうにかなりそう……!

 きつく唇を結んだまましばらくそうして弄ばれて、ようやく解放される頃にはわたしはすっかり息が上がってしまっていた。肩で息をついているわたしのお尻に再びドルクの手が伸ばされて、その感触にひくん、と身体が揺れる。

「あ……っ」

 何事もなかったかのように緩やかにマッサージが始まっても、くったりしたわたしは既に抵抗する気力をがれていて、されるがままになってしまう。

「いい感じに力が抜けましたね」

 何食わぬ顔でそう告げられても頬を赤らめたまま、言葉を発することが出来なかった。







 臀部のマッサージが終わると約束通りドルクはショーツを元に戻してくれて、わたしは大いに胸をなで下ろした。

 これがあるとないとでは、心の安寧がまるで違う。

 続いて大腿へとマッサージが移り、内腿の辺りを施術されている時は恥ずかしかったけれど、先程の教訓もあり、わたしは口をつぐんでドルクに身を任せていた。下手に抵抗した方が恥ずかしい目に遭うということが分かったからだ。

 その甲斐もあって、足のマッサージは特に問題なく終えることが出来た。問題がない分にはドルクのマッサージはとても気持ちが良くて、その技巧はわたしを陶然とさせた。

 触れ方や力加減が本当に絶妙なんだ。足の裏や指の一本一本まで丁寧に揉みほぐされて、身体が整えられた感じがしたし、すごく癒された。

 こういうのって相性も大きいんだろうか―――彼はわたしが心地良いと感じる術を心得ているように思える。

 人からマッサージをしてもらったことってあまりないけれど、ドルクはかなり上手な部類に入るんじゃないかな。普段から公言している通り何事にも器用な彼は、昨日受けたという一日の研修でマッサージのコツを掴んだらしい。

「今度は仰向けになって下さい。顔とデコルテのマッサージをしていきましょう」

 ドルクにそう促されたわたしは上半身を起こしながら、今のマッサージで薄れかけていた警戒感を思い出しつつ口を開いた。

「先に確認したいんだけど」
「何ですか?」
「さっきみたいな妙な真似は、なしだからな!」
「妙な真似、というのは?」

 口元に笑みを湛えて空っとぼけた返事をする彼をぎりぎりとにらみつけて、わたしは気色ばんだ。

「水着を脱がしたりずらしたり、そういうのは一切ダメだぞ! 絶対なしだからな! そういうのはお断りだから!」
「ダメですか? オレとしては残念なんですが」

 危ない! やっぱりそう来るつもりだったのか!

「ダメだ! 落ち着かないし恥ずかしい! 美容効果より精神的なダメージの方が大きい!」
「あんなに可愛い反応を見せてくれたのに」
「う、うるさい! どれだけ恥ずかしかったと思ってるんだ!?」
「この間オレに胸を見られた時くらい、ですかね?」

 くうぅ、よく分かってるじゃないか!

「あの時みたいなずるいのはダメだぞ!」

 わたしに再度釘を刺されたドルクは苦笑気味に頷いた。

「分かりました、露出させることはしませんから」

 彼から言質が取れたわたしがホッとしたのは、言うまでもない。 
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