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カンタネルラ
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キューちゃんが無事に海へと還り、後日、宿で荷物を整理していた時のことだった。
指先に触れた厚めの紙の感触に、何だろうと道具袋の奥からそれを引っ張り出したわたしは、上質の紙で作られた覚えのある封書を目にして、それまですっかりその存在を忘れていたことを思い出した。
トラッサ地方の小さな町で知り合った天然無垢な令嬢、エリスからお礼にと贈られたチケット入りの封書だ。
『ダハタの中心都市ダハールで最近とても評判だというお店のチケットを知人からいただいたのですけれど、私、そちらへ行く用事がないものですから……宜しければどうぞ』
そういえばそうだった……ここダハールで使えるチケットを彼女の厚意でもらっていたんだった。危うくムダにしてしまうところだったぞ、危ない危ない。
封書を開いて中身を確認してみると、丁寧な案内状とペアの無料チケットが入っていた。特に期限などは記されておらず、まだ使えそうだ。
カンタネルラ―――女性専用のエステティックサロン?
聞き慣れない名称に小首を傾げる。案内状を読んでみると、どうやら全身美容を専門に行っている高級サロンらしい。
美顔、痩身、美肌といった女心をくすぐるような言葉が書面に踊り、同封されていた店の地図を見るとその所在地はリゾート地であるダハールの高級店が立ち並ぶ一等地になっていた。
明らかに富裕層向けのサロンぽいなぁ……わたしが行ったら浮くんじゃないかな。
そう思いつつも行かないという選択肢が頭に浮かばなかったのは、つい先日、晴れて恋人という関係になれたドルクと交わした「期限」が迫っていたせいだった。
わたしも女だもん―――出来れば、好きな人と初めての関係を結ぶ前に、より綺麗になっていたい。
ほんのり頬を染めながら、服の上からそっと、心臓の真上にドルクが咲かせていった赤い花の痕に手を当てがう。するとあの日の彼の言葉が耳に甦ってしまい、わたしは思わず顔を覆って一人悶えてしまった。
『そう長くは待てませんから……これが消える前までにお願いしますよ。期限が切れたら、有無を言わせず抱きますから』
ああ、もう、思い出すだけでこれだ。
こんなんで本番、大丈夫かな―――自分の心臓がどうにかなってしまわないか、本気で心配になる。
火照った頬を両手で押さえながら、わたしはエリスにもらったチケットに改めて視線を落とした。
ペアチケットだけど、女性専用のお店となると男性のドルクは一緒に行けないし―――そうだ、リルを誘ってみようか?
ちょうど今夜会うことになっている、見た目は天使のような術士の容貌を脳裏に思い浮かべ、わたしは一人得心した。
今夜はクンツの一件で手を貸してもらった彼女達と、わたし達のおごりで一緒に飲みに行くことになっているのだ。
うんそうしよう、ちょうど会うことだし、彼女ならうってつけだ。
そう思っていたのに、間にクラウスの診療所へ行くのを挟んだこともあり、わたしがそれを思い出したのは飲み会が盛り上がる半ばになってからのことだった。
あっ、すっかり忘れていた!
ほろ酔い気分で剣帯に付けてあるポーチから封書を引っ張り出し、飲みかけのジョッキやら食べかけの料理やらが広がるテーブルを自分の前だけ軽く片付けてそれを開くと、目ざとくそれに気が付いたリルムが身を乗り出すようにして覗き込んできた。
「何、それ?」
お酒にあまり強くない彼女の白い頬は上気して大きな緑色の瞳はとろんとしていたけれど、チケットを目にした瞬間、その瞳がカッと見開かれた!
「―――ど、ど、どうしたのこれッ!? カンタネルラの無料チケットじゃない!」
思わぬその食いつき方に、わたしの方がビックリしてしまった。同席の男性陣もリルムの大声に驚いた様子で、何事かとこちらに視線を向ける。
「知ってるの?」
「知ってるも何も! 富裕層の淑女達の間で、今、大評判のサロンじゃない!!」
そんなに有名なんだ?
「カンタネルラ?」
「エステティックサロン?」
わたし同様名称だけでピンと来ていないドルクとアレクシスにリルムが興奮した口調でまくし立てる。
「ダハールの淑女達の間でもてはやされている、女性専用の高級美容サロン! もうすっごい人気で、予約がなかなか取れないって噂なんだから! 何であんたがその無料チケットを持ってるのよ!?」
「前にトラッサ地方で知り合った人からお礼にってもらったんだよ」
わたしのその言葉を聞いたドルクが合点のいった顔になった。
「そういえばあの時エリスからもらっていましたね、ダハールで評判だという店のチケットを」
「そう、それ。今朝思い出してさ」
彼にそう返したわたしの両肩をリルムが強い力でぐっと掴んだ。
「フレイア……それ、ペアチケットよね? ランヴォルグは男だから一緒に行けないわよね?」
「う? うん……だからさ」
あんたを誘おうと思ったんだけど―――顔、顔が何だか怖い、リルム。それと力、入り過ぎ! 肩痛いから!
「あたし達、もう友達よね!?」
迫力満点の顔で迫るなよ! 美人に凄まれると怖い! あと、友達って言われるとちょっとくすぐったい。
「あんたを誘うつもりで持って来たんだよ! 行く!?」
リルムの迫力に気圧されながらわめくようにして言うと、途端にリルムはその圧力を引っ込め、悪魔の形相から天使の様相へと変貌した。
「当たり前じゃない! 行ってあげるわよ、友達なんだから!」
どうしてこう上から目線の物言いになるかな、この娘は。
「じゃあ明日一緒に予約を取りに行こうか。このチケットを持って行くと優先的に予約が取れるみたいなんだ」
そう誘うと彼女は目に見えて上機嫌になり、グラスに残っていた果実酒を飲み干した。
「いいわよ。そうと決まったら、今日はもう帰って寝ましょ! 明日に備えないとね」
ええ!? どうしていきなりそうなるんだ!?
「何で? そんなに気合を入れることないじゃん。わたしはまだ飲み足りない」
眉根を寄せ抗議の声を上げると、リルムはとんでもない、と言わんばかりの勢いでわたしに迫った。
「夜更かしと飲み過ぎは美容の大敵よ! これから最高峰のエステに行こうって人が何言ってんの!?」
「はぁ!? そっちこそ何言ってんの、明日は予約を取りに行くだけで、すぐに施術を受けられるわけじゃないんだぞ!」
「まあまあ二人共。リル~、せっかくランヴォルグ達のおごりで飲んでいるんだし、僕もまだ飲んでいたいんだけどー。ベルンハルトもトイレに行ったきりまだ戻ってきてないし、ね?」
やんわりいなそうとするアレクシスにリルムは半分据わった目を向け、口を尖らせた。
「男達は心ゆくまで飲んでいたらいいじゃない。女だけ先に失礼するから」
「わたしの意思を無視したまま巻き込むな!」
「あたしの忠告を聞いていて良かった、って後で絶対思うわよ!」
リルムは頑として引かず、わたしの椅子の後ろに回り込むと腋の下に手を入れて強引に席から立たせようとした。
「うわ、コラ、くすぐったい!」
「ねぇフレイアってばー、ねえー」
打って変わって甘えた声を出すな! すり寄るな! あああ、もう、面倒くさい女め!
「分かった! 分かったよ!」
根負けしたわたしは舌打ち混じりに立ち上がり、盛大に溜め息をつくと、やれやれといった表情で傍観しているドルクに後を任せた。
「悪いけどベルンハルトに宜しく言っといて。いない間に帰ってゴメンって。アレク、またね」
「ごめんね、フレイア。リルが言い出したら聞かなくて……」
「今日は災厄だと思って諦めとく……」
「何よ、災厄って! あんたねぇ、絶対絶対後であたしに感謝するわよ! 本当なんだから!」
「あああもう、うるさい、うるさい。ほら行くぞ」
きゃんきゃんわめくリルムの背を押すようにして男性陣をその場に残し、非常に不本意ながらわたしは酒場を後にすることになったのだった。
あーあ、もうちょっと飲みたかったのになぁー。
「いやー、まいったまいった、男子トイレにはしばらく行かない方がいいぜ、ひどい酔っ払いが一人いてさー、床が悲惨なコトになってるから」
フレイア達が帰ってほどなく、そうぼやきながら席へと戻ってきたベルンハルトは女性陣の姿が消えていることに気が付き、小首を傾げた。
「あれ、リルとフレイアは? トイレ?」
「いやあ、実はね……」
アレクシスから二人がいない理由を聞かされたベルンハルトはやや驚いた様子ですっきりとした黒い瞳を瞬かせ、オレ達にこう確認してきた。
「えっ、カンタネルラ? カンタネルラってあの富裕層御用達の? お前ら、いいの? 好きな女の子をそんなところに行かせちゃって」
ベルンハルトのその言いようにオレとアレクシスは互いの顔を見合わせた。
「だって……ねえ?」
「いいも何も……女性専用の美容サロンなんだろう?」
「表向きはそうだけどさー、あの噂知らないの、お前ら?」
そういう言い方をするということは―――何か良くないいわれがあるんだな。
悪い予感を覚え険しい表情になるオレ達を見やりながら、ベルンハルトはどこか悪戯小僧のような面持ちになりその噂について語った。
「何でも富裕層の淑女達が火遊びする為に通うところだってオレは聞いたぜ。スタッフが全員男で、色んなタイプの見てくれのいい連中がそろえられているらしい。金さえ出せば本番あり、客は気に入ったスタッフをお持ち帰りすることも出来るらしいぞ」
「な―――」
アレクシスが絶句し、優男風の容貌を青ざめさせる。
「何だよ、それ―――全身美容と称して、全身にいけない系のマッサージを施すトコなワケ!?」
「多分そうなんじゃね? 詳しいコトはオレも知らんけど。どんだけ上手な『施術』なんだろうなー、スゲー人気らしいし、溜まるのって男だけじゃなくて女もそうなんだなー」
他人事とオレ達の様子を面白がっているふうのベルンハルトをにらみつけながら、オレは自分の失態を苦々しく飲み下した。
迂闊だった―――ダハールへ来てからの情報収集が充分でなかった。その情報は持ち合わせていなかった。
それに、純真無垢なエリスに限ってはこれがどういう店のチケットであるのか知らずにフレイアに譲渡したのは間違いないだろうが、リルムは―――あの様子からして、知っていたな。カンタネルラがどういう店であるのか。
知っていて、興味を持っていたところにフレイアのチケットを見て、好奇心に火がついたのに違いない。
それを悟って、オレは密かに頭を痛めた。
どうする―――フレイアの方は事情を説明すればすぐに理解を示して店への予約を取りやめるだろうが、リルムは―――あいつは頑として、それを聞き入れないだろう。
普段ならリルムの自主性に任せて放っておくところだが、今回は彼女を想うアレクシスにも世話になった手前、このまま放っておくのでは何となく後味が悪い。
「い、言われてみればカンタネルラって……古代語で『媚薬』って意味じゃん……ああ~、何で気が付かなかったんだ、僕のバカヤロー……」
リルムの意思を覆すことは無理だと悟っているのだろう、そう嘆きながらテーブルに突っ伏しているアレクシスを見やり、ひとつ溜め息をつく。
仕方がないな……。
オレはニヤニヤしているベルンハルトに視線を向けてこう尋ねた。
「おい。カンタネルラには『色んなタイプの見てくれのいい連中がそろえられている』という話だったな?」
「オレが聞いた話ではそうだけど。何か思いついちゃった? ランヴォルグ」
「非合法な手段だがな。お前にも一枚噛んでもらうぞ……」
そう宣言すると、ベルンハルトは実にあっさりとそれを承諾した。
「いいぜー、何か面白そうだし。貞淑じゃない淑女達の秘密の園にも興味あるしね」
にこにこと頷くマイペースな男と、対照的に今にも泣き出しそうな情けない顔をした男は、オレも含めてタイプこそ違えど、世間一般的に見てくれがいい部類に入る―――今回はそれをフルに活かして、強引な戦略に出るとしようか。
指先に触れた厚めの紙の感触に、何だろうと道具袋の奥からそれを引っ張り出したわたしは、上質の紙で作られた覚えのある封書を目にして、それまですっかりその存在を忘れていたことを思い出した。
トラッサ地方の小さな町で知り合った天然無垢な令嬢、エリスからお礼にと贈られたチケット入りの封書だ。
『ダハタの中心都市ダハールで最近とても評判だというお店のチケットを知人からいただいたのですけれど、私、そちらへ行く用事がないものですから……宜しければどうぞ』
そういえばそうだった……ここダハールで使えるチケットを彼女の厚意でもらっていたんだった。危うくムダにしてしまうところだったぞ、危ない危ない。
封書を開いて中身を確認してみると、丁寧な案内状とペアの無料チケットが入っていた。特に期限などは記されておらず、まだ使えそうだ。
カンタネルラ―――女性専用のエステティックサロン?
聞き慣れない名称に小首を傾げる。案内状を読んでみると、どうやら全身美容を専門に行っている高級サロンらしい。
美顔、痩身、美肌といった女心をくすぐるような言葉が書面に踊り、同封されていた店の地図を見るとその所在地はリゾート地であるダハールの高級店が立ち並ぶ一等地になっていた。
明らかに富裕層向けのサロンぽいなぁ……わたしが行ったら浮くんじゃないかな。
そう思いつつも行かないという選択肢が頭に浮かばなかったのは、つい先日、晴れて恋人という関係になれたドルクと交わした「期限」が迫っていたせいだった。
わたしも女だもん―――出来れば、好きな人と初めての関係を結ぶ前に、より綺麗になっていたい。
ほんのり頬を染めながら、服の上からそっと、心臓の真上にドルクが咲かせていった赤い花の痕に手を当てがう。するとあの日の彼の言葉が耳に甦ってしまい、わたしは思わず顔を覆って一人悶えてしまった。
『そう長くは待てませんから……これが消える前までにお願いしますよ。期限が切れたら、有無を言わせず抱きますから』
ああ、もう、思い出すだけでこれだ。
こんなんで本番、大丈夫かな―――自分の心臓がどうにかなってしまわないか、本気で心配になる。
火照った頬を両手で押さえながら、わたしはエリスにもらったチケットに改めて視線を落とした。
ペアチケットだけど、女性専用のお店となると男性のドルクは一緒に行けないし―――そうだ、リルを誘ってみようか?
ちょうど今夜会うことになっている、見た目は天使のような術士の容貌を脳裏に思い浮かべ、わたしは一人得心した。
今夜はクンツの一件で手を貸してもらった彼女達と、わたし達のおごりで一緒に飲みに行くことになっているのだ。
うんそうしよう、ちょうど会うことだし、彼女ならうってつけだ。
そう思っていたのに、間にクラウスの診療所へ行くのを挟んだこともあり、わたしがそれを思い出したのは飲み会が盛り上がる半ばになってからのことだった。
あっ、すっかり忘れていた!
ほろ酔い気分で剣帯に付けてあるポーチから封書を引っ張り出し、飲みかけのジョッキやら食べかけの料理やらが広がるテーブルを自分の前だけ軽く片付けてそれを開くと、目ざとくそれに気が付いたリルムが身を乗り出すようにして覗き込んできた。
「何、それ?」
お酒にあまり強くない彼女の白い頬は上気して大きな緑色の瞳はとろんとしていたけれど、チケットを目にした瞬間、その瞳がカッと見開かれた!
「―――ど、ど、どうしたのこれッ!? カンタネルラの無料チケットじゃない!」
思わぬその食いつき方に、わたしの方がビックリしてしまった。同席の男性陣もリルムの大声に驚いた様子で、何事かとこちらに視線を向ける。
「知ってるの?」
「知ってるも何も! 富裕層の淑女達の間で、今、大評判のサロンじゃない!!」
そんなに有名なんだ?
「カンタネルラ?」
「エステティックサロン?」
わたし同様名称だけでピンと来ていないドルクとアレクシスにリルムが興奮した口調でまくし立てる。
「ダハールの淑女達の間でもてはやされている、女性専用の高級美容サロン! もうすっごい人気で、予約がなかなか取れないって噂なんだから! 何であんたがその無料チケットを持ってるのよ!?」
「前にトラッサ地方で知り合った人からお礼にってもらったんだよ」
わたしのその言葉を聞いたドルクが合点のいった顔になった。
「そういえばあの時エリスからもらっていましたね、ダハールで評判だという店のチケットを」
「そう、それ。今朝思い出してさ」
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「フレイア……それ、ペアチケットよね? ランヴォルグは男だから一緒に行けないわよね?」
「う? うん……だからさ」
あんたを誘おうと思ったんだけど―――顔、顔が何だか怖い、リルム。それと力、入り過ぎ! 肩痛いから!
「あたし達、もう友達よね!?」
迫力満点の顔で迫るなよ! 美人に凄まれると怖い! あと、友達って言われるとちょっとくすぐったい。
「あんたを誘うつもりで持って来たんだよ! 行く!?」
リルムの迫力に気圧されながらわめくようにして言うと、途端にリルムはその圧力を引っ込め、悪魔の形相から天使の様相へと変貌した。
「当たり前じゃない! 行ってあげるわよ、友達なんだから!」
どうしてこう上から目線の物言いになるかな、この娘は。
「じゃあ明日一緒に予約を取りに行こうか。このチケットを持って行くと優先的に予約が取れるみたいなんだ」
そう誘うと彼女は目に見えて上機嫌になり、グラスに残っていた果実酒を飲み干した。
「いいわよ。そうと決まったら、今日はもう帰って寝ましょ! 明日に備えないとね」
ええ!? どうしていきなりそうなるんだ!?
「何で? そんなに気合を入れることないじゃん。わたしはまだ飲み足りない」
眉根を寄せ抗議の声を上げると、リルムはとんでもない、と言わんばかりの勢いでわたしに迫った。
「夜更かしと飲み過ぎは美容の大敵よ! これから最高峰のエステに行こうって人が何言ってんの!?」
「はぁ!? そっちこそ何言ってんの、明日は予約を取りに行くだけで、すぐに施術を受けられるわけじゃないんだぞ!」
「まあまあ二人共。リル~、せっかくランヴォルグ達のおごりで飲んでいるんだし、僕もまだ飲んでいたいんだけどー。ベルンハルトもトイレに行ったきりまだ戻ってきてないし、ね?」
やんわりいなそうとするアレクシスにリルムは半分据わった目を向け、口を尖らせた。
「男達は心ゆくまで飲んでいたらいいじゃない。女だけ先に失礼するから」
「わたしの意思を無視したまま巻き込むな!」
「あたしの忠告を聞いていて良かった、って後で絶対思うわよ!」
リルムは頑として引かず、わたしの椅子の後ろに回り込むと腋の下に手を入れて強引に席から立たせようとした。
「うわ、コラ、くすぐったい!」
「ねぇフレイアってばー、ねえー」
打って変わって甘えた声を出すな! すり寄るな! あああ、もう、面倒くさい女め!
「分かった! 分かったよ!」
根負けしたわたしは舌打ち混じりに立ち上がり、盛大に溜め息をつくと、やれやれといった表情で傍観しているドルクに後を任せた。
「悪いけどベルンハルトに宜しく言っといて。いない間に帰ってゴメンって。アレク、またね」
「ごめんね、フレイア。リルが言い出したら聞かなくて……」
「今日は災厄だと思って諦めとく……」
「何よ、災厄って! あんたねぇ、絶対絶対後であたしに感謝するわよ! 本当なんだから!」
「あああもう、うるさい、うるさい。ほら行くぞ」
きゃんきゃんわめくリルムの背を押すようにして男性陣をその場に残し、非常に不本意ながらわたしは酒場を後にすることになったのだった。
あーあ、もうちょっと飲みたかったのになぁー。
「いやー、まいったまいった、男子トイレにはしばらく行かない方がいいぜ、ひどい酔っ払いが一人いてさー、床が悲惨なコトになってるから」
フレイア達が帰ってほどなく、そうぼやきながら席へと戻ってきたベルンハルトは女性陣の姿が消えていることに気が付き、小首を傾げた。
「あれ、リルとフレイアは? トイレ?」
「いやあ、実はね……」
アレクシスから二人がいない理由を聞かされたベルンハルトはやや驚いた様子ですっきりとした黒い瞳を瞬かせ、オレ達にこう確認してきた。
「えっ、カンタネルラ? カンタネルラってあの富裕層御用達の? お前ら、いいの? 好きな女の子をそんなところに行かせちゃって」
ベルンハルトのその言いようにオレとアレクシスは互いの顔を見合わせた。
「だって……ねえ?」
「いいも何も……女性専用の美容サロンなんだろう?」
「表向きはそうだけどさー、あの噂知らないの、お前ら?」
そういう言い方をするということは―――何か良くないいわれがあるんだな。
悪い予感を覚え険しい表情になるオレ達を見やりながら、ベルンハルトはどこか悪戯小僧のような面持ちになりその噂について語った。
「何でも富裕層の淑女達が火遊びする為に通うところだってオレは聞いたぜ。スタッフが全員男で、色んなタイプの見てくれのいい連中がそろえられているらしい。金さえ出せば本番あり、客は気に入ったスタッフをお持ち帰りすることも出来るらしいぞ」
「な―――」
アレクシスが絶句し、優男風の容貌を青ざめさせる。
「何だよ、それ―――全身美容と称して、全身にいけない系のマッサージを施すトコなワケ!?」
「多分そうなんじゃね? 詳しいコトはオレも知らんけど。どんだけ上手な『施術』なんだろうなー、スゲー人気らしいし、溜まるのって男だけじゃなくて女もそうなんだなー」
他人事とオレ達の様子を面白がっているふうのベルンハルトをにらみつけながら、オレは自分の失態を苦々しく飲み下した。
迂闊だった―――ダハールへ来てからの情報収集が充分でなかった。その情報は持ち合わせていなかった。
それに、純真無垢なエリスに限ってはこれがどういう店のチケットであるのか知らずにフレイアに譲渡したのは間違いないだろうが、リルムは―――あの様子からして、知っていたな。カンタネルラがどういう店であるのか。
知っていて、興味を持っていたところにフレイアのチケットを見て、好奇心に火がついたのに違いない。
それを悟って、オレは密かに頭を痛めた。
どうする―――フレイアの方は事情を説明すればすぐに理解を示して店への予約を取りやめるだろうが、リルムは―――あいつは頑として、それを聞き入れないだろう。
普段ならリルムの自主性に任せて放っておくところだが、今回は彼女を想うアレクシスにも世話になった手前、このまま放っておくのでは何となく後味が悪い。
「い、言われてみればカンタネルラって……古代語で『媚薬』って意味じゃん……ああ~、何で気が付かなかったんだ、僕のバカヤロー……」
リルムの意思を覆すことは無理だと悟っているのだろう、そう嘆きながらテーブルに突っ伏しているアレクシスを見やり、ひとつ溜め息をつく。
仕方がないな……。
オレはニヤニヤしているベルンハルトに視線を向けてこう尋ねた。
「おい。カンタネルラには『色んなタイプの見てくれのいい連中がそろえられている』という話だったな?」
「オレが聞いた話ではそうだけど。何か思いついちゃった? ランヴォルグ」
「非合法な手段だがな。お前にも一枚噛んでもらうぞ……」
そう宣言すると、ベルンハルトは実にあっさりとそれを承諾した。
「いいぜー、何か面白そうだし。貞淑じゃない淑女達の秘密の園にも興味あるしね」
にこにこと頷くマイペースな男と、対照的に今にも泣き出しそうな情けない顔をした男は、オレも含めてタイプこそ違えど、世間一般的に見てくれがいい部類に入る―――今回はそれをフルに活かして、強引な戦略に出るとしようか。
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