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情動
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おじさんの話によるとこの牢獄は二時間に一回程度、二人組の男による巡回が行われているらしい。
日に二度の食事と水も彼らによって運ばれてくる。あまり考えたくないことだが、トイレは牢の隅に掘られた穴の上で足す仕様になっているらしい。水浴びなどは捕まってから一切させてもらえていないそうだ。
それを聞いたわたしとリルムは心の底からゾッとした。
この高温多湿の状況で不衛生極まりない環境だな……何日かいたら人としての尊厳を奪われかねない気がするぞ。
だからここの地下はこんなに臭ったのか……恐ろしいことに、当初はむせびそうなくらいに感じたあの強烈な臭気が、鼻が慣れてしまった今となってはもはやほとんど分からない。
「ウソ……そんな激臭に満ちているの、ここ!? 最悪! あたしにしみついちゃうじゃない!!」
寝入っているうちに知らず鼻が慣れてしまっていたリルムが青ざめながら叫んだ。
「オレはもう鼻がバカになっちまってて分からないがな、それでもこっち側から誰か入ってきた時にはもっと眉をひそめたくなるような激臭がするぜ」
そう言いながらおじさんが通路の右先を見やった。
わたし達がいる牢はこの牢獄の最奥の位置にあった。通路を挟んで目の前にあるのはおじさん達が閉じ込められている牢だ。わたし達の牢を左側、おじさん達の牢を右側として、並びには大きさの異なる牢がいくつかあったけど、現在人が入れられているのはこの二つの牢だけみたいだった。
その間を走る通路を真っ直ぐ進んでいくと、わたし達が連れてこられた一階の階段裏へと続く石造りの長い階段があり、その手前で通路が左右に分かれていて、牢の中からその先は見えなかったけれど、おじさん曰く、左側の通路を行くと地上のどこかへ直接繋がっている道、右側へ進むと海へと続いている道に出られるんじゃないかという話だった。
その情報が確かなら、この牢獄には三つの出入口があることになる。
「通路の先が見えねぇから、音と匂いとクンツの手下の会話から判断するしかないんだが、多分そうだ。右側の扉が開いている時は強い潮の匂いと、何もかもが腐ったようなひでぇ臭いが入り込んでくる」
「何でそんな臭いがするんだろう……?」
「さあ……死体でも溜め込んでんのか……それにそっちからは時々不気味な声が聞こえるんだよ。まるで亡者の声みたいなのが……」
おじさんはぶるりと身体を震わせて薄ら寒そうに首を竦めた。
ぞっとしない話だな……それが何なのか、後で確かめる必要がありそうだ。
わたし達がしばらく話をしている間に、眠っていた女性達が一人また一人と起きだした。催眠剤の影響で頭痛がするのか、みんな一度額を押さえるようにしてから辺りを見渡し、意識を失う前のことを思い出して青ざめる―――といったパターンで、牢獄内は彼女達の悲鳴と泣き声でにわかに騒がしくなり始めた。
無理もないよなぁ……まさかこんなことになるとは思わないもんな。
気の毒に思いつつも、まだ目が覚めていない人もいることだし、この混乱の最中では会話もままならないだろうから、説明は彼女達が落ち着いた後に一度で済ませようと考えて、わたしはリルムと話を続けた。
「リル、この扉あんたの魔法で開けられる?」
「魔法対策を講じているような代物じゃないから開けるだけなら簡単だけど、どうしたって音が出るわよ」
「そうか……気付かれずに逃げるとなると、やっぱりどうにかして鍵を手に入れないとだな」
「そうね」
「何か使えそうな呪文、ある?」
そう尋ねたわたしにリルムはふふん、と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「魅了の呪文なんてどう?」
おお、いいね! それに決まりだ!
そんなわたし達の様子を見ていたおじさんがごくりと息を飲みながら確認するように呟いた。
「あ、あんたら、本当に本気で脱出するつもりなんだな……」
「だから、最初からそう言ってんじゃない」
「まあまあリル、にわかには信じがたい展開だもん。ごく真っ当な反応だと思うよ」
つっけんどんな彼女の態度をそう取りなしながら、わたしはおじさんに声をかけた。
「そういうわけだから、そっちの牢の中にいるおじさんの仲間達にも話しておいてもらえないかな。一緒に頑張ってみないか、って」
「お、おお。願ってもない。もちろんだ」
おじさんは大きく頷くとわたし達に背を向け、生気を失い座り込んだままの仲間一人一人に声をかけて回り始めた。
全ての女性が目を覚ましてほどなく、隠し通路の階段から帯剣した男が二人下りてきた。わたし達に使った催眠剤の効果が切れる時間を見計らって現れたらしい。彼らを目にして怯え、壁際へと身を寄せる女性達を見やりながら、男達は薄笑いを浮かべて声高に一方的な現状の説明をした。
「ようこそ、裏の世界へ。お前達はこれからオークションにかけられて競り落とした相手のところへ行き、その肢体で存分に奉仕して生きていくことになる。言っておくが、逃げたり自棄を起こして命を絶つのはくれぐれも避けることだ……その場合はお前達の家族に穴埋めをしてもらうことになるからな」
コンテストの受付用紙に素直に個人情報を書いてしまった人は住所を握られている。悲嘆の声があちらこちらから上がり、すすり泣きが漏れた。
それをどこか楽しげに眺めながら当面の生活について説明をする男達に、リルムが今にも消え入りそうなか細い声をかけた。
「あの……」
「うん? 何だ、説明をしている最中だぞ」
咎める口調で言いながらも、彼女の美貌を目にした男達の相好が緩むのが分かった。
「す……すみません。あの、少し確認したいことがあって……」
小動物のようにふるふると震えながら、怖いのを必死で堪えているふうを装い、上目遣いに男達を見上げるリルム。
こういうところドルクと通じるものがあるよね、あんた。普段の彼女を知っている身としては、誰だお前! と突っ込みを入れたくなる。
「そんな声じゃ聞こえないぞ。こっちへ来て言ってみろ」
口元を緩めながら男の一人がリルムを促し、彼女は恐る恐るといった様子でゆっくり男達に歩み寄った。そして自分達の絶対的優位を信じて疑わない彼らに向かって、格子越しに魅了の呪文を唱える。
一瞬の静寂の後、いつも通りの口調に戻った彼女の声が牢獄内に響き渡った。
「扉を開けて、鍵をあたしに渡しなさい」
思いがけぬその内容に、牢内の女性達がざわり、とさざめく。そしてリルムの言葉通り男達が牢の扉を開け、彼女に鍵の束を手渡すと、驚きに満ちた小さな歓声が上がった。
「さぁて、あんた達には働いてもらうわよ。まずは色々聞かせてもらいましょうか」
リルムがそう告げると、彼女の魅了の術にかかった男達は陶然とした表情でこくりと頷いた。
「ランヴォルグ、何だか様子が変だ」
空が黄昏色に染まる頃、別々にクンツの別荘を探っていたベルンハルトとアレクシスが姿を見せ、オレにそう知らせてきた。
「とっくにパーティーが始まっていないとおかしいのに、そういう気配がない。ああいうのって普通、窓とか開け放って行われて、音楽家の演奏とか談笑する声とか、賑やかなの聞こえるはずだろ? それが全くないし、料理の旨そうな匂いもしない」
「むしろ窓は閉めきられているよね。明りはついているけれどひっそりしている」
その不自然さはオレも感じていた。頭にあった懸念が現実味を帯びてきたところだった。
「オレもそう思っていた。パーティーが催されるはずなのに警備の動きに変化がないし、静か過ぎる」
「だよな。でも、屋敷内で目立った動きがある感じもしないんだ。大きな物音がするわけでもないし……」
「そうなんだよねぇ」
「……だが、何かあったな」
そう確信して、オレ達は夕日に染まる白亜の豪邸を見やり頷き合った。
間もなく終了の時を迎えようというイベント会場は既に閑散として人影も少なく、庭園の遊歩道に並び立っていた露店は片付け作業を行っている。辺りにはイベントの終了を告げ帰宅を促す警備員の声が響いていた。
「―――ドルクさん!」
そこへ息を切らせながらアデライーデとクラウスが現れた。
「どうした?」
「やっと会えた! さっき、先生の知り合いの知り合いの人がいて、話を聞いてみたら……!」
そう勢い込むアデライーデの話をクラウスが引き継いだ。
「ダハールの医師会関係の人で、今日のコンテストの審査員を務めていた人がいたんだ。彼が言うには、コンテスト終了後にビュッフェパーティーが催されるという話は聞いていないそうなんだよ。審査員を務めたお礼は後日改めてするということで―――」
やはり、パーティーそのものが虚偽で、行われていないのか。
ならば、コンテストの裏に隠された、パーティーを口実にしたクンツの狙いはやはり―――!
薄々抱いていた疑念が確信に変わったその時―――海から吹いていた緩やかな風が不意に、不穏な空気を纏った。
ベルンハルトとアレクシスもそれに気付く。
海の方を振り返ったオレ達の目に映ったのは、夕日を映して茜色に染まった静かな海と、その遥か沖合に発生した小さな渦だった。まだ点のようにしか見えないその小さな渦の上空に気流が生まれ、海水が巻き上げられて、小さな竜巻のようになる。それは瞬く間に雲の塊を引き寄せて沖合の空を覆い、沈みゆく夕日を覆い隠してしまった。
急激に空が暗くなり、吹き付ける生ぬるい風が勢いを増して、異変に気が付いた人々が海を見やる。沖合には稲妻が光り始め、突如として起こった不気味な現象に周囲から慄いたどよめきが上がった。
「うわぁ……何だろうな、あれ?」
「自然現象じゃなさそうだねぇ」
どこかのんびりとしたベルンハルトとアレクシスの物言いとは対照的に、瞠目するアデライーデの声には余裕がない。
「ぜ、絶対違いますよ! ずっと海を見て育ってきたけど、こんな光景、見たことないです! ねえ、先生!?」
「ああ。何が起こっているのか分からないが、少し高いところへ避難した方がいいかもしれない」
先程まで凪いでいたのが嘘のように怪しく波打ち始める水際を視線で追いながらクラウスが一歩下がる。
「一度会場を出よう。装備を整えた方がいい」
オレの言葉に全員が頷き、会場の外へ向かって走り出す頃には、急激に発達した黒雲が頭上まで迫ってきていた。
日に二度の食事と水も彼らによって運ばれてくる。あまり考えたくないことだが、トイレは牢の隅に掘られた穴の上で足す仕様になっているらしい。水浴びなどは捕まってから一切させてもらえていないそうだ。
それを聞いたわたしとリルムは心の底からゾッとした。
この高温多湿の状況で不衛生極まりない環境だな……何日かいたら人としての尊厳を奪われかねない気がするぞ。
だからここの地下はこんなに臭ったのか……恐ろしいことに、当初はむせびそうなくらいに感じたあの強烈な臭気が、鼻が慣れてしまった今となってはもはやほとんど分からない。
「ウソ……そんな激臭に満ちているの、ここ!? 最悪! あたしにしみついちゃうじゃない!!」
寝入っているうちに知らず鼻が慣れてしまっていたリルムが青ざめながら叫んだ。
「オレはもう鼻がバカになっちまってて分からないがな、それでもこっち側から誰か入ってきた時にはもっと眉をひそめたくなるような激臭がするぜ」
そう言いながらおじさんが通路の右先を見やった。
わたし達がいる牢はこの牢獄の最奥の位置にあった。通路を挟んで目の前にあるのはおじさん達が閉じ込められている牢だ。わたし達の牢を左側、おじさん達の牢を右側として、並びには大きさの異なる牢がいくつかあったけど、現在人が入れられているのはこの二つの牢だけみたいだった。
その間を走る通路を真っ直ぐ進んでいくと、わたし達が連れてこられた一階の階段裏へと続く石造りの長い階段があり、その手前で通路が左右に分かれていて、牢の中からその先は見えなかったけれど、おじさん曰く、左側の通路を行くと地上のどこかへ直接繋がっている道、右側へ進むと海へと続いている道に出られるんじゃないかという話だった。
その情報が確かなら、この牢獄には三つの出入口があることになる。
「通路の先が見えねぇから、音と匂いとクンツの手下の会話から判断するしかないんだが、多分そうだ。右側の扉が開いている時は強い潮の匂いと、何もかもが腐ったようなひでぇ臭いが入り込んでくる」
「何でそんな臭いがするんだろう……?」
「さあ……死体でも溜め込んでんのか……それにそっちからは時々不気味な声が聞こえるんだよ。まるで亡者の声みたいなのが……」
おじさんはぶるりと身体を震わせて薄ら寒そうに首を竦めた。
ぞっとしない話だな……それが何なのか、後で確かめる必要がありそうだ。
わたし達がしばらく話をしている間に、眠っていた女性達が一人また一人と起きだした。催眠剤の影響で頭痛がするのか、みんな一度額を押さえるようにしてから辺りを見渡し、意識を失う前のことを思い出して青ざめる―――といったパターンで、牢獄内は彼女達の悲鳴と泣き声でにわかに騒がしくなり始めた。
無理もないよなぁ……まさかこんなことになるとは思わないもんな。
気の毒に思いつつも、まだ目が覚めていない人もいることだし、この混乱の最中では会話もままならないだろうから、説明は彼女達が落ち着いた後に一度で済ませようと考えて、わたしはリルムと話を続けた。
「リル、この扉あんたの魔法で開けられる?」
「魔法対策を講じているような代物じゃないから開けるだけなら簡単だけど、どうしたって音が出るわよ」
「そうか……気付かれずに逃げるとなると、やっぱりどうにかして鍵を手に入れないとだな」
「そうね」
「何か使えそうな呪文、ある?」
そう尋ねたわたしにリルムはふふん、と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「魅了の呪文なんてどう?」
おお、いいね! それに決まりだ!
そんなわたし達の様子を見ていたおじさんがごくりと息を飲みながら確認するように呟いた。
「あ、あんたら、本当に本気で脱出するつもりなんだな……」
「だから、最初からそう言ってんじゃない」
「まあまあリル、にわかには信じがたい展開だもん。ごく真っ当な反応だと思うよ」
つっけんどんな彼女の態度をそう取りなしながら、わたしはおじさんに声をかけた。
「そういうわけだから、そっちの牢の中にいるおじさんの仲間達にも話しておいてもらえないかな。一緒に頑張ってみないか、って」
「お、おお。願ってもない。もちろんだ」
おじさんは大きく頷くとわたし達に背を向け、生気を失い座り込んだままの仲間一人一人に声をかけて回り始めた。
全ての女性が目を覚ましてほどなく、隠し通路の階段から帯剣した男が二人下りてきた。わたし達に使った催眠剤の効果が切れる時間を見計らって現れたらしい。彼らを目にして怯え、壁際へと身を寄せる女性達を見やりながら、男達は薄笑いを浮かべて声高に一方的な現状の説明をした。
「ようこそ、裏の世界へ。お前達はこれからオークションにかけられて競り落とした相手のところへ行き、その肢体で存分に奉仕して生きていくことになる。言っておくが、逃げたり自棄を起こして命を絶つのはくれぐれも避けることだ……その場合はお前達の家族に穴埋めをしてもらうことになるからな」
コンテストの受付用紙に素直に個人情報を書いてしまった人は住所を握られている。悲嘆の声があちらこちらから上がり、すすり泣きが漏れた。
それをどこか楽しげに眺めながら当面の生活について説明をする男達に、リルムが今にも消え入りそうなか細い声をかけた。
「あの……」
「うん? 何だ、説明をしている最中だぞ」
咎める口調で言いながらも、彼女の美貌を目にした男達の相好が緩むのが分かった。
「す……すみません。あの、少し確認したいことがあって……」
小動物のようにふるふると震えながら、怖いのを必死で堪えているふうを装い、上目遣いに男達を見上げるリルム。
こういうところドルクと通じるものがあるよね、あんた。普段の彼女を知っている身としては、誰だお前! と突っ込みを入れたくなる。
「そんな声じゃ聞こえないぞ。こっちへ来て言ってみろ」
口元を緩めながら男の一人がリルムを促し、彼女は恐る恐るといった様子でゆっくり男達に歩み寄った。そして自分達の絶対的優位を信じて疑わない彼らに向かって、格子越しに魅了の呪文を唱える。
一瞬の静寂の後、いつも通りの口調に戻った彼女の声が牢獄内に響き渡った。
「扉を開けて、鍵をあたしに渡しなさい」
思いがけぬその内容に、牢内の女性達がざわり、とさざめく。そしてリルムの言葉通り男達が牢の扉を開け、彼女に鍵の束を手渡すと、驚きに満ちた小さな歓声が上がった。
「さぁて、あんた達には働いてもらうわよ。まずは色々聞かせてもらいましょうか」
リルムがそう告げると、彼女の魅了の術にかかった男達は陶然とした表情でこくりと頷いた。
「ランヴォルグ、何だか様子が変だ」
空が黄昏色に染まる頃、別々にクンツの別荘を探っていたベルンハルトとアレクシスが姿を見せ、オレにそう知らせてきた。
「とっくにパーティーが始まっていないとおかしいのに、そういう気配がない。ああいうのって普通、窓とか開け放って行われて、音楽家の演奏とか談笑する声とか、賑やかなの聞こえるはずだろ? それが全くないし、料理の旨そうな匂いもしない」
「むしろ窓は閉めきられているよね。明りはついているけれどひっそりしている」
その不自然さはオレも感じていた。頭にあった懸念が現実味を帯びてきたところだった。
「オレもそう思っていた。パーティーが催されるはずなのに警備の動きに変化がないし、静か過ぎる」
「だよな。でも、屋敷内で目立った動きがある感じもしないんだ。大きな物音がするわけでもないし……」
「そうなんだよねぇ」
「……だが、何かあったな」
そう確信して、オレ達は夕日に染まる白亜の豪邸を見やり頷き合った。
間もなく終了の時を迎えようというイベント会場は既に閑散として人影も少なく、庭園の遊歩道に並び立っていた露店は片付け作業を行っている。辺りにはイベントの終了を告げ帰宅を促す警備員の声が響いていた。
「―――ドルクさん!」
そこへ息を切らせながらアデライーデとクラウスが現れた。
「どうした?」
「やっと会えた! さっき、先生の知り合いの知り合いの人がいて、話を聞いてみたら……!」
そう勢い込むアデライーデの話をクラウスが引き継いだ。
「ダハールの医師会関係の人で、今日のコンテストの審査員を務めていた人がいたんだ。彼が言うには、コンテスト終了後にビュッフェパーティーが催されるという話は聞いていないそうなんだよ。審査員を務めたお礼は後日改めてするということで―――」
やはり、パーティーそのものが虚偽で、行われていないのか。
ならば、コンテストの裏に隠された、パーティーを口実にしたクンツの狙いはやはり―――!
薄々抱いていた疑念が確信に変わったその時―――海から吹いていた緩やかな風が不意に、不穏な空気を纏った。
ベルンハルトとアレクシスもそれに気付く。
海の方を振り返ったオレ達の目に映ったのは、夕日を映して茜色に染まった静かな海と、その遥か沖合に発生した小さな渦だった。まだ点のようにしか見えないその小さな渦の上空に気流が生まれ、海水が巻き上げられて、小さな竜巻のようになる。それは瞬く間に雲の塊を引き寄せて沖合の空を覆い、沈みゆく夕日を覆い隠してしまった。
急激に空が暗くなり、吹き付ける生ぬるい風が勢いを増して、異変に気が付いた人々が海を見やる。沖合には稲妻が光り始め、突如として起こった不気味な現象に周囲から慄いたどよめきが上がった。
「うわぁ……何だろうな、あれ?」
「自然現象じゃなさそうだねぇ」
どこかのんびりとしたベルンハルトとアレクシスの物言いとは対照的に、瞠目するアデライーデの声には余裕がない。
「ぜ、絶対違いますよ! ずっと海を見て育ってきたけど、こんな光景、見たことないです! ねえ、先生!?」
「ああ。何が起こっているのか分からないが、少し高いところへ避難した方がいいかもしれない」
先程まで凪いでいたのが嘘のように怪しく波打ち始める水際を視線で追いながらクラウスが一歩下がる。
「一度会場を出よう。装備を整えた方がいい」
オレの言葉に全員が頷き、会場の外へ向かって走り出す頃には、急激に発達した黒雲が頭上まで迫ってきていた。
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