魔眼

藤原 秋

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情動

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「納得いかないっっ!  どうして、どうしてこのあたしが予選落ちなのよっっ!  ここの審査員達、見る目なさすぎっっ! こんな三流コンテスト、こっちからお断りよっっ! 」

 わたしと同じく予選落ちになってしまったリルムは怒髪天をく勢いで怒り狂い、しばらくの間機嫌が直らなかった。その様子にアデライーデはすっかり怯えてしまって、クラウスの陰に隠れ、決して彼女と目を合わせようとしなかった。

「ホントだよ!  リルの魅力が分からないなんて、ここの審査員達はどうかしている! 」

 必死にリルムをなだめすかすアレクシスの傍らで、我関せずのベルンハルトはいつもの調子で混ぜ返している。

「まあ正直、あの賞金が手に入らなかったのは残念だったけど、フレイアと一緒にパーティーに招待されることになったのは良かったじゃん。今となってはそっちの方が都合がいいわけだし」
「三流コンテストの賞金なんて、クソ食らえよっっ! 」
「リル~、女の子がそんな言葉遣い、ダメだよ~」

 そうなのだ、リルムもわたしと同じく抽選に当たって、クンツ邸のビュッフェパーティーに招待されることになったのだ。

 ビュッフェパーティーになんか行かない、とムクれるリルムに、わたしは至極残念そうな表情を作ってこう言った。

「ええー……リルと、行きたかったなぁ。セレブな雰囲気の会場で豪華な料理を仲良く取り分けながら、女同士で楽しく語らいたかった……」

 フレイアもリルの扱い方が分かってきたみたいだなぁ、と揶揄するベルンハルトの脛をドルクが無言で蹴りつけている。

 すると大きな瞳を瞠ってわたしを見やったリルムは息を飲み、それから白い頬を染めてうつむくと、ぶっきらぼうにこう呟いたのだった。

「し、仕方ないわね。フレイアがそこまで言うなら、まあ、行ってあげなくもないけど……」
「リル―!  君ってヤツは、可愛いっ……可愛すぎるよ~! 」

 アレクシスがたまらないといった様子でリルムに頬を寄せる。

 うんうん、確かに可愛いよな、リルムは。わたしもだんだんと分かってきたよ。

 それに、見た目でも彼女はとても魅力的だと思うんだ。予選の時もその魅力は突出していると思ったんだけどなぁ……。

 ―――そして華やかなファンファーレと共にミス・オーシャンブルーコンテストの本選が開始されると、わたしのその思いはより強くなった。

 本選に勝ち進んだ出場者達は確かにそれぞれ素敵だったけれど、正直、リルムには及ばないように見える。

 知り合いの欲目なのかな? それとも、単純な美しさだけではない何かをかんがみて、審査員は彼女達を選んだんだろうか……?

 メインイベントが始まって会場のボルテージが上がる中、わたし達は少し離れたところで表面上はそれを観覧しているふうを装いながら、その実はコンテストそっちのけでクンツ邸の情報を交換し合った。みんなの情報を突き合わせると、おおまかな別荘の全体図と注目すべき点が見えてきた。

 別荘は凹型をしたメインの建物がへこんだ部分を海岸側に向けた形で建っていて、左右に別棟がひとつずつあった。海を下にして左側の棟は警備員達の詰め所、この更に左側には今日開放されている広大な庭園があって、右側にはそれよりだいぶ小さめの箱型の建物があるらしい。箱型の建物の周りは意図的に植樹されていて周りから見えないようになっており、頑丈な金属製の扉で閉ざされていたそうだ。

「いや、上から見下ろさない限りは余程注意していないと気付かないね、あれ。危うく見逃すところだったよ」

 アレクシスの言葉にベルンハルトが相槌を打った。

「あからさまに怪しかったよなぁ、あの建物。あんな奥まって隠されてんのにも関わらず扉の前に警備が二人いたし、リルに注意を引いてもらわなければ施錠されているかどうか確認することも出来なかった」
「箱型の建物といえば、プライベートビーチの埠頭近くにもあったな」

 ドルクが思い出したようにそう言ってアデライーデと顔を見合わせた。

「小さいのがありましたね、そういえば。やっぱり警備員が二人立っていて……」
「そっちは特に隠されていたわけでなく扉も木製だったが……」
「小さい子に『ここは何なの?』と尋ねられた警備の人が、漁具をしまう場所だというような回答をしていたのは聞きましたけど……」

 本当に漁具をしまうような場所だったら、警備員を二人も置くかな? そこも怪しい感じがする! 

「あんた達が目星をつけた通り、クンツってヤツかなり怪しいわよ。コンテストも胡散臭いし」

 気が収まりきらないリルムが不機嫌な面持ちで頬を膨らませる。

「侵入経路としては裏口が一番妥当な線か。内部の間取や別荘内でのクンツの過ごし方といった情報がもっとほしいところだな……」

 形の良い指を顎に当ててそう呟くドルクにわたしは任せろ、と胸を叩いた。

「そこはこれからわたしとリルで探ってみるよ、出来るだけ。な?」
「……まぁやるだけね、やってみるわよ。このままじゃ腹の虫も治まらないし」

 ふん、と息を吐くリルム。

 その時、ひと際大きな歓声が沸き起こった。

 どうやらコンテストの優勝者が決まったらしい。

 栄えあるミス・オーシャンブルーに選ばれたのは、小麦色の肌が健康的な地元の女性だった。

「ううー、何よあれー! あんなのにあたしが負けたっていうの!? 屈辱よ、ひどい屈辱だわ! 」

 それを見て毛を逆立てかねない様相で唸るリルムの背をアレクシスが優しくなでて、落ち着かせようと苦心する。

 いやいやリル、さすがにそれは言い過ぎだから。せめて口に出さず、心の中で思ってくれ。

「ほら、気持ちを切り替えてパーティーに行こう? リル」

 やさぐれるリルムを促すわたしにドルクが声をかけた。

「無茶はし過ぎないで下さいよ」
「無茶をする前提で言うなよ……」

 思わず渋面になるわたしの手に彼はそっと手を重ねてきた。一瞬ドキリとしたけれど、掌に固い質感を覚えて、何かを手渡されたのだと悟る。

「これまでの前例がありますから。仕方がないでしょう?」

 溜め息混じりにそう諭すドルクから手渡されたのは小振りな折り畳み式のナイフだった。

「あんた、これ、持ち込んでたの?」

 驚くわたしに彼はさもありなん、といった風情で口角を上げた。

「疑念を抱いている相手の思惑に大人しく沿う主義ではないので」

 相変わらず抜け目ないな。

 かなり小振りのそれは、水着の隙間に難なく仕込めそうだ。ラッシュガードを羽織っていれば全く気付かれないだろう。

「ありがとう。借りていくよ」
「気を付けて下さい。何があるか分かりませんから」

 真剣な表情で真正面からこげ茶色の双眸に見つめられて、気を引き締めなければならないのにほんのり頬が赤らんでしまったのが分かった。

 うわ……まずい。

 落ち着こうと瞳を逸らして無意識に彼の形の良い唇へ視線が行き、ドツボにはまる。

 思い出さないように努めていた違和感が唇に甦り、目の前のこの唇の熱を感じたいと切望している自身を認識してしまって、頬の火照りがひどくなる。そんな内心を隠すように、とっさに口元を手で覆ってしまっていた。

 ―――何考えているんだ、こんな時に!

 心の中でそんな自分を叱咤していると、あからさまに挙動のおかしいわたしの様子を不審に感じたらしいドルクに眉をひそめられた。

「フレイア?」

 ヤバい、絶対変に思われた。

 気まずさを覚えながら彼の顔色を窺うと、「ちょっと……」と手首を掴まれ、みんなから少し距離を取らされた。

「……どうかしました?」
「いや、何でもない。ごめん、大丈夫だから」

 表情を取り繕うわたしに、彼は聞き方を変えてきた。

「何か、ありました?」

 やっぱり変だと思われている。

 そうは思ったし、実際「何か」もあったわけだけど―――でも、あんなこと、言えるわけがない。

 自分の態度が不自然なのは重々承知で、わたしはしらを切り通した。

「何もないってば……」
「……そうですか」

 ドルクはしばらくわたしの顔を見つめた後、やおら腕を伸ばしてわたしの頬に触れた。驚く間もなくその掌が緩やかに顎へと滑り落ちてきて、親指の先がふに、と柔らかくわたしの唇に触れる。突然の脈絡のない彼の行動に当惑するわたしのことなどお構いなしに、ドルクはその感触を楽しむようにふにふにとわたしの唇を弄んだ。

「ちょ、な、何……」

 唇が甘やかな熱を帯びる。戸惑うわたしには答えず、ドルクは折り畳み式ナイフを握っているわたしの掌をそっと開かせると、それを自分の手に持ち替え、空になったわたしの掌を人差し指でつう、となぞった。

「……!?」

 何だか分からないけれど、指の動きがエロい。

 掌をなぞられてぞくりと反応するわたしを静かな眼差しで見据えながら、唐突に彼は言った。

ナイフこれ、オレが仕込んであげましょうか?」
「え?」

 言うなりおもむろにラッシュガードのファスナーを胸の下辺りまで引き下ろされ、ホルターネックタイプのビキニの胸元が露わになる。突然の彼の所業に、わたしは動揺した。

「!? なっ……」

 晒された肌にドルクの視線を感じて、カッと全身が熱くなる。慌ててファスナーを引き上げながら、彼をにらみつけた。

「自分でするからいい! 何、急に……!?」
「……確かめたくて」
「何を!?」
「杞憂ならいいんです。許されるならコイツをあなたの水着に仕込みたかったのは事実ですし」
「!」

 さらりととんでもないことを言われて、思わず頬を上気させ口をつぐんだわたしの掌に、ドルクは再び折り畳み式ナイフを握らせた。

 ううう……くそぉ、何なんだ。

 ドルクがどうして急にこんなことをしてきたのかひどく気になったけど、こちらが隠し事をしていると彼に悟られている以上、それを棚に上げたまま一方的に追及することも出来ないジレンマに苛まれ、やきもきする。そこへ少し離れたところにいるリルムから声をかけられた。

「フレイア、そろそろ行くわよ」
「あ―――、うん」

 彼女へそう返すわたしに、ドルクがいつもと変わらない口調で告げる。

「こっちはこっちで動いてみます。パーティーが始まれば警備の配置も変わるでしょうし、別の展開が望めるかもしれない。オレ達はギリギリまで会場内にいますから、何かあった場合は何らかの方法で知らせて下さい。何事もなければ後でキューちゃんのところで落ち合いましょう」

 まるでさっきのことなどなかったかのようにそう締めくくられ、この場で彼にそれを問い質すことは出来なくなった。

「……分かった。そっちも気を付けて」

 仕方なくそう答えるに留めたわたしに、ドルクはこう付け加えた。

「抽選でパーティーに招待された他の女性達を注意して見てみて下さい。何か不審な点があるかもしれない」
「うん……元よりそのつもりだけど」

 どういう抽選方法なのか分からないから、そこは注意して見るつもりでいた。もしかしたら何らかの意図があるのかもしれないし。

 ドルクが敢えてそう言ったのには何か理由があるんだろう。詳しく言わないのは、彼自身まだそれに確証を持てていないからなんだろうな。

「何かしら掴んで帰ってくるよ」
「頼みます」

 揺るぎなく言い切ったその様子から、ドルクがパートナーとしての自分を信頼してくれているのが伝わってきた。さっきのもやもやはまだ残っているけれど、それが少し嬉しかったから、まあとりあえずは良しとするか……。

 ドルクがわたしを気遣ってお守り代わりのナイフを授けてくれたことも、素直に嬉しかったしね。







「僕とアデラは人の多いところへ行って情報収集に努めるよ」

 フレイア達と別れた後、そう申し出たクラウスにオレは承諾の意を返した。

「分かりました。会場が閉まる直前に合流しましょう。無理はせず、何かあったら知らせて下さい」
「うん、分かった。君達も気を付けてね」

 どことなく嬉しそうな顔をしたアデライーデがオレ達に一礼してから、クラウスの背中を追う。

 さっきフレイアの様子がおかしかったのは、もしかしたらクラウスのせいではないかとオレは内心で勘繰っていたのだが、彼の態度はいつもと変わらぬ柔らかな物腰そのままで、その表面からは邪推するような要素が見当たらなかった。

 先程目にしたフレイアの肌にも、見えるところにそれを思わせるような痕跡はなかった。オレの杞憂であれば、それに越したことはないんだが……。

 だが、どうもスッキリしない。なら彼女のあの反応は何だったんだ。

 けれどあのひとは頑固だから、話さないと決めたことは絶対に話してはくれないだろう。それがどれだけこちらを鬱屈とした気持ちにさせるのか、想像だにもせず……。

 だったらせめて気付かれないように隠し切ってくれとも思うが、相反するようにそれは嫌だとも思う自分がいる。

 ―――子供か、オレは。

 どっちにしろ嫌なのだ。隠されて気付けずにいることも、何かを隠されたことに気が付いてしまうことも。

 彼女のことは些細なことでも知っておきたい。例えそれが、自分に良い感情をもたらすものではなかったとしても―――……。

 我ながら面倒くさいな。

 そんな自分の心の有り様に辟易する。

 つい昨夜、揺るがず泰然と待ち切ってみせると決めたのは、どこの誰だったのか。

 己の体たらくに盛大な溜め息を吐きたくなるが、それが彼女に対する自身の正直な気持ちなのだから仕方がないと、半ば諦めの境地に至った。

 ―――フレイア。

 オレは青い海を見下ろす位置にそびえ立つ白亜の豪邸を見上げ、リルムと共にそこへ向かった彼女のことを想った。

 彼女の水着姿を衆人の前で晒す事態にならなかったのはありがたかったが、あのコンテストを見た時に首をもたげた一抹の懸念がオレの胸をさざ波のように揺らしていた。

 確証はない。だが―――。

 懸念を払拭出来る、確実な要素もない。

 だから念の為、彼女にあのナイフを手渡した。

 リルム達とこの場で再会出来たのは幸運だった。例え何があったとしても、フレイアとリルムがそろっていれば大抵のことはどうにかなるだろう。

「じゃあ後でな、ランヴォルグ」
「豪邸アプローチ第二弾、行ってみようか」
「ああ……頼んだぞ」

 西に傾き始めた陽の光を受けながらベルンハルト達と別れ、オレもまた動き始めた。 
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