魔眼

藤原 秋

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虚夢の館

06

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「回復呪文をかけたから肉体の傷は治っているよ、本人が言った通り魂食いソウルイーターの力を使い過ぎた反動で極限まで体力を削られたんだろうね……呼吸も落ち着いているし、しばらくすれば目を覚ますと思うよ」

 精気の補給なしに魂食いソウルイーターの能力を使い続けるのは、僕達の想像以上に負担を強いる作業だったみたいだね―――意識を失ったドルクを診た療法士ヒーラーのアレクシスはそう所見を述べた。

 それを聞いてホッとすると同時に、そこをおもんばかってやれなかった自分自身に苦いものを覚える。

 ドルクは何でもないような顔をして無茶をするタイプなんだ。それを誰にも悟られずにやってのけてしまうヤツなんだ。

 彼の性格を考えれば、決して予見出来ないことではなかったのに。パートナーなら、そこに気付いてあげなければならなかった。

 虚影ホロウに見せられたドルクの幻影が脳裏から離れず胸の奥に不安がつかえているような感覚が拭えなくて、わたしは簡単な夕食を済ませると後片付けもそこそこに彼が寝かされている天幕へと戻った。

 虚影ホロウとの戦いを終え心身共に疲弊していたわたし達は、ドルクが気を失ったままということもあり、昨夜キャンプを張った場所で一夜を過ごしてから最寄りの町へ向かうことになったのだった。

 黒い金属製の鎧を脱がされ防護スーツ姿になったドルクは、毛布を掛けられた状態で静かに眠っていた。物言わぬ彼の口元に指先を伸ばしてその呼吸を確かめ、微かに触れた息遣いにそっと胸をなで下ろす。

 良かった、ちゃんと息をしている……。

 薄暗いカンテラの灯りの下ではよく分からないけれど、顔色も少しは戻っているんだろうか?

 わたしは眠るドルクの傍らに膝をつき、彼の整った面差しをまじまじと覗き込んだ。

 あどけなさの残る、少年のような顔―――こんな形でドルクの寝顔を見ることになるとは思わなかったな……。わたしの寝顔は図らずもつい先日、それにラナウイでも彼に見られているわけだけど。

 その時の状況を思い起こすと頬が火照ってくるので、それを頭の隅に追いやった時だった。人の気配がして静かに天幕の入口が開き、リルムが顔を覗かせた。

「どう? ランヴォルグの様子は」
「変わらず静かに眠ってる」
「そう。あたし達も交代で休むわよ。最初はベルンハルトが火の番をするって。次にアレク、それからあたし、最後はあんた。それでいいかしら?」
「うん、いいよ。あのさ、それまでここにいていいかな?」

 そう尋ねるとリルムは大きな緑色の瞳を瞬かせた。

「そんなにランヴォルグが心配なの? アレクが問題ないって言っていたじゃない」
「そ、それはそうなんだけどさ。ドルクがこんな状態になるの初めて見たし、問題ないって言われても気がかりで」

 気恥ずかしさを覚えながらそう訴えると、リルムはふぅん、と鼻を鳴らしてわたしを見た。

「な、何だよ……心配なんだから仕方がないだろ!」

 思わず頬を染めてつっけんどんな言い方になると、リルムに軽くいなされた。

「何も言っていないじゃない。あんたがこっちで寝るとなると、あっちの天幕であたしとアレクが寝ることになるな~と思っただけ」

 今回は最寄りの町から徒歩で半日以上かかるゴート城の位置的にキャンプを張る必要があったから、わたし達はギルドの近くにある旅用具のレンタル店で男女に別れて休むように天幕をふたつ用意してきていた。

 余談だけど、各地のギルドの支部の近隣には大抵わたし達のような傭兵の客を当て込んだ各種道具を取り揃えたレンタル店と有料の荷物預り所がある。ギルドの所属プレートを提示すれば割引サービスしてもらえるし、何かと便利なのでわたし達を含め傭兵の利用客は多い。

「ああ……えーと、そうなると困る?」

 わたしがこっちにいるとなると必然的にそうなるよな……昨日はわたしとリルムが一緒の天幕を使ったんだった。

 アレクシスとは男女の関係に至っているわけだから同じ天幕でも多分問題はないんだろうけど、彼が火の番をする時はベルンハルトと一緒に休むことになるから、そうなると問題が出てくるのかな。

「まぁぶっちゃけ困りはしないんだけどね。ベルンハルトはあたしに興味ないし。アレクがちょっとイチャイチャしたがるかもしれないけど」

 リルムはたいして困った様子も見せずにそう言うと、横たわるドルクへ視線をやった。

「でも見張りの順番を考えると、あんたが火の番をしている時にランヴォルグの傍にいるのはあたしってことになるんだけど、あんたはそれでいいの?」

 逆に問い返されて、わたしは初めてそれに気付いた。

 あ……そうか、そういうことになるのか。

「―――ねえ、あたし、ランヴォルグのこと本気でいいと思っていたのよ。彼は互いに恋愛感情はなかったって言っていたけど、あたしは伝えなかっただけで彼を恋愛対象として見ていた。じゃなければ肌を重ねたりしないわ」

 試すようにわたしを見つめるリルムは女の顔をしていた。その視線を逸らすことなく受け止めながら、わたしは静かに口を開いた。

「それを聞いて、正直いい気持ちはしないけど……でも、んだろ? 過去形でわざわざそれを言う相手にどうこうする気もないし、あんたが今はアレクシスを好きだっていうのは分かっているし」
「なっ……! 何でそういうことになるのよっ!」

 白い頬をみるみる紅潮させるリルムにわたしは口元をほころばせた。

「あんたが自分で言ったんじゃん。恋愛感情がなければ肌を重ねたりしないって」
「……っ!」
「たくさん実戦を積ませて、アレクシスが長持ちするように鍛えてあげたらいいんじゃない?」
「うう……よ、余計なお世話よ!」

 リルムは真っ赤な顔で歯噛みすると、憤然と天幕を後にした。

 問題はあるけど、良くも悪くも素直で、本気で憎めないだな。対人関係においてかなりぶきっちょなだけで、根は多分、そう悪くない。

 そんな彼女をアレクシスやベルンハルトは(かなり)大らかな気持ちで理解してあげているんだろうし、ドルクも何だかんだでそんな彼らを気に入っている。

 こんこんと眠り続ける彼に視線を戻し、わたしはその傍らに身体を横たえた。戦いを終えてからずっと気が張っていたけれど、さっきのリルムとのやり取りで少し肩の力を抜くことが出来た気がする。

 わたしも少し、休んでおかないとな……。

 疲れが溜まっていた身体は正直で、瞳を閉じるとすぐに意識が沈んでいくのが分かった。







「……っ」

 苦し気な息遣いにわたしはハッと目を覚ました。

 どれくらい眠っていたんだろうか。身体を起こすと、うなされて苦し気に眉をひそめるドルクの姿が目に入った。

 大粒の汗の滲む額に手をやるけど、熱はないみたいだ。悪い夢でも見ているんだろうか。時折身じろぎして、辛そうな表情をしている。

 起こしてやった方がいいんだろうか……?

 タオルで額の汗を拭ってやりながら、わたしは彼の名前を呼んだ。

「ドルク……ドルク!」

 何度目かの呼びかけで、震える彼の瞼が開いた。久々に開いたこげ茶色の瞳にホッとして声をかける。

「良かった、気が付いて。ひどくうなされていたけど、大丈夫か? 悪い夢でも……」
「……フレイア」

 わたしを視界に捉えたドルクが、跳ね起きると掻きいだくようにしてわたしを抱き寄せた。

「フレイア……フレイア……!」

 余裕のない声でわたしの名前を呼びながら、きつく、きつくしがみついてくる。まるで、幼い子供みたいに。

 わたしを強く抱きしめる彼の身体はかすかに震えていた。

 そんなドルクの様子に驚きながら、わたしは彼の背に自分の腕を回して、そっと抱き返した。小さな子を落ち着かせるように何度か優しくその背を叩いて、耳元で囁く。

「わたしはここにいるよ。大丈夫……」

 ドルクは震える息を吐き出しながらわたしを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。

 虚影ホロウに見せられた幻覚でも夢に見たんだろうか? 不謹慎かもしれないけれど、そんな彼の様子を愛しく感じて、胸に甘い想いが広がった。

 あの疑似体験は、幻覚だと理解していても本当に胸が潰れるかと思うほどきつかった。幻覚でも、もちろん現実でも、もう二度と、体験したくない。

 やがて、うつつと夢の狭間にいたらしいドルクは再び眠りの世界に堕ちていった。わたしを抱きしめたまま意識を手放した彼の身体を横たえて毛布を掛け直してやりながら、きつく寄せられていた眉根の緩んだその寝顔を目にして、知らず瞳を和らげる。そのまま穏やかになった彼の表情に吸い寄せられるようにして、額に、頬に、そっとキスを落とし―――それから、我に返った。

 わあっ! わ、わたし……。

 思わず熱くなる頬を両手で押さえる。

 ―――い、今……今、完全に無意識だった。何も考えず、ものすごく自然に、ドルクにキスしてしまっていた。

 うわぁ……わたし、わたし……もう、ダメじゃん。

 わたしはかぶりを振りながら、ぎゅっと目をつぶった。

 言い訳出来ない。

 完全に、ドルクに捕まっている。

 一人顔を覆って身悶えしながら、わたしはついに彼への想いを自覚した。

 もう、戻れない。

 きっと、深く深く、際限なく囚われていく―――。 
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