魔眼

藤原 秋

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新たな日常

04

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「まるで山猫サーバルキャットだな」

 猫型の魔物の名を挙げ、レイゼンは数人がかりで抱えあげられるようにしてベッドの上に投げ出されたわたしを揶揄した。

「拘束されて、あの薬を打たれた状態でここまで手こずらせるたぁ……気が強ぇなんていうレベルじゃねぇな、恐れ入ったよ、化け物め」

 身じろぎするわたしの両肩と両足を野盗の男達が仰向けに押さえつけて完全に身動き出来なくする。

 だいぶ粘って抵抗したが、ここまでか。荒い息をつきながらねめつけるわたしを見下ろす、浅い傷をこさえた男達の獣じみた息遣いが不快に耳を打つ。

「あれから七年くらい経つのか……? 当時は棒切れみてぇだった身体つきが、ずいぶんと育ったな。アリシャみてぇなか弱い女を大勢で囲むのも愉しいが、お前みてぇな折れない女を卑怯な手でねじ伏せて泣かせるのもたまらなくそそられるぜ」
「女を何だと思ってる……! お前のクソみたいな欲望の為に、アリシャがどれだけ傷付いたと思っているんだ……!」
「はっは、お前はどれだけ傷付くかな? オレを皮切りに全員で、足腰立たなくなるまでヤッてやるよ……覚悟しな」

 わたしの全身をねっとりとなめるように眺め、レイゼンが嗤う。腰の辺りに無骨な手が置かれると不快な感触にざわっと全身が総毛立った。

「ずいぶん若ぇ男とつるんでいるようだが、そいつとは愉しんでいるのか……?」

 いやらしくわたしの反応を見るようにしながら、汗ばんだレイゼンの掌が服の裾から忍んできた。拒絶反応で身体が震えそうになる。それを反骨精神で押さえつけ、わたしは皮肉気な笑みを刻んだ。

「ああ、愉しんでいる。あいつは、上手いよ。お前なんかじゃ、とてもわたしを満足させられない」

 実際、ドルクは上手そうだ。彼は―――どんな表情で、どんなふうに女を抱くんだろう。

 危機感からかけ離れたそんな思いが、ふと脳裏をかすめる。

 その時、アジト内に変化が起こった。

 遠くでいさかうような物音が立ち、野盗達の間に緊張が走る。

「何だ!?」
「見てこい!」

 慌ただしくなるその中で、わたしは待ちかねていた気配を感じ取り、心が震えるのを覚えた。

 ―――来てくれた。わたしのサインに、気付いてくれた!

「ちっ、これからって時に―――」

 舌打ち混じりに呟くレイゼンにわたしは心から嫌味を贈った。

「レイゼン―――昔も、今も―――お前は相変わらず、詰めが甘い」
「何だと―――」

 わたしの誹謗にレイゼンが鼻白んだその瞬間、わたしが捕えられていた部屋のドアが吹き飛ばされるようにして開け放たれた。今まさにドアを開けようとしていた野盗もろとも、大音響を上げて壁に激突する!

「なっ……」

 レイゼンが、野盗共が、息を飲んだ。

 部屋に乱入してきた賊は一人で、これといった防具も身に着けておらず、その整った容貌はまるで少年のようだった。だが、手にした魔剣は禍々しいオーラを放つ仄暗い輝きを帯びており、燃え立つような金色の瞳には見る者を畏怖させる魔的な力が宿っている。何より、異質なその存在の全身には滾るような怒りのオーラが満ち満ちていた。

「ひっ……!」
「ま、魔眼……!?」

 彼の姿をひと目見た途端、先程まで欲望に猛っていた男達の戦意が瞬時にして喪失する様子が伝わってきた。

 ―――ドルク。

 彼の姿に、途方もない安堵を覚える自分を感じる。

 魂食いソウルイーターの刀身からざわざわと黒い瘴気のようなものが立ち昇り、寒気を伴う圧倒的な闇の気配がドルクの周囲に満ち満ちる。爛々と輝く金色の双眸だけが妖しく魔的に浮かび上がって見える中、解き放たれた黒い瘴気の流れに囚われた野盗達は、糸が切れた操り人形のようにバタバタとその場に崩れ落ちていった。

 精気を吸い取る力を、こういうふうにも扱えるのか……この力がわたしにあったら、こんなところに連れ込まずに済んだな……。

 金色に輝くドルクの魔眼が、茫然とするレイゼンを捉えた。我に返ったレイゼンが動くより一拍早く、刹那の軌跡を描いたドルクの拳がレイゼンの顔面に炸裂した。

「がっ……!」

 首を真後ろに持って行かれながら、どうにか踏みとどまったレイゼンの顔面に、苛烈極まるドルクの連打が重い音を立てて打ち込まれる。レイゼンの頭が上下左右に弾かれるように飛び、ひしゃげた顔面から唾液と血飛沫が飛び散った。

「おっ、がっ、あああっ……!」

 鬼神のような様相のドルクは無言のままレイゼンを打ち据え続け、彼よりはるかに体格で上回るレイゼンを圧倒的な力の差で押し切った。

 普段レイゼンがふんぞり返っている豪奢な椅子の上に、奴を殴り倒すようにして尻をつかせ、半分意識が飛んでいるその股間に勢いよく魂食いソウルイーターを突き立てる。

「ぎゃああああっ!」

 レイゼンが目を剥き、絶叫をほとばしらせる。

「騒ぐな。薄皮一枚切れただけだ」

 ドルクの口から初めて、押し殺した怒気渦巻く声がもれた。燃え立つような金色の双眸に見据えられ、顔面蒼白になったレイゼンの身体が激しく震えているのが分かる。

「お前は終わりだ。このオレを本気で怒らせたんだ……このまま冥府の淵を覗いてくるか?」

 わずかに魂食いソウルイーターを傾け、ドルクが死の宣告を送る。傷口が少し広がったのだろう、顎が砕け、何本も歯のへし折れたレイゼンの口から声にならない悲鳴が上がった。

 地力が違いすぎる。交渉すら許されない圧倒的な力による一方的な制裁に、レイゼンは完全に膝を屈していた。

「二度とオレ達の、フレイアの前に姿を見せるな」

 滝のような汗を滴らせて、ガクガクとレイゼンが頷く。

「無様なくらい素直だな。命だけは助けてやるが―――代償として、男としての機能はもらっていくぞ」

 ゆっくりと唇の端を吊り上げてドルクが嗤った。冷然とした、魔性の笑みだった。

 恐怖に耐えかねたレイゼンが白目を剥き、泡を吹く。奴が失禁する寸前にドルクは魂食いソウルイーターを抜き去った。

「汚ぇモノを斬らせちまったな……」

 失神したレイゼンの衣服で魂食いソウルイーターの切っ先を拭いながら、ドルクがわたしに目を向けた。

「……。どうしてこの短時間に、こんな大掛かりなことに巻き込まれているんですか」

 いつもの口調に戻った彼に、ベッドの上に転がったままのわたしはばつが悪そうに答えた。

「……ごめん。昔の悪い知り合いに引っ掛かった……」
「あんな漠然としたサインだけ送られても困りますよ。魔眼を開眼して不測の事態が起こったことだけ知らされても……」

 短剣を用いてわたしを拘束具から解放しながらドルクが言う。

「よくここだと分かったね」
「ラナウイに着いてから時折見られている気配は感じていましたから。さり気なく確認しているうちに馬車を襲った野盗絡みらしいとは当たりをつけていて……オレを監視していた奴をボコってアジトを聞き出しました。あなたの古い知り合いが関わっているとは思いませんでしたが」
「そうだったんだ……抜け目ないな」
「……まさか気付いてなかったんですか? 見られていることに」

 呆れ口調で言われて、わたしは思わず視線を泳がせた。

 だって、ほとんど宿の中にいたし。生理中でいつもより注意力が散漫になっていたし。

 頭の中で言い訳を並べていると、そんなわたしを見ていたドルクはひとつ溜め息をついた。

「まったく、あなたは……オンとオフの差がありすぎますよ」

 うう……否定出来ないのが悔しい。

「……どれだけ、心配したと思っているんですか」

 ドルクの声に切ない感情が滲んだ。ハッとするのと、彼にきつく抱きしめられるのとが同時だった。

 力強い腕。防具を身に着けていないから、いつも以上に彼を感じた。引き締まった鋼のような肉体から伝わる、彼の体温。冬の朝の澄んだ空気にも似た、彼の香り。

 胸の辺りがぎゅっと引き絞られた。不意に目頭が熱くなって、目の前がぼやけてくる。何かの堰が決壊したみたいだった。

「……ごめん。ごめん、ドルク……」

 自分で思っている以上に、きっとすごく心配をかけた。

 抱きしめてくれる彼の身体に腕を回して抱きしめ返したかったけれど、レイゼンに打たれた薬のせいで身体の自由が利かない。小さく震えながら、涙をこらえることしか出来なかった。

 けれど、ドルクの腕の中で大きな安堵に満たされて、心身共に強張りが解けていく自身を感じる。

 ああ、そうか……わたしは……怖かったのか。この腕に包まれて……今、こんなにも、安心しているのか……。

「助けに来てくれて、ありがとう……」

 瞳を閉じて囁くようにそう伝えながら、わたしはしばしの間、ともすると泣き出しそうになる自分自身と戦わなければならなかった。







 スリの姉妹はドルクによって救出されていた。

「あなたが格下相手に不測の事態に陥るとしたら、まず常套的に考えられるのは人質だと思って。それっぽいのを先に解放しておきました」

 さすがはドルク、何て使える男なんだ。

「あの……わ、悪かったよ、その……ゴメンナサイ。あたし達、あんたをハメるような真似したのに、あんたは……あたし達を、見捨てないでいてくれて……本っ当にありがとう!」

 瞳に涙をいっぱいに溜めた姉がそう言ってわたしに頭を下げ、泣き腫らした面持ちの妹もかすれるような声でごめんなさい、ありがとう、と言ってくれた。妹の首筋からは刃物でつけられた傷が消えていて、わたしは思わず自分に肩を貸すドルクを見やった。

「……あんたが治したの?」
「そうですけど?」

 何でもないことのように平然とそう答える彼を前に、言葉に詰まる。

 ドルクは自分を媒介に魂食いソウルイーターの能力を用いて、第三者の傷をなめて癒すことが出来る。まだ年端もいかない少女の首筋に彼が口づけている様子を想像して、その背徳的な画に、まるで想像した自分が悪いことをしているような錯覚に陥った。

 あ……あれーっ!? 今まで考えてみたことなかったけど……怪我をしている相手が子供や男の人やお年寄りって場合もあるよね!? ドルクは老若男女問わず、あの方法で人を癒しているんだとすると……場合によってはものすごい絵面にならないか!?

 というか、そうなるとドルクって腹黒いけどものすごい博愛精神の持ち主ってことになる!? 性差もあるのかもだけど、わたしには絶対無理だ!

「正直な顔をしてますよね……あなたが今何を考えているか、手に取るように分かりますよ」
「えっ!?」
「言い当ててあげましょうか?」
「うわっ……わわ、待って!」

 ドルクの口を塞ごうとして、まだ薬の影響の残る手がへろへろとその近辺を彷徨う。その手を掴まれ、ぐいっと引き寄せられると、バランスを崩してドルクを押し倒すような格好になった。

 至近距離にある、金色の瞳。ドキリとする間もなく、下からドルクが口づけてきた。レイゼンに殴られた時に切れた頬の内側の口腔粘膜の傷をそろりと撫でるようにして『治療』され、全身から蒸気を噴き上げそうになった。

 いっ、いやあぁーっ、こっ、子供の前ーっ!!!

 姉妹には背を向ける形で倒れているのでその部分は彼女達から見えないだろうけど、何をしているのかはおおよそ見当がつくに違いない。

 恥ずかしくて、いたたまれなくて、でも心地良いような矛盾した情動に襲われる。

「―――こういうことでしょう?」

『治療』を終えたドルクに自分の影の下で涼し気に微笑まれて、わたしは頬を赤らめながら身体をわななかせた。

「こっ、こんなトコでっ……何考えてんだ! はっ、早く離せ!」
「もう離してます。あなたこそ、いつまでオレの上に乗っかってるんですか」

 うがー! どうして! どうしてこういう言い方をするんだ、こいつは! 

「身体の自由が利かないの、知ってるだろ! どかしてよ!」
「やれやれ。分かりましたよ」

 溜め息混じりにそう言うと、ドルクはわたしを肩に担ぎ上げるようにして起き上がった。

「わあっ! ちょ……下ろして!」
「文句が多いひとですね……」
「……あのー」

 わあわあ騒がしいわたし達の間に遠慮がちな姉妹の声が割って入った。

「イチャついているところ、悪いけど、これ―――」

 コホンと咳払いして、姉の方が壊劫インフェルノの収まったわたしの剣帯を渡してくれる。

「野盗達の略奪品置き場っぽいトコに置かれていたの。これ、あんたのだよね?」

 壊劫インフェルノ! 良かった!

「うん、わたしのだ。ありがとう」

 お礼を言いながら剣帯に付いているポーチの中を確認して、ピンクのもふもふがあることにホッとする。

 こっちも無事だ。良かった……!

 そんなわたしをドルクが優しい眼差しで見ていることに、色々なことでいっぱいいっぱいだったわたしは全く気が付いていなかった。

「……じゃああたし達は、これで―――」

 ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとする姉妹に、わたしは声をかけた。

「……あのさ!」

 立ち止まり、振り返った彼女達に、わたしは言葉を選びながら言った。

「あんた達の現状は、何となく察するよ……世の中はままならないことばかりだし、不平等だ。その中で生きていくっていうのは大変なことだと思う。でもね、だからと言って他人を傷付けることで糧を得ようとしちゃダメだ。それはきっといつか、自分達に跳ね返ってくる。あんた達自身、それは今回のことでよく分かったと思うけど―――これをきっかけにして、新しい生き方を考えてほしい。あんた達は一人じゃないんだ、絶対的な信頼を置ける姉妹きょうだいがいるんだから」

 姉妹は互いの顔を見合わせ、きゅっと唇を結んで、わたし達にもう一度頭を下げると去っていった。

「……その言葉の意味をよく考えて、新しい一歩を踏み出してくれるといいですね」
「うん……」

 呟くドルクに頷き返しながら、わたしは姉妹の姿が見えなくなるまでその後ろ姿を見送っていた。 
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