魔眼

藤原 秋

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新たな日常

01

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 乗合馬車を包囲した野盗団の一角から、悲鳴が上がった。

 それを皮切りに猛る怒号と派手な物音が響き渡り、馬車を取り巻く野盗団の陣形は総崩れの様相をなしていく。

「てめぇっ、それ以上近付くんじゃねぇ! こいつがどうなってもいいのか!」

 乗客の女性を盾に取ってお決まりの卑怯な台詞セリフを叩きつけてくる野盗の男をにらみつけて、わたしは怒りの声を返した。

「どうなってもいいわけ、ないだろうが!」

 言いながら野盗に向かって猛ダッシュをかけると、あわを食った相手が女性の喉元に刃を走らせようとしたその寸前、狙い澄ました蹴りを放ち、凶器を蹴り上げた足をそのまま相手の顔面に叩きこむ!

「ぶはぁっ!」

 唾液と前歯を飛び散らせて吹っ飛ぶ野盗Aを尻目に、斬りかかってきた野盗BとCに肘鉄と正拳突き喰らわせた。

「おげっ!」
「おぶっ……こ、このアマぁ~ッ!」

 そこそこ頑丈だな。一撃じゃ倒れてくれないか。

 目を吊り上げてわたしに反撃の刃を向けてくる野盗共を迎え撃とうとしたその時、横合いから漆黒の影が割り入った。その影から流れるように繰り出された拳が男達の顔面にクリーンヒットする。

 白目を剥いて宙を舞い、大地にもんどり打つ男達。

「ドルク」

 黒衣を纏った、共に旅をする相手を見やってその名を呼ぶと、涼しげな声が返ってきた。

「これでだいたい済みましたね」

 わたし達の様子に完全に戦意を喪失した野盗達は、気絶した仲間を置いて散り散りに逃げていった。



 




 仲間に置いていかれた野盗の連中をまとめて縛り上げたわたし達は、御者のおじさんに拝まれる勢いでお礼を言われていた。

「本当に本当に助かりました、何とお礼を言っていいのか……」
「ううん、わたし達も乗っていたんだから。困った時はお互い様だよ。人も馬車も無事で良かった」

 わたしの名前はフレイア。

 傭兵ギルドに所属するランクSの剣士で、黒の防護スーツの上から竜の鱗を加工して作った青銀色の鎧を身に着けている。腰には『壊劫インフェルノ』という名の魔剣を帯び、生成り色の外套を羽織った格好だ。

 緩いクセのある赤い髪は邪魔にならないようにバッサリショート。前髪は眉の上でざっくりカットしてある。茶色の瞳はどちらかというときりっとしている感じなのかな。身長が高めなこともあって、性格がきつそうに見られがちなのが悩みと言えば悩みだ。

「魔眼が二人も乗った馬車を襲うなんて、救いようがない間抜けですね」

 人畜無害な面差しとは反対に、毒を吐いている連れの名前はランドルク。訳あって、わたしは彼を愛称のドルクで呼んでいる。

 彼が言う『魔眼』とはこの世にごく稀に存在する意思を持つ武具―――『魔具』に所有者として認定された者を指す名称なんだけど、実はわたしもドルクもこの魔眼に当たるのだ。

 この男は口さえ閉じていれば整った純真な容貌で、見た目は15~16歳くらいの少年に見える。実年齢はわたしのひとつ下の21歳なんだけど、とてもそうは見えない。本人がそれを気にしているのかは定かでないが、こげ茶色の前髪を整髪料で立ち上げている辺り、若干見た目年齢を上げようとしているのかな……とも思ったりする。髪と同色の大きな瞳は澄んだ幼気いたいけな光を帯びているが、この瞳は彼の気分によって大きくその表情を変え、それは大抵の場合、心臓に良くない。

 身長は女性にしては長身のわたしよりやや低く、酒豪で皮肉屋で腹黒い。腹立たしいことに、わたしはこいつに口で勝てたためしがないんだ。

 わたしと同じく傭兵ギルドに所属するランクSの剣士で、登録されているコードネームは本名のランドルクではなくランヴォルグ。彼がギルドの誤登録を好都合と考えて放ったらかしている為、何も知らなかったわたしはそのおかげで散々な目に遭った。

魂食いソウルイーター』という魔剣の所有者で、黒の防護スーツの上から黒い金属製の鎧を身に着け、これまた黒い外套を羽織っている。

 半月ほど前から行動を共にするようになったわたし達は、乗合馬車でガランディア地方を南下しその先のフロール地方へと向かっている最中だった。そこを野盗に襲撃されたのだ。

「うう、くそぅ……」

 縛り上げられた野盗の一人がうめいた。こいつは確かわたしの蹴りを喰らったヤツだ。よくよく見てみると捕えられた野盗のうち意識があるのはわたしにやられた連中ばかりで、ドルクに殴り倒された男達はまだ白目を剥いたまま、ピクリとも動かない。

 威力が違うな……ドルクのは一撃が重いんだ。男と女の筋力の違いなんだろうけど、ちょっと悔しい。

 自分の腕の筋肉を触って確かめながら、わたしは傍らに立つドルクを見やった。

 筋力か……いったいどれほど違うんだろう?

 気になって、おもむろに手を伸ばし彼の腕に触れる。突然のわたしの行動に何事か、といった様子でドルクが軽く目を瞠った。

 触れてみると筋肉の質が全然違うのが分かった。硬い。鋼みたいで、重量感がある。わたしのはどんなに鍛えてもこんなふうにはならない。骨格からしてそうだ、全く違う。すらりとした少年のような外見に反して、がっしりとして骨太で厚みがある。

 いいなぁ、これが敵を一撃で倒す腕か……。

 彼の手首を持ち上げてその拳をしげしげと眺めていると、低い声で囁かれた。

「そんなに触りたいんなら、ベッドの上でいくらでも触らせてあげますよ……何なら今晩、どうですか?」

 ドルクは表情の変化球がすごい。普段は子犬を連想させるような無垢で可愛らしい造作の顔が、こういう時はガラリと雰囲気を変えて魔狼のような妖しさを帯びる。そしてわたしはこれに毎回動揺してしまうんだ。

「遠慮しとく」

 こいつのこの手の軽口は完全な冗談じゃないから困る。彼は何故か出会いから失態しか晒していないわたしに好意を抱いてくれていて、事あるごとにこういった言葉をかけてくるんだ。

 わたしは―――わたしはまだ、彼に対する自分の感情をいまいち掴みきれていない。それを確かめたい気持ちもあって、わたしは今、彼と行動を共にしているんだ。







 ドルクと行動を共にすることになって半月ほど―――時々言い合いをしながらも、何だかんだで今のところは順調にいっていると思う。

 特定の相手と組むのが初めてだったから最初はどんなものかと思っていたけど、お互いに思ったことは口に出す性格だし、元々仕事のスタンスや価値観は似ていたから、一緒にいてストレスは溜まらなかった。お酒が好きだという共通点や、互いに会ったら話したいと思っていた積年に積もる話もあったりして、ドルクと過ごす新しい日常は、戸惑うこともあるけれどわたし的に新鮮で小気味よかった。

 フロール地方の入口の町ラナウイに着いたのは、野盗団の襲撃のせいで予定より大幅に遅れ、深夜に近い時間帯だった。

 ……ヤバいな。ちょっと、お腹痛い。

 少し前から自分の体調に異変を感じていたわたしは、下腹部になじみのある鈍痛を覚え小さなあせりを感じていた。

 この痛みは……あれだ。月のモノだ。そろそろ来る頃だとは思っていたから、一応備えはしておいたんだけど……あの野盗のせいで、予定より馬車に乗っている時間が大幅に伸びてしまった。下着が汚れていないといいんだけど……。

 それを思うと落ち着かない。

 ああ、それよりもドルクだ。どうしよう?

 わたしは毎月生理の時、一週間ほどまとめて仕事を休むことにしている。生理痛はそんなにひどい方じゃないと思うんだけどそれなりに痛みはあるし、その状態で重い装備を着込むのが辛い。何より職業柄ちょくちょくトイレに行けないのが致命的だ。色々な意味で仕事にならないのだ。

 今までは自分だけのことだったから、それで特に問題はなかったんだけど……。

 一緒に行動している以上、このこと、ドルクに話さないわけにはいかないよな……? 男の人と一緒だと、こういう時困るなぁ。どうしたらいいんだろう。そこまで考えていなかった……。

 馬車から下りた最寄りの宿は運良く空いていてすぐにチェックイン出来たので、荷物を置いてさっそくトイレに駆け込むと、やはり生理になっていた。幸い下着は無事だったけど、明日からのことを思って頭を悩ませる。

 どうしよう。どうやって切り出そう……。かなり恥ずかしいんだけど……まいったなぁ。

 相当悩ましかったけど、でも、言うしかない。少女こどもじゃないんだから。

 覚悟を決めたわたしは翌日の朝食の席でドルクに切り出した。

「あのさ……話があるんだ。朝食終わったら、ちょっといいかな……?」
「? 何ですか?」
「ここじゃちょっと……後でわたしの部屋で話したいんだけど」
「……分かりました」

 ドルクは不審そうな顔をしたけれど特にこの場で追及はせず、わたしの要請に応えてくれた。

「……色っぽい話じゃありませんよね?」

 朝食後、共にわたしの部屋へとやってきた彼は確認のようにそう尋ねた。

「当たり前だろ」

 少し頬を染めながらつっけんどんに返す。ドルクを部屋に入れるのはあの夜以来だ。思い出すと顔が火照るから、考えないように努める。

「……あのさ、わたし、今日から一週間くらい、休養させてもらいたいんだ。悪いんだけど、長時間の移動も控えさせてもらいたい」

 下目がちに口を開くと、ドルクはやや驚いた表情を見せた。

「その……体調的に、毎月、こういうことになると思う。その間、あんたは自由に行動してもらっていいから。わたしは宿にいるからさ、何かあったら言ってもらえればいいし」
「……もしかして女性の理由ですか?」

 聡い彼はすぐに気が付いたらしい。気まずそうに頷くわたしに、言葉を選びながら尋ねてくる。

「オレはその辺りよく分からないんですが……痛むんですか?」
「まあ若干……そんなにひどくはないんだけど」
「座ってて下さい」

 言うなりわたしを横抱きにして、ベッドへ連れて行こうとする。

「うわっ! ちょっと待て!」

 慌てるわたしに彼は微苦笑を返した。

「何もしませんよ……もうあんな、無理やりなことはしません」

 そう言って優しくベッドの端に座らせてくれる。

 いや、あんた、お姫様抱っこ! そんなさらっと! 

 女の子扱いされることに慣れていないわたしはそれだけで赤面してしまう。早鐘を打つ心臓をごまかすように口を開いた。

「日常生活には支障を来たさないレベルなんだよ、ただ、仕事とか長時間の移動が無理なだけで……」
「そうなんですか? それでなければ外出は出来るんですか?」
「まあ……ハードなものじゃなければ。初めの二~三日はちょっと辛いから、歩くようならその後の方が嬉しいけど」
「じゃあ、三日後くらいに体調が良ければオレと一緒に町を見て回りませんか? せっかくですからラナウイを散策しましょう」
「え?」

 思いも寄らぬドルクからの提案にわたしは瞳を瞬かせた。

「毎月一週間はオレ達の休養日にしましょうか。こうでもしないとオレ、休み取りませんから。身体を休めるのにちょうどいいです。休みの間は互いに好きなことをして過ごすことにして、今回は最初のその記念ということで。デートしませんか? 無理のない範囲で」

 デッ……。

 久々すぎるその単語が面映おもはゆい。

 わたしも町を散策するつもりではいたから、ぎこちなく承諾の意を返した。

「一緒に町を見て回るくらい……いいけど……」
「決まりですね。楽しみにしています」

 ドルクはそう言ってにこやかに笑った。

 どう切り出そうか、昨夜あんなに頭を痛めていた生理の問題があっさりと片付いた。

 ドルクは気が利くし、何ていうか、やり方がスマートだ。

「あんな簡単にお姫様抱っことか……どれだけ女慣れしてるんだ」

 一人になった部屋の中で、ともするとふわふわしそうになる気持ちを押し隠すようにして、わたしはそう独りごちた。 
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