魔眼

藤原 秋

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魔眼 another side

プロローグ

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 今も脳裏に焼き付いて離れない、紅い月夜の記憶―――。







 その年は長雨が続き、日照不足で、農作物の作況指数は不良著しかった。

 影響を受けたのは人ばかりではない。

 例年に比べて山の恵みが極端に乏しく、それを糧にしていた生物達、更にはそれを糧にしていた肉食の生物達までもが餌を求めて人里に下りてくるようになったのだ。

 そして、あちらこちらで似たような悲劇が起こる事態となった―――。







 いつもより紅く色づいた月の上る夜、猿人の襲撃を受けたエランダの町は悲鳴と血の匂いにまみれていた。

 オレは数人の仲間と共に剣を携えて夜の町を疾走しながら、次々と襲いかかってくる猿人達を斬り伏せて回っていた―――が、斬っても斬っても町中のいたるところに奴らは湧いてきて、キリがない。

「くそっ、どんだけいやがるんだよ!」

 肩で息をつきながらジェイクが言った。

「オレらみたいな町の自警団じゃこんなの、無理だ! どうにも出来ねぇよ! ギルドの傭兵はまだか!?」
「こういった事態を想定してずいぶん前から派遣要請は出してある、だが、あちこちで似たような状況が勃発していて、あちらさんも人手不足らしい。間に合わないかもしれん」

 そう応えた年長のレイフォードの横顔にも疲労が滲む。だが彼は年長者らしく、仲間を鼓舞することを忘れなかった。

「今は我々が頑張るしかない、とにかく一匹でも猿人を減らして、町の者を助けるんだ!」
「でもよぉ……!」
「諦めるな、一番年少のランドルクも弱音を吐いていないんだぞ!」

 レイフォードに諭されてジェイクがオレの顔を見た。オレは13歳、ジェイクは17歳。そう言われては頑張るしかないのが男という生き物だ。

 オレは呼吸を整えながら頷き、それを見たジェイクは諦めにも近い表情になって、やぶれかぶれの声を張り上げた。

「ちぇっ、分かったよぉ、頑張りゃいいんだろう!」

 猿人は、その名の通り猿と人の間に位置するような外見の魔物だ。体躯は人間よりやや大きく、緩やかに逆巻いた赤茶の体毛に覆われており、非常に高い知能を持っている。仲間と連携を取って行動し、器用な手先で簡単な道具であればやすやすと使いこなしてみせる。雑食性で普段は木の実や森の小動物を食べて過ごすが、飢えればこうして人や家畜を襲い、時には保存食を確保する為、まとめて獲物を狩ることもあった。

 その時、また近くで悲鳴が上がった。

 急ぎそちらへと向かったオレ達の前に、人を咥えた猿人が現れる。

「ミレイおばさん!」

 ジェイクが顔色を変えて叫んだ。オレも知っている、彼の家の近くに住む明るい世話好きのおばさんだ。

 猿人に咥えられたミレイおばさんはくったりとして動かず、その身体は血に染まっていて、重篤な状態であることが見て取れた。

「こっの野郎ぉぉぉ!」

 ジェイクが怒号を上げて猿人に斬りかかった。彼に続いてオレ達も走る。猿人の咆哮が辺りにこだました。それを聞きつけて、次々と別の猿人達がやってくる。今までにない数の猿人に、オレ達は囲まれていた。

「みんな踏ん張れ! 自警団の他の連中も同じようにどこかで頑張っているんだ!」

 満身創痍のレイフォードが周りを見渡しながら声を張り上げる。オレ達は死力を尽くして戦った。だが、猿人達の猛攻は一人、また一人と見知った仲間を血の海へと沈めていく。

 手にした剣は猿人の血と脂にまみれてぎとつき、とっくに殺傷能力が半減していた。もうどのくらい剣を振り回しているのか分からない。腕も足も、身体中が鉛のように重い。酸欠で息が切れる。心臓が爆発しそうだ。

 何度目になるのか分からない攻撃を目の前の猿人に放った時、横合いから突進してきた別の個体に体当たりされ跳ね飛ばされた。衝撃で剣を手放し、石畳の上でもんどりうった後、滑るようにしてその上を転がる。擦り切れた頬の下にぬめる感触を感じ、見ると、それは血溜まりだった。

 ぐちゃぐちゃ、ごり、ぶち、ぐちゃ。

 頭上から響く、何かを咀嚼するようなおぞましい音。顔を上げると、変わり果てた姿になったミレイおばさんがいくつかに裂かれて、あばら骨の覗いた腹部から臓物を滴らせていた。

 胃からせり上がってきたものを耐え切れず、オレは嘔吐した。吐いて咳込み、生理的な涙が両頬を濡らしていく。この状況は、いったい何だ。

 もうレイフォードの声は聞こえない。ジェイクの姿も見当たらない。いつの間にか、辺りは一方的な殺戮の気配に満ちていた。

 これは、果たして現実なのか。

 近くに落ちていた誰かの剣を本能的に拾い上げながら、震える足で立ち上がる。

 いつもより紅く色づいて見える大きな月が、絶望的な光景を眼前に映し出した。

 地獄の中で光る猿人達の不気味な夜目。むせかえるような血の臭い。横たわっているのは全て、見知った顔だ。

 これが、現実か。圧倒的に、力が足りない。これが、オレの現実なのか。

 こんな小さな町の中で少しばかり剣技に秀でているからといって、それじゃ、何にもならない。何の役にも立たないんだ。

 目の前の血生臭い現実を突き付けられ、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。

 これじゃ、何も守れはしない。自分の命ひとつすら―――。

 痛いほどそれを思い知らされ、そんなことにすら今まで気が付いていなかった、情けない自分に対する苛立ちと怒りが込み上げてくる。折れるほど奥歯を噛みしめながら、オレは不滅の光を瞳に宿し、手にした剣を構えた。

 このままじゃ終われない。ここで諦めてたまるか。生き抜いてやる。絶対に、生き抜いてみせる!

 必死で心を奮い立たせるオレの決意を嘲笑うかのように、牙を剥いた猿人達が襲いかかってくる。

「う……おおおぉぉーっ!」

 はらの底から声を振り絞り、駆け出す! 圧倒的な絶望に彩られた夜の町を突破するわずかな光明を目指して、全身全霊を込めた剣を振りかぶったその瞬間、紅い閃光がオレの脇を駆け抜けた。

 目の前に立ち塞がっていた猿人達が刹那の衝撃を受け、ズタズタに斬り裂かれながら吹き飛ぶ!

「―――!?」

 突然の出来事に、目を剥く。何が起こったのか分からなかった。

 その場にいたく不釣り合いな、凛としたアルトの声が響き渡ったのは次の瞬間のことだった。

「君、小さいのに良く頑張ったね」

 紅い月を背に、猿人達の屍の上に立つようにして、一人の少女がこちらを見つめていた。

 肩につくかどうかという長さで緩やかな風に揺れる、少しくせのある柔らかそうな赤い髪に、夜の闇に燃え立つように煌めく魔的な紅蓮の瞳。手に携えた剣は暗く紅い輝きを帯び、ひと目で異質の存在だと分かる。

 噂で聞いたことはあった。この世に稀に存在する魔具まぐと呼ばれる希少な、意志を持つ武具に選ばれた、稀有な存在―――これが、魔眼まがんか。

 初めてその存在を目の当たりにし、息を飲むオレの前で、魔眼の少女は「小さい子」を安心させる為か、微かに微笑んだように見えた。

「遅くなってゴメン。でも、もう大丈夫。あとはわたしに任せて」

 オレは自分の身長が同年代と比べて低く、顔立ちが幼いことを知っているし、実年齢よりずいぶんと下に見られることには慣れている。だが、この時の彼女の発言には反発心を覚えた。

 何故なら、そういう彼女も子供だったからだ。おそらく年齢はオレとさほど変わらない。

 だが、オレと彼女の実力差は天と地ほどに開いていた。

 オレ達が死力を尽くしてもどうにもならなかった猿人の群れが、彼女が剣を振るう都度、嘘のように、瞬く間に一掃されていく―――。

 紅い月明りの下、暗く紅い輝きを帯びた魔剣を振るう魔眼の少女の姿は、気高く、凛々しく、この世のものとは思えないほど美しく―――現実離れした光景を、まざまざとオレの目に焼きつけた。

 白んでいく意識の中でそれを見やりながら、手足の先から力が抜けていくのを感じる。年齢が自分とさほど変わらない少女に助けられることは不本意ではあったが、同時に彼女の存在に大きな安心感を覚えてもいた。

 石畳に崩れ落ちる直前、誰かがオレの身体を支えてくれた。鼻先をかすめた清潔感のある香りは、おそらく魔眼の少女のものだったのだろう。

 その人物に横抱きにされ、どこかへ運ばれていくのを感じながら、それを確認出来ないまま、オレの意識は白濁の中に落ちていった―――。
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