影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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SS 影王と専属人の日常

影王は、専属人の耳をモフりたい

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「あああ、もう、貴族の名前ってなんでこう長ったらしくて、似たような雰囲気のものが多いのかしら……」

 国中の貴族を網羅した名鑑を眺めていたリーフィアはそうこぼすと、何かの糸が切れたようにデスクの上に顔を突っ伏した。

 現在は執務室での勉強タイム、影王直属となった彼女には避けて通れない、国政に関わる人間関係とそれにまつわる諸事情、それにより想起される問題等、あれやこれやを把握する為の最初の試練、貴族情報の叩き込みだ。

「とりあえずは要職者とさっき話した中心人物だけでいいからさ。簡単な経歴と相関図を頭に入れて、名前を聞いたらすぐにそれが思い浮かぶようにしといてね。その他の細かいのはおいおいで構わないから」
「それだけでもかなりの量があるんだけど……しかもこれを、本人を見た時に頭の中でマッチングしないといけないんでしょ?」
「書物には容姿まで載ってないからね」

 重い溜め息をついたリーフィアは、気怠そうにデスクから頭を起こしながらオレに尋ねた。

「あなたも始めにこうやって全部覚えたの?」
「まあね。オレの場合、一度見たらだいたい覚えちゃうから、さほど苦ではなかったけど」
「え!?」
「顔だけじゃなくて記憶力もいいんだよ、オレ」

 得意顔で胸を張ると、珍しくスル―されずに羨望の眼差しを向けられた。

「何そのチート能力、ずるい。うらやまし過ぎる……」
「暗記は苦手?」
「苦手、っていうほどじゃないけど、得意でもないわ……身体を動かしてる方が性に合ってる」
「リーフィは勝負事には強そうだから、緊張感があった方がはかどるのかな?」

 オレは完全に思いつきで、彼女にとある提案をした。

「例えばこういうのはどう? 毎日仕事終わりにオレがいくつか問題を出して、それに答えられたらリーフィの勝ち。答えられなかった場合はオレに耳をモフられるっていうペナルティを設けるっていうのは」
「……それ、わたしのメリットがあまり感じられないんだけど」
「じゃあ正解するごとにご褒美でハグをつけようか? オレの髪をモフるとかにしてもいいけど」
「どっちもいらない」
「即答だね」

 予想通りの回答に苦笑していると、意外にもリーフィアは考え込む顔になって、少し間を置いてからオレにこう答えた。

「確かに自分を追い込む、っていうところは大事かもしれないわね。いいわ。その勝負、受けて立つことにする」
「えっ!? ホント!?」

 自分で提案しておきながら、まさかの承諾を得て驚くオレを見やり、リーフィアはごく真面目な顔をして頷いた。

「でも、ハグはいらないから」

 そこだけは頑なに固辞したいらしい。

 思いも寄らぬ彼女の姿勢に、オレは思わず心の中で拳を握りしめた。

 ―――これは……合法的に獣耳をモフれるチャンスだ!

 言ってみるもんだな!? 期せずしてこんなチャンスが訪れるとは―――真面目なには、こういう攻略の仕方もあるのか……!

「負けないわよ」

 オレをキッとにらみつけて、再び貴族名鑑に向き合うリーフィアの背後には、燃え盛る負けず嫌いの炎が見えるようだ。

 勉強のはずなのに何だか体育会系のノリになっているのが妙な感じだが、まあいい、自分グッジョブだ。

 ふわふわもふもふしているものには、大いなる癒し効果がある。以前一度だけ触れることを許された、柔らかで温かな彼女の獣耳の触り心地は、最高だった。

 あまりの手触りの良さについしつこく触り過ぎて激怒させてしまったので、しばらく触る機会は得られないだろうと思っていただけに、これは嬉しい展開だ。

 こうしてオレとリーフィアの「勝負」が始まったのだが、幕を開けてみると彼女は中々に勝負強かった。

 彼女が覚えた範囲から毎回オレが出題するのだが、基本はもちろん、重要な箇所をきちんと押さえて覚えていて、普通に問題を出したのでは全部正解されてしまう。

 少々応用的な問題も出してみたのだが、彼女はそれにも正答を重ね続けた。

 ―――これは……思った以上に手強いな!?

 一週間余り過ぎても獣耳を触るチャンスが巡って来ず、オレは少々あせりを覚え始めた。

 リーフィアがやる気を持って頑張っているのは、非常にいい。非常にいいことで喜ばしいことなのだが、あの萌黄色のふわふわの毛に覆われた、ビロードのような感触を再び味わえると期待してしまっていたオレのこの気持ちは、いったいどこへ持って行けばいいのか。

 獣耳をモフりたいオレはちょこちょこ意地の悪い問題を織り交ぜる姑息な手段にも出たのだが、自分を追い込んで頑張る彼女はことごとくそれを突破してみせ、一ヶ月ほど続いた「勝負」は、終わってみれば彼女の完全勝利という結果になった。

「有言実行、だね。おめでとう」
「もうちょっと言葉に伴った表情で言ってもらえると嬉しいんだけど」
「あー、うん、そうだよね~。リーフィがスゴく頑張ったのは分かってるし、オレとしても誇らしいんだけど、でも正直、せめて一回くらいはモフりたかったから、無理」
「清々しいくらい素直ね……」

 デスクの上に突っ伏すオレを溜め息混じりに見下ろしたリーフィアは、短い沈黙の後、初めて聞くどこか悪戯っぽい声でこう言った。

「結果は結果だもの、わたしの勝ちなんだから諦めなさい。そうだわ、せっかくだしご褒美をもらっておこうかな」

 空気が動く気配がして、おもむろに細い指がオレの髪に差し入れられる。緩くかき混ぜるように髪をモフられて、彼女の意外な行動に顔を上げると、目を合わせたリーフィアが破顔した。

「ふふ。何だか大きな犬みたい」

 オレの前で花開いた彼女の二度目の笑顔は、年相応の女の子が見せる屈託のないそれだった。

 不覚にも一瞬目を奪われてしまった。そんな自分を、頭の片隅で意識する。

「どう? モフられる側を体験した感想は」

 オレを戒める意味合いもあってか、一転小悪魔的な眼差しになりそう問う彼女の手首を掴んだオレは、自身の髪を弄ぶその手を自らの頬まで滑り落とすと、わざと掌に押しつけるようにして、上目遣いに彼女を見た。

「リーフィにされるなら、悪くないな」
「……!」

 三角耳をピンと立てて、彼女は分かりやすく動揺し、赤くなった。

 純情そうなその反応に、経験値の差は如何いかんともしがたいものだな、と心の中でほくそ笑む。

「……どう? モフる側を体験した感想は」

 琥珀色の双眸を見つめながら、すり、と掌に頬を寄せて尋ね返すと、彼女はどうにか平静を装おうと努力しながら口を開いた。

「……っ、せ、整髪料がついていない方が触りやすいわ」

 もう少し意地悪してやりたい気分だったのに、オレはそこで吹き出してしまった。

「くっ……はははっ、そうだよなぁ」

 オレに掴まれていた腕を奪還して真っ赤になっているリーフィアを見やり、自分と違ってまだ純粋そうな彼女にこう忠告をする。

「大きい犬じゃなくて狼だったりすることもあるから、むやみに男に手を触れちゃダメだぞ?」
「そ……んなこと、言われなくたって分かってる。心配無用よ、自分でちゃんと対処できるから」

 きまり悪げにそう言い置いて、彼女は逃げるように長い亜麻色の髪を翻した。

 その背を見送りながら、オレは先程の細い手首の感触を思い出して、衝動的な意地悪に及んでしまった自分の行いを反省した。

 らしくもないことをした。

 一生懸命頑張った真面目なをあんなふうにからかうなんて、どうかしている―――。



<完>
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