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影王の専属人は、森のひと
もうひとつのエピローグ
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ごく一部の者しかその存在を知らない、影王の執務室に珍しい来訪者があったのは、深夜を回った時間帯だった。
「……シルフィール、こんな時間にそんな格好でここへ来ていることがクリストハルトにバレたら、オレ、殺されるんだけど」
デスクから視線を投げかけたその先で、カツンと靴音が止まる。
何の因果か、オレと同じ容貌を持つこの国の王は、目も当てられないほどのシスコンだ。その兄に負けず劣らずのブラコンである王妹は、絹地のナイトドレスの上にガウンを羽織っただけという姿に苦言を呈したオレを、同じ色彩を持つ瞳で憎々しげににらみつけた。
「仕方がないでしょう、こんな時間にでもならないと貴方とは会えないんだから。私だって好き好んでこんな時間にここへ来ているわけじゃないのよ。どうしても貴方に直接言っておきたいことがあったから、仕方なく来たまでのこと」
オレに向けられるシルフィールの表情は非友好的で、その物言いは辛辣だ。
日頃の彼女しか知らない人間がこれを見たら、さぞや驚くことだろうな。
城内の人間が知っているシルフィールは物心がついた頃より彼女が演じ続けている表の顔で、とある理由により幼少の頃にそう振る舞うことを決めた彼女は、それからずっと、計算ずくの天然でふんわりとしたキャラクターを演じ続けているのだ。
彼女の本性を知っている者は実のところ、影武者であるオレの存在を知っている者よりも少ない。
そんな彼女に大好きな兄王を奪った人物として、オレは忌み嫌われている。クリストハルトが自分と過ごす時間よりもオレといる時間の方が長いというのがその理由だが、それは職務上仕方のないことで、オレからすれば理不尽極まりない言い分だ。
「大嫌いなオレに会ってまで話しておきたいことって―――リーフィアのこと?」
「そうよ。あの娘はね、本当に本当にいい娘なんだから。私、ずっとずっと傍に置いておきたかったんだから。お兄様の頼みでなければ、絶対に貴方なんかにあの娘を譲ったりしなかったんだから!」
「クリストハルトから聞いているよ、リーフィアをオレに渡したくないって、あんたがスゴく渋っていたって」
「そうよ。スゴくスゴく、嫌だったんだから。純粋で真面目なあの娘に、あんな騙すような真似をして、スゴく心が痛んだんだから!」
リーフィアは通称「森のひと」と呼ばれる狩猟民族の亜人クォルフで、縁あってシルフィールがこの城に連れてきた真面目で勤勉な弓の達人だ。
感情があまり表に出ない為、当初は淡々とした人物なのかと思っていたが、シルフィールの前では柔らかく表情が変化するのを知って、王城という環境が彼女にそうさせているだけなのだと気が付いた。今はまだ王城は彼女にとっては狩場と同じで、気の抜けない場所なのだ。意識的に感情を抑制しなければならない状況に置かれている彼女は気の毒ではあるが、その分、耳の方に素直な感情が出るところは可愛いと思った。
リーフィアに紛い物であることを見抜かれたあの瞬間、あの衝撃は忘れられない。培った処世術で動揺を押し隠し、素知らぬふりで影を演じ続けながら、あの時オレは驚くと同時にある種の高揚感を覚えていた。
確かに「オレ」を見据えている、澄んだ琥珀の瞳。
まさか。いや、間違いない。
それが確かなことなのだと裏付ける為にシルフィールを使った悪戯を仕掛けると、その都度彼女は分かりやすい反応を示し、間違いなく「オレ」を認識しているのだと確信できた。シルフィールから密かに手痛い報復を受けることにはなったが、自分自身を認識してくれる存在の出現に、どうしようもなく心躍るのを意識せずにはいられなかった。
だが、まだ、彼女がどういう種類の人物であるのかは分からない。
オレはクリストハルトの執務室にリーフィアを呼び出し、そこでのひと悶着を経て彼女の人となりに触れ、得も言われぬ好感を持った。
リーフィアは聡明で、身体的能力に優れており、即戦力として傍らに置ける存在だ。
何より「オレ」という存在を認知している。
クリストハルトの影として活動すること数年、日を追うごとに自分という存在が希薄になり、その意義を見失いかけていたオレにとって、目の前に現れた彼女の存在は眩しかった。
オレはクリストハルトに影武者であることをリーフィアに見破られた旨を報告し、彼女を自分付きにしてほしいと願い出たのだが、それを聞いたクリストハルトは難しい顔をして、それには理由が必要だと言った。何の功もない亜人の一従者を理由なく取り立てるわけにはいかない、と。
それは道理で、リーフィアをオレの側付きにする為には、彼女に何らかの手柄を立ててもらう必要があった。
偶然だが、時同じくしてかつてのオレ自身である「ノヴァ」を騙った貴族の屋敷を狙う窃盗事件が相次いでおり、クリストハルトは早い段階から可能性のひとつとしてオーウェン公爵の関与を疑っていた。
そして、一計を講じる。
様々な方策のひとつとして、渋るシルフィールを説得し、彼女の協力を得て、王妹という大きな寄せ餌を使った囮作戦を行うことにしたのだ。
それがリーフィアを供にした「街までの使い」だ。
何が食いついてくるかは分からない。空振りに終わるかもしれない。
だが、王座を狙いこのタイミングで事を仕掛けている輩ならば、王城のささやかな動きにも気を配っているはずだ。きっと何らかの接触を図ってくることだろう。
「死ぬ気で守れよ。シルフィールは私の全て、この国の未来だ」
心臓をひと突きにされそうなクリストハルトのあの眼差しは、今思い出しても冷や汗が出るほど恐ろしいものだった。
そしてその結果、カインがシルフィールに食いつき、リーフィアは期待以上の活躍で応えた。残念ながらオーウェン公爵にたどり着くことは出来なかったが、上々の成果だったと言えるだろう。
「あんたには迷惑かけたな、悪かった。でも……ありがとうな、シルフィール。何だかんだで協力してくれて。おかげでノヴァの名誉も守れたし、リーフィアを専属人として迎えることが出来るようになった」
「公人として、私情より国の有益を優先させたまでよ。今回の黒幕はオーウェン公爵だったと私も思っているし、結果として現国王派の弱体化を阻止出来て、起きるかもしれなかったいらぬ争いも未然に防げたわ。それに、腹立たしいけれど貴方の存在は、お兄様にとって必要だもの。精神を病まれても困るし、リーフィアなら貴方のお目付け役として立派にその役目を果たすでしょう」
腰に両手を当てがい、つんけんと応じていたシルフィールだったが、ここへ来てその口調が急に弱々しくなった。
「今回の立役者は、リーフィアよ。あの娘がたくさん頑張ってくれたおかげだわ。
だから私、約束通りたくさんたくさん褒めたの。いっぱいいっぱいリーフィアを褒めて、ぎゅっと抱き締めてから貴方の元へ送り出したわ」
薄紅色の唇から、彼女の本音がこぼれ落ちる。
「貴方、ずるいのよ。私の大好きな人を二人も独り占めにして」
「いや、クリストハルトに関しては不可抗力でしょ」
苦笑するオレに、シルフィールは揺れる大きな空色の瞳をきっと向けると、こう言い結んだ。
「あんなに素敵な娘を大事に扱わなかったら、私が許さないから」
「……肝に、銘じておくよ」
「聞いたわよ。ゆめゆめ忘れないようにしなさい」
オレの言質を取ったシルフィールは、そう告げると勢いよく踵を返し靴音高く去っていった。
それを見送ったオレは、ひとつ息を吐き出してソファーに座り、背もたれに深く背を沈めた。
瞼を閉じて柔らかな萌黄色の獣耳の感触を思い出しながら、その持ち主である彼女もまた因果な運命に魅入られたものだな、などとどこか他人事のように考えた。
「影王から影王へ……か―――」
誰に言うともなくこぼれた呟きは、静かな夜の部屋に吸い込まれ消えていく。
この先、この国はどのように発展していくのか。そして、どのような未来を展開していくのか―――。
行先はまだ不透明で、分からない。
だが、より良い舵取りを目指し、未来の王にその先を託す為に戦っている、自分と同じ容貌を持つあの男の影として身命を賭することになったあの時から、自分のやるべきことは決まっている。
「やれるところまで……やるしかないよなぁ……。しんどいけど」
天井を仰ぎながら額に手を当てて嘆息し、オレはそう独りごちた。
先行きの見えない道に、光は差すだろうか。
明日は少し新しい朝がやってくる。今までとは違う、新しい時間が動き出す。
そして、身勝手な影王の因果に巻き込まれた専属人が、新しい風を纏い執務室のドアをノックするのだ―――。
<完>
「……シルフィール、こんな時間にそんな格好でここへ来ていることがクリストハルトにバレたら、オレ、殺されるんだけど」
デスクから視線を投げかけたその先で、カツンと靴音が止まる。
何の因果か、オレと同じ容貌を持つこの国の王は、目も当てられないほどのシスコンだ。その兄に負けず劣らずのブラコンである王妹は、絹地のナイトドレスの上にガウンを羽織っただけという姿に苦言を呈したオレを、同じ色彩を持つ瞳で憎々しげににらみつけた。
「仕方がないでしょう、こんな時間にでもならないと貴方とは会えないんだから。私だって好き好んでこんな時間にここへ来ているわけじゃないのよ。どうしても貴方に直接言っておきたいことがあったから、仕方なく来たまでのこと」
オレに向けられるシルフィールの表情は非友好的で、その物言いは辛辣だ。
日頃の彼女しか知らない人間がこれを見たら、さぞや驚くことだろうな。
城内の人間が知っているシルフィールは物心がついた頃より彼女が演じ続けている表の顔で、とある理由により幼少の頃にそう振る舞うことを決めた彼女は、それからずっと、計算ずくの天然でふんわりとしたキャラクターを演じ続けているのだ。
彼女の本性を知っている者は実のところ、影武者であるオレの存在を知っている者よりも少ない。
そんな彼女に大好きな兄王を奪った人物として、オレは忌み嫌われている。クリストハルトが自分と過ごす時間よりもオレといる時間の方が長いというのがその理由だが、それは職務上仕方のないことで、オレからすれば理不尽極まりない言い分だ。
「大嫌いなオレに会ってまで話しておきたいことって―――リーフィアのこと?」
「そうよ。あの娘はね、本当に本当にいい娘なんだから。私、ずっとずっと傍に置いておきたかったんだから。お兄様の頼みでなければ、絶対に貴方なんかにあの娘を譲ったりしなかったんだから!」
「クリストハルトから聞いているよ、リーフィアをオレに渡したくないって、あんたがスゴく渋っていたって」
「そうよ。スゴくスゴく、嫌だったんだから。純粋で真面目なあの娘に、あんな騙すような真似をして、スゴく心が痛んだんだから!」
リーフィアは通称「森のひと」と呼ばれる狩猟民族の亜人クォルフで、縁あってシルフィールがこの城に連れてきた真面目で勤勉な弓の達人だ。
感情があまり表に出ない為、当初は淡々とした人物なのかと思っていたが、シルフィールの前では柔らかく表情が変化するのを知って、王城という環境が彼女にそうさせているだけなのだと気が付いた。今はまだ王城は彼女にとっては狩場と同じで、気の抜けない場所なのだ。意識的に感情を抑制しなければならない状況に置かれている彼女は気の毒ではあるが、その分、耳の方に素直な感情が出るところは可愛いと思った。
リーフィアに紛い物であることを見抜かれたあの瞬間、あの衝撃は忘れられない。培った処世術で動揺を押し隠し、素知らぬふりで影を演じ続けながら、あの時オレは驚くと同時にある種の高揚感を覚えていた。
確かに「オレ」を見据えている、澄んだ琥珀の瞳。
まさか。いや、間違いない。
それが確かなことなのだと裏付ける為にシルフィールを使った悪戯を仕掛けると、その都度彼女は分かりやすい反応を示し、間違いなく「オレ」を認識しているのだと確信できた。シルフィールから密かに手痛い報復を受けることにはなったが、自分自身を認識してくれる存在の出現に、どうしようもなく心躍るのを意識せずにはいられなかった。
だが、まだ、彼女がどういう種類の人物であるのかは分からない。
オレはクリストハルトの執務室にリーフィアを呼び出し、そこでのひと悶着を経て彼女の人となりに触れ、得も言われぬ好感を持った。
リーフィアは聡明で、身体的能力に優れており、即戦力として傍らに置ける存在だ。
何より「オレ」という存在を認知している。
クリストハルトの影として活動すること数年、日を追うごとに自分という存在が希薄になり、その意義を見失いかけていたオレにとって、目の前に現れた彼女の存在は眩しかった。
オレはクリストハルトに影武者であることをリーフィアに見破られた旨を報告し、彼女を自分付きにしてほしいと願い出たのだが、それを聞いたクリストハルトは難しい顔をして、それには理由が必要だと言った。何の功もない亜人の一従者を理由なく取り立てるわけにはいかない、と。
それは道理で、リーフィアをオレの側付きにする為には、彼女に何らかの手柄を立ててもらう必要があった。
偶然だが、時同じくしてかつてのオレ自身である「ノヴァ」を騙った貴族の屋敷を狙う窃盗事件が相次いでおり、クリストハルトは早い段階から可能性のひとつとしてオーウェン公爵の関与を疑っていた。
そして、一計を講じる。
様々な方策のひとつとして、渋るシルフィールを説得し、彼女の協力を得て、王妹という大きな寄せ餌を使った囮作戦を行うことにしたのだ。
それがリーフィアを供にした「街までの使い」だ。
何が食いついてくるかは分からない。空振りに終わるかもしれない。
だが、王座を狙いこのタイミングで事を仕掛けている輩ならば、王城のささやかな動きにも気を配っているはずだ。きっと何らかの接触を図ってくることだろう。
「死ぬ気で守れよ。シルフィールは私の全て、この国の未来だ」
心臓をひと突きにされそうなクリストハルトのあの眼差しは、今思い出しても冷や汗が出るほど恐ろしいものだった。
そしてその結果、カインがシルフィールに食いつき、リーフィアは期待以上の活躍で応えた。残念ながらオーウェン公爵にたどり着くことは出来なかったが、上々の成果だったと言えるだろう。
「あんたには迷惑かけたな、悪かった。でも……ありがとうな、シルフィール。何だかんだで協力してくれて。おかげでノヴァの名誉も守れたし、リーフィアを専属人として迎えることが出来るようになった」
「公人として、私情より国の有益を優先させたまでよ。今回の黒幕はオーウェン公爵だったと私も思っているし、結果として現国王派の弱体化を阻止出来て、起きるかもしれなかったいらぬ争いも未然に防げたわ。それに、腹立たしいけれど貴方の存在は、お兄様にとって必要だもの。精神を病まれても困るし、リーフィアなら貴方のお目付け役として立派にその役目を果たすでしょう」
腰に両手を当てがい、つんけんと応じていたシルフィールだったが、ここへ来てその口調が急に弱々しくなった。
「今回の立役者は、リーフィアよ。あの娘がたくさん頑張ってくれたおかげだわ。
だから私、約束通りたくさんたくさん褒めたの。いっぱいいっぱいリーフィアを褒めて、ぎゅっと抱き締めてから貴方の元へ送り出したわ」
薄紅色の唇から、彼女の本音がこぼれ落ちる。
「貴方、ずるいのよ。私の大好きな人を二人も独り占めにして」
「いや、クリストハルトに関しては不可抗力でしょ」
苦笑するオレに、シルフィールは揺れる大きな空色の瞳をきっと向けると、こう言い結んだ。
「あんなに素敵な娘を大事に扱わなかったら、私が許さないから」
「……肝に、銘じておくよ」
「聞いたわよ。ゆめゆめ忘れないようにしなさい」
オレの言質を取ったシルフィールは、そう告げると勢いよく踵を返し靴音高く去っていった。
それを見送ったオレは、ひとつ息を吐き出してソファーに座り、背もたれに深く背を沈めた。
瞼を閉じて柔らかな萌黄色の獣耳の感触を思い出しながら、その持ち主である彼女もまた因果な運命に魅入られたものだな、などとどこか他人事のように考えた。
「影王から影王へ……か―――」
誰に言うともなくこぼれた呟きは、静かな夜の部屋に吸い込まれ消えていく。
この先、この国はどのように発展していくのか。そして、どのような未来を展開していくのか―――。
行先はまだ不透明で、分からない。
だが、より良い舵取りを目指し、未来の王にその先を託す為に戦っている、自分と同じ容貌を持つあの男の影として身命を賭することになったあの時から、自分のやるべきことは決まっている。
「やれるところまで……やるしかないよなぁ……。しんどいけど」
天井を仰ぎながら額に手を当てて嘆息し、オレはそう独りごちた。
先行きの見えない道に、光は差すだろうか。
明日は少し新しい朝がやってくる。今までとは違う、新しい時間が動き出す。
そして、身勝手な影王の因果に巻き込まれた専属人が、新しい風を纏い執務室のドアをノックするのだ―――。
<完>
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